under The moon

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 雲一つない夜空に伽羅茶きゃらちゃ色の二月が浮かぶ夜、丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校は虫の音さえも聞こえない静寂に包まれていた。平素であればこの時分には、校内に人影はない。だがこの夜は、中庭に面したとある部屋の窓辺に白衣姿の青年の姿があった。鮮やかな金髪にブルーの瞳といった容貌をしている彼は、アステルダム分校の校医をしているアルヴァである。

 中庭と向き合う形で佇んでいるアルヴァは、背にしている扉を開く者が現れるのを待っていた。そのため校内に響く足音や魔法の気配に注意を払っていたのだが、来訪者は意外な所からアルヴァの前に姿を現した。校舎の外側から跳躍でもしたかのように、ふわりと中庭に下り立ったのは真っ赤な髪色が印象的な細身の少年。ウィル=ヴィンスという名の彼は、この学園のマジスターの一員である。風を扱うことに長けているヴィンス公爵家の者らしい登場の仕方に、アルヴァは呆れた息をつきながら保健室の窓を開けた。

「あれ? いたの?」

 ウィルはこちらに視線を向けながら歩み寄って来ていたのだが、保健室の窓が開くと驚いた様子でアルヴァを見た。それもそのはずであり、つい先刻まで、保健室の内部には誰もいなかった・・・・・・・のだ。少なくともウィルの目には、そう映っていたはずである。それが何らかの魔法によるものだとすぐに察したようで、身軽に窓から侵入して来たウィルは保健室に下り立つなりさっそく疑問を口にした。

「この部屋、妙な圧迫感があるね。どんな魔法を使ってるの?」

「限定的で一時的なものだけど、空間を外部から隔離している」

「どうやって?」

 一部の空間だけを切り離して加工する魔法は、実はそれほど珍しいものではない。しかし普通は、魔法陣を用いなければ使用不能な類の魔法である。だが保健室の内部には、それらしき魔法陣の姿を窺うことは出来ない。ならば通念とは異なる方法で魔法を展開しているはずであり、ウィルはその異質なやり方を尋ねたのだった。答える義務はなかったので、ウィルから視線を外したアルヴァは小さく笑みを浮かべる。

「魔法の枠組みカドルを外れてみれば解るかもね」

「そうやって笑っていればいいよ、今はね」

 アルヴァに軽くあしらわれても不敵な態度を崩さないウィルは、いつか必ず解き明かしてやると豪語した。彼のそうした態度は自身の才能に対する自尊心から生まれているものであり、そのことをふと不思議に思ったアルヴァは首をひねる。

「一つ、素朴な疑問があるんだけど」

「何?」

「ヴィンスの家督は確か、マシェル氏が継ぐことになってるんじゃなかったっけ?」

 マシェル=ヴィンスはウィルの兄で、ヴィンス公爵家の次期当主とされる人物である。家督を継ぐことのないウィルは分校に通う他のマジスター達のように、ただの道楽として学園生活を過ごしていればいい。だが血の誓約サン・セルマンにも動じずに情報を欲した彼は、本校に通う生徒並みの貪欲さを胸に秘めているのだ。探究心があることは悪いことではないのだが、アルヴァにはそれが不思議でならなかった。だが簡単に答えの得られる疑問ではなかったようで、マシェルの名が話題に上った途端、ウィルは態度を硬化させる。

「それが、何?」

「不思議なだけだよ。躊躇も見せず血の誓約サン・セルマンに応じた君が、何故そうまでして知識を求めようとするのか」

「それって、ただの好奇心でしょ? 答えなきゃいけないの?」

「それを判断するのは僕じゃない」

 全てをウィルに委ねると、アルヴァは窓際に備え付けられているデスクに腰を落ち着けた。悠然と脚を組むアルヴァとは対照的に、ウィルは苦虫を噛み潰したような表情をしてアルヴァを睨んでいる。ウィルがどちらを選択しても自身の優位に揺らぎはなかったため、アルヴァは茶器に紅茶を淹れさせながら彼の決断を待った。

「……生まれの早さなんてさ、人間の価値を決める要素には成り得ないよね」

 難しい表情をして黙りこくっていたウィルが口火を切ったので、ティーカップを口元に運んでいたアルヴァは動きを止め、彼に視線を戻した。あらぬ方向を見つめながら独白を零したウィルもアルヴァに視線を向け、彼は口元を皮肉げに歪めながら言葉を次ぐ。

「王都の本校に行った奴より、分校に通う奴の方が優秀だったら笑えると思わない?」

 ウィルにとってマシェルという兄は、どうやら征服しなければならない存在らしい。好奇心を満たした上で弱味まで握ったことに満足したアルヴァは焦らすのをやめ、彼が明かした本音に見合う言葉を投げかけることにした。

「そろそろ、僕を呼び出した用件を聞いておこうか」

「……こんな話をする羽目になるんだったら呼び出さなきゃ良かったよ」

 動揺を隠すように苦笑いを浮かべたウィルは、文句に引き続いて簡潔に用件を口にした。その内容は彼の友人である、キリル=エクランドという少年にかけられた魔法のことだ。すでに葵からある程度の情報を得ていたアルヴァはウィルの用件に納得して頷いて見せた。

「友人に本来の人格を取り戻してあげたいなんて殊勝な心がけだね」

「魔法を解きたいなんて言ってないけど?」

 感心を示したのも束の間、ウィルから思いがけない言葉を返されたのでアルヴァは面食らってしまった。彼の心情を読み違えたことは逆に好奇心を増す契機となり、本格的に話を聞く必要があると思ったアルヴァは手にしていたティーカップをデスクの上に置く。

「解き方でないのなら、僕に何を望む?」

「その魔法の原理が知りたいんだ。ハーヴェイさんはたぶん、教えてくれないと思うから」

 キリルの友人であるウィルの口からそんな質問が飛び出せば、ハーヴェイはおそらく弟の魔法を解こうとしているのだと勘ぐるだろう。それはハーヴェイの心象を悪くするだけで、ウィルにとってはデメリットしか生じない。それならば生物学に詳しいであろう別の人物に尋ねるというウィルの考え方は非常に合理的で的確なものだった。

 友人のためではなく自身のためにハーヴェイが開発した魔法の原理を知りたがっているウィルは、おそらく使うつもりなのだ。つい先程ヴィンス家の確執を知ったばかりなだけに、アルヴァには魔法をかけられるであろう相手も容易く想像することが出来た。まるでアルヴァの思考を読み取ったかのようなタイミングで、ウィルはニヤリと不敵な笑みを浮かべて見せる。

「同母兄弟だと色々と都合がいいらしいよ」

 これ以上の詮索をするとお家騒動が勃発してしまった時に巻き込まれる可能性がある。ウィルの態度からそう判断したアルヴァは彼の話には乗らず、ハーヴェイが開発したという魔法について憶測を述べることにした。

「実際に調べていないから憶測に過ぎないけど、ハーヴェイ=エクランドはおそらく、キリル=エクランドが幼少の頃から自分の魔力を弟に注入していたんじゃないかな」

「そんなこと出来るの?」

「やろうと思えば方法はいくらでもある。ハーヴェイ=エクランドは魔法薬にも精通しているし、同母兄弟なら血も魔力も近いしね」

「古の盟約は?」

 ウィルが口にした『古の盟約』とは、貴族が有する精霊や英霊との契約のことである。血によって受け継がれている契約は家門によって様々で、炎を象徴とするエクランド家であれば火の属性の精霊や英霊と契りを結んでいるのだ。彼らが宿主以外の魔力に反発を示すのではないかとウィルは問いかけたのだが、アルヴァはあっさりとその可能性を否定した。

「僕は貴族じゃないから詳しいことは分からないけど、ある人物に言わせると、それもどうとでも出来るらしいよ。古の盟約って言うけど、それって古ければ古いほど精霊や英霊を縛る血は薄まってるってことだからね。優れた精霊や英霊が必ずしも嫡子に受け継がれるわけじゃないっていうのが、そのいい証拠なんじゃないかな」

「へぇ……それは知らなかった」

「まあ、貴族の子は生まれた時から精霊や英霊と共にあるのが当たり前だからね。それに、何事にも禁忌タブーっていうのは存在するものだから」

 少し饒舌になりすぎたかと思いながら口を閉ざしたアルヴァは、冷めた紅茶を含んで渇いた喉を潤した。ウィルにも紅茶がいるかと尋ねてみたが、静かに首を振った彼はアルヴァに視線を定めて口火を切る。

「誓約を交わしてでも同胞になる価値があったよ。今夜、改めてそれを実感出来た」

「僕らの関係は基本的に、ギブアンドテイクだよ?」

「分かってるよ。あの使用人がヘマしないように見張ってればいいんでしょう?」

「クレア=ブルームフィールドだけでなく、ミヤジマ=アオイの監視もよろしく」

「それなら今度、魔法薬についての講義を聞かせてもらおうかな」

「うまくやってくれたら、そのうち秘密の花園に案内してあげるよ」

 好奇心を孕んだ笑みで取引に応じると、ウィルは軽く手を振って保健室を出て行った。訪れた時のように窓からではなく、扉を開いて夜の闇に消えて行ったウィルの背を見送ったアルヴァはティーカップをソーサーに戻して小さくため息をつく。その後、転移の呪文を唱えたアルヴァの姿も保健室から消えたため、トリニスタン魔法学園アステルダム分校の校舎は平素と同じく夜の静謐を取り戻したのだった。






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