企み

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 アルヴァから距離を置くために保健室を抜け出した葵は口実を実行すべく、クレアの姿を探して校内を歩き回った。男子生徒の姿がない校内はまるで女子校のような眺めであり、それぞれのクラスでまとまってクラス対抗戦を観戦している少女達は仲間内だけで盛り上がっている。とても部外者が声をかけられる雰囲気ではなく、あちこちで人だかりが出来ている校内は人探しが出来るような状況でもなかった。彼女達とお祭りムードを共有することも出来なかった葵は人いきれに酔ってしまい、静けさを求めて中庭から遠ざかる。流れ着いたのは人気のないエントランスホールで、階段下のスペースで壁に背を預けた葵は大きくため息をついた。

(帰ろうかな)

 何となくアルヴァと一緒になって観戦していたが、そもそもクラス対抗戦という行事自体が葵には無関係なのだ。クレアのことが気にならないわけではなかったが、彼女ならばどんな状況であっても適当にうまくやるだろう。後でマトから話を聞かせてもらえばいいと思った葵は帰宅の方向で心を固めたのだが、足に体重を戻した直後、不意に頭上で話し声が生まれた。

「首尾はよろしくて?」

 エントランスホールは二階部分までが吹き抜けになっていて、その声は階段の上から聞こえてきていた。声の主を知っていた葵はその場で動きを止め、上方へ顔を傾ける。しかしお互いがいる位置が死角となっていたため、話し声の主を窺うことは出来なかった。姿を捉えられなかったのはむこうも同じであり、少女達は葵の頭上で密やかに会話を続けている。

「万端ですわ。魔法生物さえ封じてしまえば、あの女には何も出来ませんものね」

「見物、ですわね」

 くすくすと笑いあっているのは葵やクレアと同じ二年A一組に所属する、ココとサリーという少女達だった。クレアが編入して来る前まではココが二年A一組のリーダー的存在だったのだが、公衆の面前でクレアに打ち負かされてしまったため、彼女はその地位を失ってしまったのである。日陰者になってしまった彼女達は、このところクラスの中でも大人しくしていた。しかし今の会話から察するに、敗者のままでいるつもりはないらしい。

 高笑いと共に話し声が遠ざかって行っても、葵はしばらく階段の陰で呆けていた。だが事態を理解した瞬間、次の行動を考えるより先に体が動き出す。具体的にはどういうことなのか分からないが、ココ達はマトを使ってクレアに嫌がらせをしようとしている。だがクレアが事前にそのことを知っていれば、彼女達の悪巧みを阻止出来るかもしれない。無意識のうちにそうした考えを抱いていたのだろう、気がつけば葵はクレアの姿を探して校舎中を走り回っていた。しかし放課後の校内は女子生徒で溢れかえっていて、とても人探しが出来る状況ではない。葵がもう一度そのことに気付いたのは、息が切れて足を止めてしまってからだった。

(そ、そうだった……見付かるわけないんだ)

 自分の浅はかさに呆れてしまった葵は胸に手を当てて目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をすることで呼吸を整えた。少し冷静さを取り戻した葵はその後、次にどう動くべきか考えを巡らせる。そうしているうちにアルヴァの顔が頭に浮かんで来たので、再び走り出した葵は校舎一階の北辺にある保健室を目指した。

「アル! クレアの……」

 アルヴァに呼びかけながら保健室の扉を開いた瞬間、光に目を焼かれた葵は言葉を途切れさせた。予想外の発光に視界を奪われてしまったものの、それは瞬きを繰り返すうちに回復していく。やがて窓辺に佇むアルヴァの姿を視界に捉えた葵は急いで彼の傍へと走り寄った。

 保健室で発光していたのは照明ではなく窓であり、目を細めた葵は光源を確かめようと中庭を注視した。そこで目にした光景に、息を呑む。発光の正体は中庭の空中に浮かんでいる球体で、電気のようなものを放出しているその球の内部にはワニに似た生物が捕らえられていた。

「手の込んだ嫌がらせだね」

 窓辺を離れたアルヴァがすれ違いざまに零した独白に、葵は驚いて彼を振り返った。

「嫌がらせってどういうこと?」

「中庭の様子をよく見てみなよ。クレア=ブルームフィールドだけじゃなく、彼女の対戦相手も驚いて動きを止めている」

 開け放たれたままだった扉を隙間なくきちんと閉ざしてから、アルヴァはそう解説を加えた。言われるがまま再び中庭へ視線を転じた葵はアルヴァの言う通りの光景に出会って絶句する。『魔法生物がいなければクレアは何も出来ない』というココ達の会話が、今まさに現実のものとなっていた。

「今、この場所には様々な魔法が展開されている。それらのバランスを維持しながら外部から干渉するなんて、一人や二人の仕業じゃないね」

 クレアは敵を作りすぎたようだと、窓辺に戻ってきたアルヴァは淡々と憶測を口にする。悪意が渦巻く中庭で呆然と佇むクレアに目を留めた葵は激しい憤りを覚えて拳を握った。

(ここまで……する?)

 確かにクレアは奔放で、傲慢に振る舞う時もある。特に最近は引け目もなくハーヴェイと親しくすることで大多数の女生徒から反感を買ってもいた。しかしそれは決して、彼女を晒し者にしてもいいという理由にはならない。まして、嫌がらせのための道具として使われているマトは本来、クレアとは別の個体として扱われるべき存在である。それを、人間の言葉を話せないというだけで物扱いするなど言語道断だ。

 アルヴァと葵が話をしているうちに中庭の膠着状態が動き出し、スパークが激しさを増した。保健室に音声までは届かなかったが、体をくの次に曲げて苦しんでいるマトに向かってクレアが何かを叫んでいる。半狂乱状態のクレアが成す術なく膝をついた瞬間、葵の頭の中で何かが弾けた。

「マト!!」

「あ! ……!!」

 アルヴァが何かを叫んでいたが、その声はもう葵の耳には届かなかった。保健室の窓を全開にして中庭に飛び出した葵は、そのままマトの元へと走り出す。マトを捉えている球体は頭上に浮かんでいたのだが、通常では考えられない跳躍をした葵は火花を散らしている球体ごとマトを抱きとめた。

「あ、ああああああ!!」

 スパークする球体を抱きとめた刹那、経験したことのない激しい痛みに襲われた葵はのちうちまわりながら悲鳴を上げた。しかしどんなに痛くともマトは離さず、その甲斐あってか、次第にスパークがおさまっていく。マトを閉じ込めていた球体が消えて彼の体に直接触れることが出来た瞬間、葵は痛みも忘れて『良かった』と胸中で呟いた。

「マト!!」

 半泣きのクレアが駆け寄って来たので、葵はマトの体を彼女に差し出した。気を失っているパートナーをしっかりと腕に抱いたクレアは何度も何度もマトに呼びかけながら傷の状態を確認している。その姿に深い絆を感じた葵は力のない笑みを口元に浮かべた。

(い、いたた……)

 のたうちまわるほどではなくなっているものの体中に痛みが残っていることを理解してしまった葵は真顔に戻って唇を噛み、クレアに気付かれないようそっと立ち上がる。だがその直後、自分の体重を支えきれなかった葵の足は再び折れてしまった。自力で立ち上がれると思っていただけに対処が出来ず、バランスを失った葵の体は派手な音を立てて地に伏す。マトのことで頭がいっぱいだったクレアもそれでようやく、葵の異変に気がついたようだった。

「お嬢!!」

 結果的にクレアに片腕一本で助け起こされた葵は苦笑いを浮かべようとして痛みに顔を歪めた。それを見て、クレアの顔も苦悶に歪む。

「おたく、何で……」

 無茶なことをした理由を問われた時、葵の脳裏には塔で聞いたオリヴァー=バベッジの言葉が蘇っていた。答えるのに躊躇はいらないと思った葵は、苦しい笑みを浮かべながら口を開く。

「友達だから」

 だから、マトを助けたかった。ただ、それだけのことなのだ。しかしクレアにとって葵の言葉は予想外のものだったようで、彼女は驚きに目を見開く。そんなクレアに微笑みかけたいところだったのだが体の痛みの方が勝り、葵は苦悶の表情を見せないために顔を伏せた。

「お嬢……」

 クレアが何かを言いかけたが、その言葉は最後まで紡がれることがないままに途絶えた。かつてないほどに感じていた体の重さが不意になくなったため、葵は目を見張った後、瞬きを繰り返す。そのうちに得体の知れない物体が視界に映ったため、血の気が引いた葵は硬直した。

 中庭に出没した物体の正体は、保健室の主である白いウサギだった。前足二本を使って器用に葵を抱え上げているウサギはクレアとマトにも同行を促し、跳ねながら移動を開始する。傷ついたマトを胸に抱いたクレアも素直にウサギの指示に従ったため、彼らが消えた中庭にはクレアの対戦相手だった少女と混乱だけが残されたのだった。






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