企み

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 星の瞬く隙のない夜空では上ったばかりの伽羅茶きゃらちゃ色の二月がぽっかりと浮かんでいた。夜を支配している月はくすんだ色彩の光を地上に放っていて、辺りをぼんやりと染めている。丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校の校舎も月明かりを浴びて薄暗い影と化していたが、窓のないその部屋には月の光が差し込んでくることはなかった。簡易ベッドが並ぶ保健室に酷似したその部屋で読書をしていたアルヴァはふと、保健室に誰かが侵入した気配を察して目を上げる。閉ざした本を机に置くとカーテンが引かれているベッドの方を一瞥してから、アルヴァはその部屋の内部にある別室へと移動した。

「ソマスィオン、レリエ」

 呪文を唱えると何もなかったはずの空間に細長い棒のようなものが出現し、待ち構えていたアルヴァの手の中にすっぽりと収まった。机と椅子が置いてあるだけの小部屋で椅子に腰かけると、アルヴァは机の上にレリエを横たわらせる。続いてアルヴァが「アペル・0099」と唱えるとレリエの上方がスクリーンと化し、そこに真っ赤な髪色をした少年の姿が映し出された。

 アルヴァが召喚した『レリエ』とは通信魔法に使用する魔法道具マジック・アイテムである。レリエは魔力の消費を抑えるための補助アイテムであるため音声のみでの会話が一般的なのだが、少し手を加えるとテレビ電話のような使い方も可能なのだ。アルヴァが使用しているレリエはさらに手が加えられているため、こちらには映像が届くが通信相手には音声しか届かない。保健室にいるウサギを介しての会話となるため、アルヴァが声をかけるとウィルはひどく驚いたような表情をした。

『ウサギを前にしているのに別人と話してるなんて気分が悪い。こっちにも映像送ってよ』

「悪いけど、ちょっと立て込んでいるんだ。今夜はこのままで話をさせてもらう」

 申し出を拒否すると、ウィルは納得がいかないといった表情になった。だが彼の意向を汲む義務もなかったため、アルヴァはそのままで話を進める。

「それで、何の用?」

『用ってほどのことでもないんだけど。あの後、彼女達がどうしたかと思って』

 ウィルの言う『彼女達』とは、おそらく葵とクレアのことだろう。どうやら彼もどこからか、あのクラス対抗戦を見物していたらしい。好都合だと思ったアルヴァはウィルの問いに答える前に自身の疑問を口にした。

「あの後、クラス対抗戦はどうなった?」

『さあ?』

 もともとクレアの試合を見るために足を運んだため、彼女が姿を消すとウィル達もすぐ帰ってしまったらしい。疑問の答えを得ることは出来なかったがウィルが素直に応じたため、アルヴァも情報でもって彼に応えた。

「クレア=ブルームフィールドが連れている魔法生物は処置を施したから、おそらくは大丈夫だ」

『さすが……というか、当然と言うべき? 人工の魔法生物を生み出せるくらいだから魔法生物の生態には詳しいんだろうし』

「棘のある持ち上げ方だね。何か気に障ることでもあったのか?」

 アルヴァがそう問いかけると、ウィルは血の誓約サン・セルマン箝口かんこうが気に入らないと言ってのけた。ろくに誓約の内容を確かめもせず知識を欲したのは彼であり、今さらでしかないウィルの不満にアルヴァは苦笑いを零す。

「儀式を伴う誓約とはそういうものだよ」

『それにしても、アオイへの箝口は厳しすぎる。フロンティエールの出身だって答えるのさえダメだったら雑談も出来ないよ』

 ウィルが何気なく零した一言が妙に引っかかったアルヴァは、そこで会話を中断して考えを巡らせた。アルヴァの反応はウィルに見えていないので、突然の沈黙を訝ったらしい彼はレリエの映し出す映像の中で眉をひそめている。

『何? どうしたの?』

「……ミヤジマ=アオイの話を、誰としようとしたんだ?」

 ウィルが雑談をしようとした相手がマジスターの仲間であるキリルやオリヴァーであるのなら、問題はない。だがこの学園には今、アルヴァにとって非常に好ましくない人物が滞在しているのだ。そうしたアルヴァの危惧を見透かしたかのように、ウィルは嫌な笑みを浮かべて見せる。

『それってさ、ただの好奇心?』

 聞き覚えのある科白を再び聞く羽目になった時、アルヴァは事態があまり自分にとって好ましい方向には転んでいないことを察した。しかしここで怯んでしまってはウィルの思う壺なので、アルヴァは密かに嘆息してから口調を改める。

「そうだよ、ただの好奇心だ」

『もう察しはついてると思うけど、ハーヴェイさんだよ』

 ウィルから返ってきたのは案の定な答えで、アルヴァはおもむろに眉間にシワを寄せた。どうやらウィルは血の誓約をすり抜けて、何かアルヴァにとって好ましくない情報を入手したらしい。それをにおわせることで無言の圧力をかけるのが、彼が今宵保健室を訪れた本当の目的というわけだ。

(さすがはヴィンスの血に連なる者、だな)

 ヴィンス家は領地を持たない公爵で、土地を治める代わりに膨大な知識を王室に献上している。そういった家柄だからなのか、ヴィンスの者には情報に対して貪欲な人間が多い。ウィルもヴィンス家の例に漏れずといった性質をしていて、その情報収集能力と機転を最大限に活用してアルヴァより優位に立とうとしているのだ。どうやら彼は手駒にするには優秀すぎたようだが、今さら後にも引けない。妙な対抗意識を持たれる前にこちらが折れた方が得策だと思ったアルヴァは作戦を変えてみることにした。

「ハーヴェイ=エクランドは何故、ミヤジマ=アオイを気にしていたんだ?」

『たぶん、この場所の窓が開いたからだろうね』

 ウィルがいる場所は『アルヴァの部屋』ではなく、アステルダム分校の『保健室』である。その場所で日中、葵と共にクラス対抗戦を観戦していたアルヴァはウィルの一言で全てを悟った。

「僕の魔力が漏れ出たから、か……」

『ハーヴェイさん、すごく気にしていたよ。知り合いなら、会いに行ってあげれば?』

「彼には会えない。会いたくない」

『へぇ。嫌いなの?』

「好きとか嫌いとか、そういった感情で片付く問題じゃないんだ」

 子供にはまだ分からないかもしれないがと嫌味を付け足しそうになって、アルヴァは自らの発言を封じるために口元に手を当てた。素直に答えたことでアルヴァを少し懐柔出来たと感じたのだろう、スクリーンの中のウィルは勝ち誇ったような表情をしている。機転も利くし頭もいいが、メンタル面ではウィルもまだまだ子供だ。子供のお守りは一人で十分だと密かに嘆息してから、アルヴァは再び口火を切った。

「僕はあまり、人前に出たくないんだ。ミヤジマ=アオイとクレア=ブルームフィールドのことを頼んでもいいか?」

『保証は出来ないけど、エクスペリメンターの不利になるようなことはしないつもりだよ。血の誓約サン・セルマンの圧力もあるしね』

「十分だ」

 これ以上話をしていてもお互いに得るものはなさそうだったため、アルヴァとウィルはどちらからともなく話を切り上げた。机の上に置いていたレリエを再び別次元へとしまった後、アルヴァは一つ息を吐いてから別室を後にする。簡易ベッドが並ぶ部屋へと戻ったアルヴァはその足で、カーテンが引かれているベッドへと向かった。

 静かにカーテンを開けてみると、ベッドの上では黒髪の少女が寝息を立てていた。その姿は先程までと変わらず、彼女が起き出さなかったことを知ったアルヴァは安堵の息を吐く。ベッドの脇には椅子が置いてあったため、アルヴァは出来るだけ音を立てないよう腰を落ち着けた。

 普段はアルヴァしか使用しないベッドで寝入っているのはミヤジマ=アオイという名の少女だ。彼女がこの世界へやって来た日から、アルヴァの受難の日々は幕を上げたと言っていいだろう。だが彼女の存在は厄介であると同時に、好奇心を激しく刺激されるものでもある。近頃ではこうして間近で観察する機会も少なくなっていたため、アルヴァはまじまじと葵の寝顔に視線を注いだ。

(影響は、今のところ見られないか)

 どのような類のものであれ魔法は通常、人間に向けて使うようなものではない。だが攻撃魔法や召喚魔法が実証している通り、大前提などとうの昔に覆されているのだ。本来の用途から外れてしまった魔法から身を護るために、この世界の者達は日常的に様々な策を講じている。そうした努力を怠ることが出来ないのは裸の状態で魔法を食らった場合、体に様々な影響を及ぼすからだった。

 展開している魔法に自分から突っ込んで行った葵の体には、やはり魔法の痕跡が残っていた。これは魔法を使用する際に消費された魔力の残りカスのようなもので、体内に取り込まれると害悪の源となる。普通は体内に入り込む前に魔法を食らった人間自身が持つ魔力が防ぐものなのだが、それがない葵にはマトと同じ方法で体内の不純物を取り除く処置を施した。だが元々魔力を有している魔法生物とは違い、葵には自身の魔力というものが存在しない。注意深く経過を窺う必要があるため、アルヴァは彼女に三・四日の謹慎を命じたのだった。

 特に苦しむような様子もなく寝入っている葵の顔を見ながら、アルヴァは今後のことについて考えを巡らせていた。今回のようなことが今後も起こり得る可能性は、残念ながら極めて高い。葵には相互理解を深めることでアルヴァ自身が抑止力になるという話をしたが、それで全てがうまくいくはずもないことをアルヴァはすでに承知していた。

装飾品アクセサリーに僕の魔力を込めて、いざという時に身を護る魔法の呪文スペルを刻んでおくか……)

 最善策ではないが、これが一番無難な作戦である。そう思ったアルヴァは作業を開始しようと腰を浮かしたのだが、ある人物の顔が脳裏をよぎったため、ふと動きを止めた。

(外から護るんじゃなくて内側に魔力を溜め込んでおけば、効果が期待出来るかもしれない)

 発案のキッカケはハーヴェイ=エクランドが弟にかけたという人体に作用する魔法だった。彼はおそらく幼少の時から、弟のキリル=エクランドに自らの魔力を与え続けてきたのだ。ハーヴェイの魔力はキリルの体内で彼の魔力と混ざり、それが現在まで続く強制力を生み出している。それと同じことが出来ないかと、ベッド脇に佇んだアルヴァは考えを巡らせた。しばらくそのまま動かないでいた彼は、やがて腹を決めた様子で葵の頬へと手を伸ばす。熟睡している葵を起こさないよう慎重に顔を上向かせたアルヴァは、そのまま静かに口唇を重ねた。






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