企み

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 ウサギに抱えられながら保健室へ辿り着くと、そこでは余所行きの体裁を整えたアルヴァが仁王立ちで待ち構えていた。無表情の彼からは常にはない威圧感が漂っていて、アルヴァが怒っていることを察した葵は頬を引きつらせる。まるでアルヴァが怒っていることを証明するかのように、保健室の中に突入したウサギは葵を手荒にベッドへと放った。

「お嬢」

 ウサギが入って来た時に開け放したままだったドアからクレアが顔を覗かせたため、アルヴァから発せられていた無言の重圧が一瞬にして消えて行く。クレアがいるうちは安心だと察した葵は、簡易ベッドの上でホッと息を吐いた。校医の顔に戻ってクレアを迎えたアルヴァは葵のいるベッドの隣に椅子を置くと、クレアにそこへ腰かけるよう勧める。クレアが空いているベッドにマトを寝かせたため、ベッドの反対側へと回ったアルヴァはマトの体を観察するように覗き込んだ。

「表面的な傷は微々たるものですね。ただ、あれだけ長いこと魔法空間に拘束されていると粗悪な魔力が体内に残っている可能性があります。触れて、診てもいいですか?」

 魔法生物であるマトは言葉を持たない代わりに接触によって人間とのコミュニケーションを量る。デリケートな魔法生物は意思の疎通をする相手を選ぶため、アルヴァはマトの主人であるクレアに判断を委ねたのだった。事情が事情なだけに、クレアは躊躇なくアルヴァに頷いて見せる。

「今は気を失っとるから、触れても平気なはずや」

「それでは、失礼します」

 そう言い置いたのはアルヴァだったが、実際マトに手を触れたのは彼ではなく保健室の主であるウサギだった。ウサギの短い前足が表皮に触れた刹那、マトの体が大きく跳ねる。ウサギの前足が表皮から離れると、マトは再び沈黙した。

「な、何や? 今のはどういうことや?」

 マトの反応に不安を煽られたようで、クレアは縋るような瞳でアルヴァを仰いだ。彼女に余裕がないことは、アルヴァに対する態度が如実に物語っている。今はもう、好みのタイプだからといって猫をかぶっている場合ではないようだ。

「落ち着いてください」

 クレアに応えたアルヴァの声は冷静だった。彼の冷静さが静かに困惑を鎮めていったようで、クレアは大人しく口をつぐむ。クレアが落ち着いたのを認めてから、アルヴァは改めて説明を始めた。

「不純物が混ざっているせいで体内の魔力が伝達障害を起こしているようです。彼のものではない魔力を体内から排除すれば、おそらく大丈夫でしょう。処置を進めていいですか?」

 魔法生物は専門外であることを明確にしてから、アルヴァは再びクレアに判断を仰いだ。自分ではどうにも出来ないと思ったのか、クレアは少し間を置いた後に頷いて見せる。クレアから許可が下りたため、アルヴァは脇に控えていたウサギに指示を出した。

 アルヴァの指示を受けたウサギは保健室内を飛び回り、様々な物をかき集めてきた。一通りの道具が揃うと、アルヴァはベッドに横たわるマトに手をかざして何かの呪文を唱え出す。マトの体が淡い光に包まれるとアルヴァの横に控えていたウサギが動き出し、マトの体に太い針を突き刺し始めた。その光景が衝撃的だったらしく、処置の様子を見守っていたクレアが悲鳴を上げる。

「落ち着いて見て下さい。今、彼の体から不純物が抜けますから」

 アルヴァの言葉が終わりきらないうちに、針を刺されたマトの体から黒い煙のようなものが立ち上ってきた。黒いものが体から抜けきってしまうとすかさず、ウサギがマトの体から針を引き抜いていく。その後、予め用意してあった薬を針の痕に塗りこみ、包帯で傷口をぐるぐる巻きにすると、処置は終わったようだった。

「後は安静にさせて、二・三日様子を見て下さい」

 それでも状態が良くならなければ専門医を探すよう助言すると、アルヴァは早々の帰宅をクレアに促した。マトの体を優しく抱き上げたクレアはすぐに立ち去ろうとはせず、隣のベッドにいる葵に視線を移す。だがクレアが口火を切る前に、アルヴァが再び言葉を重ねた。

「彼女は二・三日、僕が様子を見ます」

 振り返ったクレアに気を取られていた葵はアルヴァの唐突な提案に反応を返すことが出来ず、ぽかんと口を開けた。葵に向かって何かを言いかけていたクレアは唇を結び、無言でアルヴァを振り返る。そうしてアルヴァと目が合うと、クレアは彼に向かって深々と頭を下げたのだった。

「お嬢、おたくの体が治ったら話がある」

 再び葵を振り向いたクレアはそれだけを言い置くと、マトを連れて保健室を出て行ってしまった。葵がベッドの上で呆気にとられているうちに事態はどんどん進んで行き、クレアが姿を消すとすぐ、アルヴァが短い呪文を唱え出す。いつもの、窓のない部屋へと連れて来られてしまった葵はハッとしてアルヴァを振り返った。きちんと整えられていた服装を早くも乱し始めているアルヴァの顔にはもう愛想というものが感じられず、彼が怒っていることを改めて実感した葵は恐る恐る呼びかけてみる。

「アル……」

「何?」

「怒ってる……んだよね?」

 葵の問いかけにアルヴァは嘆息でもって応じてきた。とりあえず謝っておいた方が良さそうだと察した葵が頭を下げると、アルヴァはさらに深く長いため息を吐き出す。

「そのローブ」

「え? ローブ?」

 アルヴァが不意に指を差してきたので、葵は改めて自分の出で立ちを確認してみた。するとローブは所々が焼け落ちていて、剥き出しになった素肌からは血が流れ出している。真っ白だったローブが赤く染まっているのを目の当たりにした葵は貧血のような眩暈を起こしてベッドに倒れこんだ。

「いっ、いたた……」

「それだけの傷を負えば、まあ、そうだろうね」

 言うが早いか、葵のいるベッドへと近付いて来たアルヴァは問答無用の勢いでローブを剥ぎ取り始めた。突然の凶行に驚いた葵は慌てて体を起こし、胸元の布を掻き合わせながらアルヴァと距離を取る。

「な、何するの!?」

「何って、手当てだよ。恥じらってる場合じゃないことくらいミヤジマにも分かるだろう?」

「う……」

 確かに、体は悲鳴を上げている。それは負傷している葵自身が一番よく分かっていた。しかしそれでも、アルヴァの前で素肌を晒すのは抵抗がある。まだ我慢出来ないほどの痛みではなかったために羞恥心の方が勝ってしまい、葵はアルヴァに身を委ねることが出来ないまま彼との距離をさらに広げた。ベッドの上でじりじりと後退する葵の姿にアルヴァは呆れたような息を吐く。

「分かったよ」

 仕方がなさげにそう言うと、アルヴァは『アン・リュミエール、アジュストゥマン』と呪文を唱えた。アルヴァの呪文に反応し、窓のない室内を照らしている明かりが一気にトーンダウンする。蝋燭で作り出した明りのような淡い色彩に包まれた室内は、もはや保健室というにはムーディーすぎる雰囲気を醸し出していた。

「これで服を脱いでも気にならないだろう?」

 アルヴァは真面目な顔でそんなことを言ってのけたが、何かが違うと思った葵は反応を返すことが出来なかった。だが準備は整ったと言わんばかりにアルヴァが腕を伸ばしてくるので、それを慌てて払い除けた葵は顔を赤くしながら口火を切る。

「分かったってば! 自分で、やるから」

 アルヴァに後ろを向いているよう命令した後、ボロボロになったローブを急いで脱ぎ捨てた葵はベッドシーツを利用して可能な限り露出を抑えた。肌が露わになると、傷が腕の辺りに集中していることが見て取れる。ベッドに横向きに腰かけたアルヴァは葵の腕を取り、そこに何かの液体を優しく塗りつけていった。

 包帯を巻いたところで腕の手当てを終えると、今度はアルヴァからベッドに伏せるよう指示が出た。それは下着一枚の姿になっている葵にとって背中を露わにしろという指示であり、躊躇いを感じた葵は眉根を寄せる。葵の渋い表情を目にしたアルヴァは明らかに面倒そうな表情になり、深々と嘆息して見せた。

「子供の裸体なんて見ても何も感じないから安心しなよ」

「ちがっ……!」

「いいから、黙って」

 真っ赤になって反論しようとした葵の言葉を遮ると、アルヴァは器用に葵の体をひっくり返した。自分の意思ではなく回転させられたおかげで体のあちこちに痛みが走り、葵は悲鳴を上げる。しかしアルヴァは葵の苦痛には構わず、さっさと作業を進めて行った。

「ずいぶんと締め付けのきつい下着をつけているんだな」

 恥ずかしげもなくさらっと感想を口にするや否や、アルヴァは馴れた手つきでブラジャーのホックを外した。胸元の締め付けが不意に緩んだことに、葵は硬直する。

「背中に跡がついている。いざという時に幻滅されないよう、身につけるものは選んだ方がいい」

 本気のような冗談のような口調で「今度プレゼントしてあげるよ」などと言っているアルヴァの声を、葵はもう聞いていなかった。素肌に触れる男の手が、思い出したくもない記憶を呼び覚ましたからだ。






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