企み

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 隣に佇んでいるハーヴェイが呟きを零したような気がしたため、校舎五階の一室から中庭を眺めていたウィルは彼の方へと顔を傾けた。他人の視線に敏感なハーヴェイはウィルが顔を上げるとすぐに反応を示し、顔を向けてくる。その口元には深い笑みが刻まれていて、ウィルは首を傾げながら口火を切った。

「どうかしたんですか?」

「なに、探し物が見つかっただけだ」

「それは良かったですね」

 多忙な身のハーヴェイがアステルダム分校へとやって来たのは、実は弟に会いに来るのが目的だったわけではない。彼はここで、何かの探し物をしていたのだ。それを発見することが出来たのはハーヴェイにとってとても喜ばしいことだったようで、窓辺から離れた彼は笑みを持続させながら室内のリクライニングチェアに腰を落ち着ける。

「ウィル、幾つか質問がある」

 その一言で呼ばれていることを理解したウィルは、暗黙の了解でハーヴェイの傍へと寄った。紅茶まで用意して話をする態勢を整えてやると、ハーヴェイは満足そうにウィルを労ってから本題へと移行する。

「クレアの試合に乱入したあの少女、名は何といったか?」

「ミヤジマ=アオイです」

「聞いたことのないファミリーだな。どこの貴族だ?」

「彼女は……」

 何の気なしに答えようとした瞬間、体に異変を感じたウィルは慌てて口元を手で覆った。吐気に似た感覚と共に感じたのは、魔力の放出。魔力の放出は誰の身にも常に起っている現象だが、この時のウィルが感じたのは日常を桁違いに外れた量の放出だった。実際には大量放出は起こらなかったものの、体が危険を感じるほどの魔力を放出してしまえば命の危機に繋がらないとも限らない。前触れのない突然の現象ではあったが、その理由には心当たりがあったため、ウィルは肝を冷やして青褪めた。

 数日前、ウィルは実験者エクスペリメンターを自称する青年と血の誓約サン・セルマンを交わした。血の誓約は儀式を伴う誓いで、数ある誓約の中でも最も重い強制力を有する。降って沸いた魔力を放出しきってしまうイメージは、ウィルの発言しようとしたことがサン・セルマンに抵触することを警告しているのだろう。警告を拒絶して口にしてしまったが最後、強制的に見せられたイメージが現実のものになるというわけだ。そう理解したウィルはズキズキと痛むこめかみを指で押さえた。

「どうした?」

 ウィルが突然苦しみ出した理由を尋ねてきたハーヴェイは不思議そうにしてはいたものの、リクライニングチェアから動くような気配はない。これが血の誓約による魔法的な異変であることを知れば彼が黙っているはずがないので、どうやらウィルの動揺までは面に表れなかったようだ。儀式の重みを初めて実感したウィルは嘆息したい気分を抑え込み、体裁を修繕してハーヴェイに顔を向けた。

「すみません。僕、彼女のことが好きなんです。それで……」

「何だって!?」

 動揺してしまった、と続くはずだったウィルの言葉は窓辺で振り返ったキリルの怒声に掻き消された。大袈裟なほどの驚きを示したキリルは足早にウィルの元へと歩み寄り、彼の胸倉を掴み上げる。

「いつからだ!!」

「キリル」

 ウィルに詰め寄っていたキリルは兄が発した冷静な声にビクリと体を震わせた。ハーヴェイがウィルから手を離すように命じると、キリルは顔を強張らせたままそっと指を解く。キリルの剣幕に呆気に取られていたウィルは拘束から解放されてもまだ驚きを治めきれずにいた。一人だけ冷静なハーヴェイが、淡々とした口調で話を先に進める。

「それで、何だ?」

「あ、ああ……アオイのことですね」

 ハーヴェイの一声で我に返ったウィルは表情から驚きを消し去り、平素の彼に戻ってから改めて問いの答えを口にした。

「すみません、動揺してしまって。残念ながら僕もまだ、彼女のことをよく知らないんです」

「そうか。まあ、いい」

 ハーヴェイが話を切り上げたので、葵の話題を長引かせたくなかったウィルは密かに胸を撫で下ろした。しかしホッとしたのも束の間、ハーヴェイはさらなる質問を投げかけてくる。

「アオイという少女が中庭へ入り込んで来た時のことを覚えているか?」

 質問の意図が分からなかったため、ウィルは安易に答えることをせずに首を傾げた。先程の問いかけは前座のようなものだったらしく、ウィルの困惑を見て取ったらしいハーヴェイはすぐに言葉を付け足す。

「彼女はどこから出て来た?」

「校舎の北部からでしたね。たぶん、一階じゃないですか?」

「その場所には何がある?」

「あの辺りだと保健室じゃないですかね」

 ハーヴェイの問いに答えるうちに、ウィルは彼が何を知りたいのかを理解した。ハーヴェイが気にしているのは試合に乱入した葵よりも、葵が飛び出してきた場所に居合わせた、ある人物のことのようだ。

 葵が中庭に乱入した時、彼女が飛び出して来た場所からは葵のものではない魔力が漏れ出していた。すぐにまた姿をくらましたそれは間違いなく、エクスペリメンターを名乗る青年のものだ。葵とエクスペリメンターの関係を知っているウィルは一緒にいたとしても不思議はないと流してしまったのだが、ハーヴェイには彼の存在が引っかかるものだったらしい。たかだか魔力が見えたくらいでその持ち主を気にするのは、彼らが知己だからではないだろうか。そう推測してみるとハーヴェイの不可解な行動にも納得がいくような気がして、ウィルは一人で頷いた。

「アオイを連れて行った、あの奇妙な生物は何だ?」

 この問いに答えようとした時、ウィルはまたしても体中の魔力を放出してしまうイメージに襲われた。度重なる箝口かんこうに嫌気が差したウィルはもう口実を考えることをせず、うんざりした調子で口火を切る。

「ハーヴェイさんの探しものって人ですか?」

 質問に対する答えではなく疑問を返されたためか、ハーヴェイは不可解そうに眉根を寄せる。しかしその表情は肯定と同じことであり、自分の推理が的中したことを確信したウィルは誓約に触れない程度の内容でもって事情を説明することにした。

「実は最近、血の誓約サン・セルマンを交わしたんです。ハーヴェイさんの質問はどうも、誓約に抵触するみたいだ」

血の誓約サン・セルマンか……」

 トリニスタン魔法学園本校の卒業生であるハーヴェイは、もちろん血の誓約がどういうものなのかを知っている。それで全てのことに納得がいったようで、ハーヴェイは一つ息を吐いてからウィルを見据えた。

「誓約の重さに見合う対価は得ることが出来たのか?」

「それはこれから、といったところですかね。そのことで一つ、ハーヴェイさんにお願いがあるんですが」

「内容を聞こう」

「ハーヴェイさんが探している人物の名前を教えてもらえませんか?」

 ウィルの意図するところはすぐに伝わったようで、ハーヴェイは「なるほど」と呟くと口元を笑みの形に歪めた。

 葵のことをハーヴェイに喋れなかったように、エクスペリメンターと血の誓約を交わしているウィルが他人から普通に彼の情報を得ることは極めて難しい。だが儀式を伴うほどの誓約も万能ではなく、この問いかけ方ならば『実験者エクスペリメンターに関する詮索ではない』と見なされるのだ。ここに抵触間際の状況が生まれているのはウィルとハーヴェイの間では実験者と探し人が同一人物と認められていても、そこに何の確証もないからである。そういった特殊な機会を確実に利用しようとするウィルの手腕に対する褒美のように、ハーヴェイは躊躇なく探し人の名前を口にした。

「アルヴァ=アロースミスだ」

「アロースミス?」

「そう、レイチェル=アロースミスの血縁者だよ」

 ウィルが何を気にかけたのか見透かした上で、ハーヴェイはその考えを肯定してみせる。思わぬ大物が釣れたことにウィルは驚きを露わにしたが、やがてあることに思い至って口元へ手を運んだ。

(そうか。だからアオイがレイチェル=アロースミスの魔法書を持っていたのか)

 アルヴァ=アロースミスがレイチェルの血縁者だというのであれば、彼に庇護されている葵がレイチェルの執筆した魔法書を所有していても不思議ではない。魔法の使えない葵がトリニスタン魔法学園に編入出来たのも、おそらくその辺りのコネクションがあったからなのだろう。クレアのような異端者が葵と共に学園にいるのも、おそらくは同じ理由だ。そうして考えを巡らせるたびに今まで疑問に思っていたことがウィルの頭の中で次々に解決していった。

「ずいぶんと楽しそうだが、その楽しみは私に分け与えられない類のものなのだろうな」

「すいません。おそらく無理です」

「まあ、いい。明日、大空の庭シエル・ガーデンにアオイを連れて来るようクレアに言っておいてくれ」

 今日のところは帰るとウィルに言い置いてから、ハーヴェイは部屋の隅で大人しくしている実弟へ歩み寄った。声をかけながらキリルの頭を撫でると、それで別れの儀式が済んだかのようにハーヴェイは呪文を唱え出す。ハーヴェイの姿が室内から消えるとキリルの表情が一変したため、質問攻めに遭う前に逃げるが吉だと思ったウィルも早々に転移の呪文を唱えた。






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