企み

BACK NEXT 目次へ



 夏月かげつ期最後の月である伽羅茶きゃらちゃの月の十五日。雲一つない空は澄み渡っていて、空を支配している太陽は容赦のない熱を地表に伝えている。そんな夏らしい午後、丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校は生徒達の下校の時を迎えた後まで活気を保っていた。トリニスタン魔法学園には放課後にクラブ活動を行うという概念がないため、授業を終えてからも大多数の生徒が校舎に残っていることは稀である。その稀有な出来事は、これから始まろうとしている大規模な催しの予兆に過ぎなかった。

 放課後の校舎にいる生徒達が集っているのは、いずれも中庭が臨める場所である。そのため中庭に面した窓という窓は生徒で埋め尽くされているのだが、そこには一つ、特徴があった。居並んでいる顔はどれもが女子生徒のもので、そこに男子生徒の姿は見られないのだ。その理由はこれから始まる催しが、意地とプライドを賭けた女達の闘いだからだった。

「けっこう本格的ですね」

 五階建ての校舎の最上階にある一室で群集を見下ろしながら感想を述べたのは、真っ赤な髪色が印象的な細身の少年。恐ろしく女顔をしている彼は名をウィル=ヴィンスといい、彼の他にも、その室内には二つの人影があった。ウィルの発言に誘われるように窓辺へ歩み寄って来た青年の名はハーヴェイ=エクランド。艶やかな黒髪に同色の瞳といった世界でも珍しい容貌の持ち主である彼は、直接的にはアステルダム分校と関わりを持たない人物である。彼とアステルダム分校を結ぶものは血の繋がった弟の存在であり、ハーヴェイの実弟であるキリル=エクランドもまた、その一室の内部に居合わせていた。

「トリニスタン魔法学園の分校はどの公国でも校舎の造りが同じだ。それは何故か、理由を知っているか?」

 ハーヴェイが質問をしてきたので、窓の外を眺めていたウィルは彼に視線を転じた。しかしハーヴェイの漆黒の瞳は窓辺から望める中庭に据えられていて、こちらを振り向くような気配はない。彼と同じものを再び瞳に映したウィルは、自身の持てる知識でもってハーヴェイの問いかけに応じた。

「校舎そのものが魔法陣だから、ですよね?」

「その通りだ。しかし十年ほど前までは、今とは形状が異なっていた」

「そうなんですか。元はどんな魔法陣だったんです?」

「ただの五芒星だ」

 五芒星は魔法陣の最も基本的な形状で、様々な場面で用いられている。これと並んで基本中の基本である図形が円である。五芒星が魔法陣の外へ向けて力を放出するのに対し、魔法陣の内側に力が作用するのが円を基本とする図形なのだ。そしてトリニスタン魔法学園の校舎を上から見ると、五芒星を円で囲んだ形状をしていることが分かる。トリニスタン魔法学園の全ての分校がこの形状をとるようになったのは、ある人物の影響によるものなのだとハーヴェイは語った。

「この形状の魔法陣は今でこそ当たり前とされているが、十年前までは成立させることは不可能だと思われていた。それを、いとも簡単に融合させた者達がいたのだ」

「誰です?」

「一人は、レイチェル=アロースミス。トリニスタン魔法学園の生徒でいる間の功績は王家のものとなるので、彼女達の名は公表されていないがな」

 ハーヴェイが昔を懐かしむような目をして話題に上らせたレイチェル=アロースミスという女性は、庶子でありながらトリニスタン魔法学園の本校を卒業し、さらには王室に認められた魔法使いの称号である『魔法士』を名乗ることを許された特別な魔法使いである。レイチェルは簡単に面識をつくれるような存在ではないのだが、どうやらハーヴェイは彼女と知己のようだ。エクランド公爵家の次期当主ともなればそのくらいの人脈はあっても不思議ではなく、ハーヴェイを一瞥するに留めたウィルは再び中庭へと視線を転じた。

 今、アステルダム分校の中庭には高度な隠匿の魔法がかけられている。これはトリニスタン魔法学園の教師が数人がかりで構築するレベルのものだが、これから行われる催しは学園で公認されたものではない。おそらくは生徒が数十人がかりで魔法を使っていて、なおかつ、トリニスタン魔法学園の校舎自体が魔法陣と同様の効果をもたらすことをうまく利用しているのだろう。そこまでして中庭を隔離してしまっている様は、さながら儀式のようだ。ハーヴェイが魔法陣のことを話題に上らせたのは、巧妙に隠された中庭を見てウィルと同じ感想を抱いたからだろう。

 これから中庭で行われるのは、アステルダム分校に通う女子生徒による闘いだ。各クラスの代表がトーナメント形式で闘うこのバトルは、女子の間での優劣を決する目的で行われる。彼女達が闘う理由に自分達が深く関与していることをすでに知っているウィルは、儀式並みの体裁を整えてまで闘おうとしている少女達の熱心さに冷めた思いを抱いた。

(くだらない)

 そう思いながらも観戦にやって来たのは、この試合にクレア=ブルームフィールドという少女が出場するからである。坩堝るつぼ島の出身者である彼女は大陸のものとはまた違った魔法体系の中にあって、非常に独特な闘い方をするのだ。ハーヴェイがこの場所へ足を運んだのも、おそらくウィルと同じ理由からだろう。しかしその空間には一人だけ、クラス対抗戦にまったく興味を示していない人物がいた。

「そんなところにいないで、キルもこっち来て見たら?」

 窓辺にも寄らず壁際でむっつりと腕を組んでいたキリルはウィルの声に反応を示したものの、一瞥を投げかけるとすぐにそっぽを向いてしまった。どうやら彼は何かに怒っているようなのだが、その理由に心当たりのなかったウィルは首を傾げる。しかし考えを巡らせているうちに、ある出来事が記憶の糸に引っかかった。

(ああ、あれか……)

 先日、ウィルは情報を引き出すためにキリルを挑発して怒らせた。目的を達したウィルは今の今まできれいに忘れ去っていたのだが、口をへの字に曲げているキリルはまだその時のことを根に持っているらしい。

「ごめん、キル。謝るから許してよ」

「お前の謝罪には誠意がねーんだよ!」

 ウィルの軽すぎる謝罪にカッとなったらしいキリルは顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。二人の何気ないやり取りがおかしかったのか、それまで涼しい表情をしていたハーヴェイが小さく吹き出す。

「キリル、ここへ来なさい」

 ハーヴェイが自らの隣を指し示すとキリルは面から感情を消し、素直に兄の言葉に従った。幼い頃から何度も見てきた場面ではあったが今は少し違った目線で、ウィルはエクランド兄弟を観察する。子供に接するようにキリルの頭を撫でているハーヴェイを見て、ある出来事を思い出したウィルは一人きりの思考へと沈んでいった。

 実兄であるハーヴェイが人体に作用する魔法をかけたことにより性格が変わってしまったらしいキリルは、トリニスタン魔法学園に入学する頃にはすでに暴君と化していた。排他的な彼は仲間と認めた者以外を眼中にも入れなかったのだが過去に一人だけ、そんなキリルが新たに仲間と認めた者がいる。意固地なキリルを懐柔してみせたその人物の名前はステラ=カーティス。キリルは初め、増員によりマジスターとなった彼女を激しく拒絶していた。しかしある出来事を契機に、キリルは次第にステラを受け入れていったのである。

(あの時も確か、こんな感じだったような)

 もう何年も前の出来事なので記憶は薄れかけているのだがステラが何気なくキリルの頭を撫でたことが、彼が態度を変えるきっかけだったような気がする。今改めてそんな過去を思い起こしたウィルは、その仕種がキリルにかけられている魔法において重要な役割を果たしているのではないかと憶測してみた。ハーヴェイがキリルにかけたという魔法は未完成な代物なのだ。すでにミヤジマ=アオイという少女がロジックを狂わせる行動が存在していることを実証しているため、その可能性は極めて高いもののように思われる。

 原理の一つを紐解いたような気になったウィルは自身の憶測を反芻していたのだが、そうしているうちにまた新たな疑問が生じてしまった。他のマジスターのメンバーはどうだか分からないが少なくともウィル自身は、キリルを殴ったことも彼の頭を撫でたこともないのである。にも関わらずキリルは、幼少から付き合いのあるマジスターの面々だけは仲間として認めている。そうした例外があると、憶測によって導き出した答えに矛盾が生じてしまうのだ。

(……まあ、覚えてないだけかもしれないけど)

 そこまで考え出すときりがないので、ウィルは一度思考を打ち切ることにした。眼下では間もなく、トリニスタン魔法学園に通う生徒同士の闘いが火蓋を切る。貴重な瞬間を見逃す手はないと、ウィルはそのまま意識を中庭へと集中させた。






BACK NEXT 目次へ


Copyright(c) 2011 sadaka all rights reserved. inserted by FC2 system