企み

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(怖い……っ!)

 アルヴァにそんな気がないことは分かっている。だがあの時も、葵は無理矢理組み敷かれる瞬間までロバート=エーメリーのことを信用していた。そんなつもりはなくとも簡単に均衡は崩壊する、それが男と女なのだ。先の一件でそのことを理解してしまった葵には、この状況自体が怖くて仕方がなかった。

 葵の異変を察したのか、背中に感じていたアルヴァの手がふと離れて行った。シーツを握り締めることで恐怖に耐えていた葵は背中に伝う他人の温もりがなくなったことにホッとし、体に入っていた力を緩める。だがその直後、葵は大きく体を震わせた。再び下りてきたアルヴァの手が、かなり臀部でんぶに近い背中に触れたからだ。

「や……」

 やめてと叫ぼうとした葵の声は震えていて、まともな言葉にはならなかった。体を起こそうと力を入れた腕も震えていて、結局は自分の体重を支えきれずに肘が折れてしまう。だが必死にもがく葵の姿を見ながらも、アルヴァは手を離そうとはしなかった。

「ミヤジマ。僕が今、手を触れている場所をよく覚えておくんだ」

 それまで無言でいたアルヴァが、ようやく口を開いた。顔を見ることは出来なくてもその声は平静そのもので、彼の突然の行動にパニックに陥っていた葵は少しずつ冷静さを取り戻していく。おそらくは葵が落ち着くための間を置いてから、アルヴァは先程口にした科白の真意を語った。

「ここに、世界の狭間を通ってきた者の証がある」

「あかし……」

「ミヤジマが『召喚獣』だという証だよ」

 召喚獣という単語がアルヴァの口から飛び出したことにより、葵は彼の言葉が意図するところを理解した。召喚獣とは異世界からやって来た者の総称であり、獣の姿はしていなくとも、葵も召喚獣の一員なのである。そして世界の狭間を越えてやって来た召喚獣たちには、その体のどこかに証が刻まれている。それが葵の場合には臀部にかなり近い腰部に刻まれていて、場所が場所だけに、葵も自身の証が実在することをこの時に初めて知ったのだった。

「ど、どうなってるの?」

 証がどんな物なのか確かめようとした葵はベッドの上で体をひねってみたのだが、そうしたところで体の裏側を完全に見渡せるものではない。また、起き上がったことにより半脱げだったブラジャーがずり落ちていったので、葵は慌ててベッドに体を密着させた。

「ねぇ、アル。そこにどんなものがあるの?」

「場所は分かったんだし、後で自分で見てみなよ」

 おそらく、言葉で説明するのは難しいものなのだろう。そう言うと、アルヴァは葵から手を離した。呪縛から解放された葵は何を考えるよりも先にまず、ベッドシーツを引っ張り上げて体を隠す。その後はベッドにうつ伏せたままなんとか下着を付け直し、体を回転させて起き上がった。

「大きさ自体はこんなもんだったよ」

 アルヴァが親指と人差し指で丸を作って見せたので、思ったよりも大きさがないことに葵はホッとした。

「なんだ、けっこう小さいんだね」

「問題は位置だよ。下着に完全に隠れないあたりがいやらしいね。スカートを履く場合は後ろからめくられないように気をつけて」

「この学校にそんなことする人いないでしょ」

「学園内だけじゃなく、外での態度にも気を配って欲しいね。特に性交。もしそういうことになったら体位には……」

「そーゆー話はいいから」

 話がよからぬ方向へ転がっていくのを早めに防いだ葵は、とにかく他人に見せないようにと釘を刺したアルヴァに頷いて見せた。話が一段落すると、アルヴァは改めて葵にベッドでうつ伏せになるよう指示を出す。その理由は、マトの体に突き立てたあの針を、葵の体にも刺すからなのだという。

「えっ……あの針、刺すの?」

 痛みを想像してしまった葵は頬を引きつらせたのだが、アルヴァは真顔のまま頷いた。

「ミヤジマの体にも魔法の影響が残っている恐れがある。不純物は取り除かないと害になるからね」

「うーん……」

 理屈は分かるものの体に針を刺すという初めての体験が持つ恐怖の方が勝り、葵はなかなか首を縦に振ることが出来なかった。葵がウダウダと悩んでいると、リラックスさせようという意図からか、アルヴァがまったく別の話を持ち出してくる。

「あのローブだけどね」

「ローブ?」

 さっきも同じような発言を聞いたなと思いながら、葵はベッド脇に佇んでいるアルヴァへと視線を転じた。身を屈めたアルヴァは床から白いローブを拾い上げ、葵の目前に掲げて見せる。改めて見るとローブはひどくボロボロになっていて、とても再び袖を通せるような代物ではなくなっていた。

「このローブが、何?」

「トリニスタン魔法学園の制服は特注品なんだ。生徒が着ているものから教師が着ているローブまで、様々な魔法に耐えられるよう特別な糸で織り込んである。言わば、最初の防衛線だね」

「最初の?」

「そう。第二の防衛線は個人が有している魔力だ。以前にも話したと思うけど魔力は普通、様々な形態でもって所有者の周囲を漂っている。これが魔法から身を守る盾になっているわけだけど、ミヤジマにはそれがない」

 何か、平然と恐ろしい話をされているように感じた葵はおもむろに顔をしかめた。しかしアルヴァの方には脅しているといった実感はないようで、彼はあくまでも淡々と話を先に進める。

「第三の防衛線は体の内側で生成されている魔力だ。よっぽど強い魔法にあてられない限りは、最終ラインであるこの魔力が害毒を弾き返す。これも、ミヤジマが持っていないものの一つだね」

「……もしかして私、けっこうやばい?」

「軽挙妄動、ってやつだね。ミヤジマはもっと、自分が他人と違うことを自覚する必要があると思うよ?」

「だったら何で助けてくれなかったのよ!」

 魔法から身を守る術のない葵が魔法によって傷つけられたのは、何も今回が初めてのことではない。マジスターと関わりを持ったせいで全校女子生徒を敵に回した時も、マジスターから攻撃を仕掛けられた時も、高みの見物を決め込んでいたアルヴァは助けてくれなかった。助けようとする素振りさえ見せずに平然と不安を煽る態度に葵は怒りを感じたのだが、それを今回のことのみとして捉えたらしいアルヴァは不可解そうな表情になって口火を切る。

「僕の制止を振り切って自分から飛び出して行ったくせに、助けられるのが当然だと思うのは傲慢なんじゃないか?」

「さっきのことだけじゃないよ!」

 怒りに支配された葵が洗いざらい不満をぶちまけると、アルヴァは眉根を寄せて空を仰いでしまった。文句を口にしたことで少し気分がスッキリした葵はいつの間にかずり落ちてしまっていたシーツを慌てて胸元まで引き上げる。少し考えをまとめるような時間を置いてから、真顔に戻ったアルヴァは葵に向き直った。

「ミヤジマ、やはり旅に出よう」

 アルヴァは以前にも、葵に世界を巡る旅に出ないかと持ちかけたことがあった。だがそれが、今話し合っていることと何の関係があるのか。はぐらかされたように感じた葵は不愉快に顔を歪めたのだが、アルヴァは眉一つ動かすことなく言葉を次いだ。

「校内で何かが起きる分には対処が出来ると思っていた。今までにも幾度かミヤジマが魔法に晒されたことはあったけど、何とかしてきたからね」

 表立って助けるようなことはなかったものの、アルヴァは葵を放任してきたわけではない。アルヴァは彼なりのやり方で葵を陰ながら助けてきたのだ。しかし陰の努力は護られている本人にすら護られているという実感を抱かせないもので、葵はアルヴァが助けてくれていたらしいことを今初めて知った。護られている実感がないことで葵がこんなにも怒るとは思わなかったのだと、アルヴァは話を続ける。

「僕らはまだ相互理解が足りないんだよ。お互いを理解しようとするにあたっては世界の壁が邪魔をしている。でもそれは、仕方のないことだと思う。だって僕らは生まれ育った世界自体が違うんだから」

 アルヴァは真面目に何かについて語っていたが、葵にはその『何か』が理解出来なかった。眉根を寄せて首を傾げるしかない葵に、アルヴァはさらなる説明を加える。

「僕が言いたいのは、僕らはもっとお互いを知る必要があるってことだよ。そのためにはミヤジマにこの世界のことをもっと知ってもらう必要があるし、僕はミヤジマが生まれ育った世界についてもっと理解を深める必要がある」

 お互いを熟知していれば無駄な口論も防げるし、何よりも行動の先読みが出来れば突発的な事態に対処することが出来るようになる。今回のことを例に挙げると、アルヴァが事前に葵とマトの関係を知っていて、なおかつ彼女の性根を把握していれば、葵が彼を助けに行くことを予測して制止することも出来た、というわけだ。何か納得のいかない部分はあるものの世界を知ることは自分のためにもなると思った葵はアルヴァの提案に同意を示した。

「でもその前に、まずは体を治さないとね」

 話が一段落したところで再び、アルヴァは葵にうつ伏せになるよう強要してきた。じりじりと迫ってくるアルヴァにまたひっくり返されても堪らなかったので、葵は半ばヤケクソ気味に指示に従う。葵がベッドに伏せたのを確認したアルヴァは「痛くないよ、たぶん」などと完全に他人事な口調で葵の不安を煽りながら治療を開始したのだった。






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