近くにいても、離れていても

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 校舎一階の北辺にある保健室の扉を特殊な鍵で開けると、その先にあるのは簡易ベッドが立ち並ぶ保健室に酷似した風景である。その部屋は雰囲気から調度品までもが保健室と瓜二つなのだが、学園の一部である保健室とは大きく違う点が二つばかりあった。一つは、保健室には窓があり、その部屋には窓がないという点である。しかし外部からの光を取り込まない室内が暗いかと言えばそうでもなく、室内は常に魔法で生み出された光に満たされていた。そして二つ目の大きな違いは、保健室とその部屋では主が違うということだ。保健室に酷似した部屋の主は金髪の青年で、白衣を着用している彼は椅子ごと体を回転させて振り返ることで、その部屋にやって来た葵を迎えた。

「やあ」

 鮮やかな金髪にブルーの瞳が印象的な美貌の青年は、名をアルヴァ=アロースミスという。彼はトリニスタン魔法学園アステルダム分校の校医を自称している人物で、その部屋の内部では常に白衣を着用していた。しかし白衣の下の服装はだらしなく乱されていて、さらにはこの密閉空間の中で煙草まで吸うのである。加えてアルヴァは外面と素顔のギャップが激しい人物だったが、それでも葵にとっては身近にいる唯一の理解者だった。

「何か、いいことでもあった?」

「うん、ちょっとね」

 世界を隔てている友人とつながることが出来た喜びをまだ引きずっている葵は、いつになく上機嫌にアルヴァからの質問に答えた。葵がそういった反応をアルヴァに見せることは珍しく、不審に感じたらしいアルヴァは小さく眉根を寄せる。

「具体的な説明を加えようという気はないのか?」

「別に隠すことでもないんだけど、説明すると長くなるよ?」

 アルヴァが「構わない」と答えたので、簡易ベッドに魔法書を置いた葵はローブのポケットから折りたたみ式の携帯電話を取り出した。葵の動きを目で追っていたアルヴァは、彼女が傍へやって来るなり再び眉をひそめる。

「その頬、どうした?」

「ああ……赤くなってる?」

「またキリル=エクランドにでも殴られたのか?」

「ううん。今日はそっちじゃない方」

「兄の方、ということか?」

 葵が頷くとアルヴァは手にした携帯電話をろくに見もせずに、考えに沈んでしまった。アルヴァが何を気にしているのか分からなかった葵は首をひねったついでに彼の顔を覗き込む。

「アル?」

「先に傷の理由について話を聞こう。座って」

 アルヴァが席を譲ってくれたので、葵は言われた通りにアルヴァが座っていた椅子に腰を落ち着けた。氷と真新しいタオルをどこかから取り出したアルヴァは、氷嚢を葵に差しだしながら言葉を次ぐ。

「ちょっと喋りづらいかもしれないが、しばらく頬に当てておくといい」

「ありがと」

「それで、何だってハーヴェイ=エクランドに殴られたりしたんだ?」

 葵自身にも未だに叩かれた理由はハッキリしていなかったのだがシエル・ガーデンでの話の流れから察するに、おそらくはハーヴェイがキリルにかけたという魔法が鍵なのだろう。何をどう話せばアルヴァが理解するのか分からなかったため、葵は一番初めから説明してみることにした。

「アルは私が、キリルを殴ったってこと知ってるんだっけ?」

「殴った? キリル=エクランドをか」

 簡易ベッドに腰を落ち着けようとしていたアルヴァが中腰のまま動きを止めたので、葵は彼がほぼ何も知らないことを認識した。キリルが殴られたという事実はやはり重大な出来事だったようで、アルヴァはそれきり言葉を失ってしまっている。何故か少しだけアルヴァに対して罪悪感を抱きながら、葵は話を続けた。

「ケータイ壊されて頭にきちゃって、殴っちゃった。そしたらキリルがおかしくなっちゃったらしくて、私を殴ろうとすると土下座しちゃうの。あいつのお兄さんがキリルに何かの魔法をかけてたみたいで、私があいつを殴ったことでそれがおかしくなってたみたい。そのおかしくなった魔法を元に戻すために私がキリルのお兄さんに叩かれた……んだと思う、たぶん」

「少し、待ってくれ」

 葵の言葉が途切れたところで口を挟んできたアルヴァは、そう言い置くと顎に手を当てた格好で思案に沈んでしまった。きっと今、彼は必死で状況を理解しようとしているのだろう。そう察した葵も口を閉ざし、アルヴァの方から再び口火を切るのを待った。

「ハーヴェイ=エクランドが弟に魔法をかけていたというのは、考えられることだ。彼は生物学の……とりわけ、人体に関する魔法の権威だからね」

 しばらくの沈黙の後、アルヴァは自分に言い聞かせるかのように独白を零した。その呟きから新たな情報を得た葵は胸中で、そうなんだと呟きを発する。

(どんな魔法、かけられてたんだろ……)

 オリヴァーの言動から察するに、ハーヴェイがキリルにかけたという魔法はあまり人道的なものではないように思える。そう推測を巡らせた葵は、そもそもハーヴェイが人道的な人間ならば実の弟に魔法をかけるような真似はしないだろうと自分の考えを嗤ってしまった。

(実はあいつも苦労とかしてるのかな)

 しかし、だからといって、今現在の傍若無人な態度が許されるわけではない。葵がそんなことを考えていると、アルヴァがようやく伏せていた目を上げた。

「キリル=エクランドにどんな魔法がかかっているのかは分からないが、おそらくはミヤジマの行動によって魔法の論理が乱れてしまったんだな。キリル=エクランドが意思とは正反対の行動をしていたのだとしたら、まず間違いなくそれが原因だ」

「ふーん。やっぱりそうなんだ?」

「しかしハーヴェイ=エクランドが何らかの行動を起こしたのだとすれば、論理の乱れは修正されたはずだ。ミヤジマはすでにロジックの外にいる。もう彼らと関わるのはやめてくれ」

「言われなくてもそのつもりだよ」

 誰が好き好んで暴力をふるってくるような兄弟と関わり合いになりたいと思うのか。アルヴァが深刻そのものの表情をして忠告してきただけに、葵はそのぶん呆れてしまった。葵の反応に嘘はないと見て取ったのか、そこで話を切り上げたアルヴァは表情を改める。

「これは何なんだ?」

 アルヴァがようやく携帯電話の話題に言及したので、葵は簡単に携帯電話の用途について説明を加えた。さらに、別世界にいるはずの友人と会話が出来たことを伝えると、アルヴァは驚きながら手にしている携帯電話に目を落とす。

「これがレリエと同じものだということは分かった。でも、世界の壁を隔てていたら通信なんか出来ないはずだけど」

「じゃあ、試しにかけてみる?」

 アルヴァに提案を持ちかけた葵は椅子から立ち上がり、携帯電話を受け取るために簡易ベッドへと歩み寄る。葵に携帯電話を返したアルヴァは、しかし彼女の次の行動を制しながら立ち上がった。

「この部屋は通信状態が悪い。どこかへ移動しよう」

「それなら時計塔がいいよ。あそこは電波の状態が良かったから」

「デンパ?」

「あー、うん。それの説明は私に求めないでね」

 電波というものについて説明できるほどの知識を持っていなかった葵はアルヴァの疑問をさっさと切り捨て、彼に移動を促した。アルヴァもしつこく追及することはせず、葵の言う通りに移動を開始する。アルヴァが転移魔法を使ったことによりシエル・ガーデンの北にある塔に出現した葵は、さっそくリダイヤル機能を活用して弥也に電話をかけてみた。

「あ、もしもし弥也?」

『何? どうしたの? 今、電話切ったばっかりじゃん』

 この世界と葵が生まれ育った世界とでは、時間の流れに関する感覚に大幅なズレがある。訝しげな声を出している弥也にとってはおそらく前回の通話から数分、もしくは数秒程度の間隔しかなかったのだろう。それは不審に思うだろうなと思った葵は弥也に軽く謝り、適当な理由をつけてアルヴァに電話をかわった。

「はじめまして。私の名は、アルヴァ=アロースミスといいます」

 保健室に酷似した『部屋』以外の場所では、アルヴァは表情や態度を一変させる。彼は余所行きの声音で丁寧な挨拶を口にしたのだが、ろくに会話もしないうちに葵に携帯電話を突き返してきた。首を傾げながら携帯電話を受け取った葵は、とりあえず友人との会話を再開させる。

「もしもし? 弥也?」

『ねぇ、今のガイジン誰?』

「ガイジン?」

『何でガイジンと一緒にいるの? 何かアヤシイことに関わってない?』

「か、関わってないよ。ごめん、また電話するから」

 話が妙な方向に転がりかけたので、葵は慌てて通話を打ち切ると携帯電話の電源をオフにした。それから改めて、葵はアルヴァを振り返る。

「アル、フツウに喋ってたよね?」

「……信じられないことですが、どうやらミヤジマの言っていることは本当のことのようですね」

 難しい表情のまま返事を寄越してきたアルヴァは、すぐに『部屋』へ戻ることを提案してきた。拒絶する理由もなかったため、葵は素直にアルヴァの意に従う。保健室に酷似した『部屋』へ帰って来た途端に服装を乱し始めたアルヴァは眉間のシワは解かないままに話を続けた。

「あれが、ミヤジマが本来使っているはずの言語か。僕には彼女が何を言っているのかまったく分からなかった」

「弥也もアルが何言ってるのか分からなかったみたい。でもアル、フツウに喋ってたよね? 何で?」

「召喚魔法に使う魔法陣には、召喚したものと意思の疎通が出来るようにする言葉スペルが組み込まれているらしい。だからミヤジマには僕の言葉も理解出来るし、生まれ育った世界にいる者の言葉も分かる」

 葵が普通に会話をしている相手と言葉が通じなかったことこそが世界を隔てた通信をしている証なのだと、アルヴァは言う。以前にもそんな話を聞いたような気がすると思った葵は首を傾げてから空を仰いだ。

「さっきの……ケータイ、だっけ? それは修理されたものなのだと言っていたね」

「うん。隣に住んでる人が直してくれたの」

「その人物の名前は?」

「名前? マッド」

「ファミリーネームは?」

「そんなの知らないよ。それにマッドっていうのも、たぶん本名じゃないと思う」

 本名ではなくニックネームで呼び合うのがワケアリ荘の習わしだということを説明すると、アルヴァは小さくため息をついた。

「調べるのが無理なら、本人と直接話がしたい。そう伝えてくれるか、ミヤジマ」

「まあ、聞くだけ聞いてみるよ」

 アパートの住人ともあまり交流をしないマッドが、見ず知らずの他人に会うとは思えない。そう思いながらも葵はとりあえず、その場をやりすごすためにアルヴァに頷いて見せた。






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