under The moon

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 夏月かげつ期の終わりの月である伽羅茶きゃらちゃの月の十三日。その日の朝も、丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校では生徒達の登校風景がいつも通りに繰り返されていた。正門付近に描かれている魔法陣に出現した生徒達はそこから徒歩で校舎へと向かうため、その部分を上空から眺めると白い川のようである。南から北へと向かうその流れの中に、並んで歩く二人の少女の姿があった。彼女達は周囲の生徒と同じくトリニスタン魔法学園の制服である白いローブを纏っているのだが、それでもその特異な見た目から、どことなく周囲から浮いてしまっている。世界でも珍しい黒髪に黒い瞳といった容貌をしている少女の名は宮島葵、肩口にワニに似た魔法生物を乗せている少女の名はクレア=ブルームフィールドといった。

「今日はあの人の所に行かないの?」

 エントランスホールからそのまま教室へと向かおうとしているクレアを見て、何となく違和感を覚えた葵は疑問を投げかけてみた。クレアはこのところハーヴェイ=エクランドという青年に夢中で、学園にいる間は彼にべったりなのだ。そんな彼女が登校して真っ直ぐに教室へ向かおうとしているのには何か理由があったらしく、クレアは眉根を寄せながら葵を振り返った。

「行くも行かんも、ハーヴェイ様がおらんやろ」

 そう答えたクレアの表情は「意味不明なことを訊くな」とでも言いたげなものだった。しかし彼女はすぐ何かに思い当たったらしく、眉間のシワを解いて表情を一変させる。クレアから哀れみの視線を向けられているように感じた葵は首をひねりながら彼女の言葉に耳を傾けた。

「ハーヴェイ様の魔力はハンパやない。あのお方が学園内におられるんやったら、それはもう一目瞭然なんや」

 ある程度距離が縮まらなければ視覚で捉えることは難しいが、それでもハーヴェイの強大な魔力は肌が感じるのだとクレアは言う。彼女の口調にはハーヴェイに対する敬愛と畏怖の念がこめられていたが、魔力を見ることはおろか感じることも出来ない葵は「そんなものか」とだけ思った。

「せやけど、そうやなぁ。確かにこのまま教室に行くいうんは味気ないな」

 ぽつりと独白を零したかと思うと、クレアは葵の手を強引に引いて歩き出した。引きずられるままに歩き出した葵はクレアが向かっている先に見当をつけ、抗議の声を上げる。

「保健室に行くなら一人で行けばいいじゃん」

「おたくが一緒の方がアルヴァ様に会える確率が高いんや」

 クレアが向かおうとしているのは校舎一階の北辺にある保健室で、そこにはアステルダム分校の校医であるアルヴァ=アロースミスという青年がいる。ハーヴェイと同様にクレアのお気に入りであるアルヴァは、しかし彼女が一人で訪れてもまず姿を見せようとはしないだろう。その理由も承知している葵は喜々として先を急ぐクレアの背に感心のまなざしを注いでしまった。

(変なところで鋭いなぁ)

 葵がそんなことを考えていると、クレアの肩にいる魔法生物が不意に顔を傾けてきた。クレアのパートナーである彼の名はマトといい、葵とマトはクレアの知らない所で繋がりがある。心なしかマトがすまなさそうにしているように思えた葵は彼に苦笑を返してからクレアの隣に並んだ。

「引っ張んなくても、行くから」

 その一言でクレアは葵の手を離したのだが、そのまま歩みまで止めてしまう。反応が遅れて数歩先で停止した葵は、クレアの突然の行動を訝りながら振り返った。

「どうしたの?」

「前から訊きたかったんやけど、二人はどういう関係なんや?」

「二人って、私とアル?」

「そうや。ケンカしてたらしいけど友人同士には見えへんし、恋人っちゅーのは友だち以上に有り得へん」

 恋人という単語をやけに強調してみせたクレアに、葵は何とも言えぬ苦笑いを零した。その表情が気に入らなかったようで、クレアは葵に食って掛かる。

「ここらでハッキリさせとこうや。おたくら、何なん?」

「何って言われても……」

 確かにアルヴァとの関係は友人でもなければ恋人同士でもない。だが、だから何なのだと言われても答えようがないのだ。また、クレアに余計なことを言うなとアルヴァに口止めもされていたので、言葉に詰まった葵はそのまま閉口してしまった。

 葵とクレアがそれぞれの事情から黙り込んでいると、不意に第三者の声が二人の間に割って入った。クレアを呼ぶ声と共に姿を現したのはクラスメートの女子たちで、助かったと思った葵は少し身を引いて彼女達と距離を取る。あっという間にクレアを取り囲んだクラスメート達は媚びたアイサツを口にしてから本題へと移行した。

「クラス対抗戦はもう明後日なのですわよ」

「作戦を考えなければなりませんので、わたくし達と一緒にいらしてください」

 口々に捲くし立てるクラスメート達を「分かった分かった」と軽くあしらいながら、クレアは彼女達と共にどこかへ行ってしまった。人気のない廊下に一人で取り残された葵はよく分からない展開に首を傾げる。

(クラス対抗戦って何だろう?)

 耳慣れない単語に疑問は募ったものの、ここには葵の疑問に答えてくれる人などいない。顔を出すついでにアルヴァにでも聞こうと思った葵はすぐに考えることを放棄して再び歩き出した。

 保健室の前に辿り着くと、葵は魔法の鍵マジック・キーを使って扉を開けた。そうして扉を開くことによって保健室の扉は、保健室とはまた違う部屋へと葵を誘うのだ。簡易ベッドが並ぶ保健室に酷似した窓のない『部屋』で後ろ手に扉を閉ざした葵は、壁際のデスクの所にいるこの部屋の主に歩み寄りながら声をかけた。

「アル、クラス対抗戦って何?」

 朝のアイサツもせずにさっそく疑問を口にした葵に、鮮やかな金髪にブルーの瞳といった容貌をしている青年は美しい面立ちを微かに歪ませる。

「僕の方が訊きたいな。それは何だ?」

「そっか、アルも知らないんだ? さっきクレアとうちのクラスの女子がそんなこと言ってたから何かと思って」

「それなら僕じゃなく、クレア=ブルームフィールドに訊けばいいじゃないか」

「クレア、クラスの女子に連れて行かれちゃったから。アルが知ってるならその方が早いかなと思ったんだけど」

「後で彼女に訊いてみるといい。その答えが分かったら僕にも教えてくれ」

 アルヴァが知らないのなら、クラス対抗戦なるものは学園側が提案する行事ではないのだろう。おそらくはマジスターが気まぐれで提案するゲームと大差ないだろうと思った葵は急速に興味を失いながら、とりあえずアルヴァには頷いておいた。

「彼は何て言っていた?」

 アルヴァが唐突に話題を変えたので、彼が何を言っているのか分からなかった葵は首を傾げた。葵に話が通じていないことを見て取ったアルヴァは長い脚を悠然と組みながら言葉を付け加える。

「ミヤジマのレリエを修理してのけた彼だよ。僕の意向は伝えてくれたんだろう?」

「ああ……そのことね」

 アルヴァが何を言っているのかは理解したものの、葵は苦い表情になりながら言葉を次いだ。

「マッドはいいよって言ってくれたけど、やっぱりこういうのは良くないよ」

「こういうの、とは?」

「マッドは私を信用してくれてる。だけどアルは、マッドのこと探る気なんでしょ? それって騙すのと同じじゃん」

 葵が意見を述べると、アルヴァは深々と嘆息した。その後には必ず説き伏せようとする言葉が続くはずであり、身構えた葵はアルヴァの出方を窺う。その場から動かずに葵の瞳を見据えたアルヴァは、短い沈黙を挟んでから静かに口火を切った。

「僕はね、ミヤジマ。この世界には存在しないはずの物を修繕したという彼と話がしてみたいんだ。素性を探る気がまったくないとは言わないけど、そんなものは最悪ユアンに尋ねればいい。その『世界』を創った者なら、そこに住んでいる者達のことも具に知っているだろうからね」

「あ、あれ? そっか……」

「ミヤジマがそこまで僕の人格を疑っているなんてね。心外だよ」

「……ごめん」

 そんなつもりはなかったのだが結果を見れば明らかにそういうことであり、葵はアルヴァに悪いことをしたと思った。だが心外などと言うわりには軽く、アルヴァは葵の謝罪を受け流す。

「そろそろ授業が始まる。教室へ行った方がいい」

「あ、うん」

 アルヴァに追い立てられるように保健室を出ると、校内では始業を告げる鐘が鳴り響いていた。急いで二階にある教室へと向かった葵は、今まさに教室へ入ろうとしていた教師より先に室内へと駆け込む。そのまま教室の中央付近にある自席に着いた葵は、窓際にある以前の自席を振り向いてみた。しかしそこに、現在の主であるクレアの姿はない。

(いない……)

 クレアの席の他には空席もなかったので、彼女の不在はクラス対抗戦のこととは無関係だろう。ならば考えられる可能性は、一つ。きっとハーヴェイ=エクランドの所へ行っているのだ。

(……戻って来たら訊けばいいか)

 どのみち授業中に話をするわけにはいかないので、昼の休み時間にでも聞けばいい。そう結論づけた葵は前方のブラックボードへと顔を戻したのだが、その日、クレアが二年A一組の教室へ戻って来ることはなかった。






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