出発

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「早かったですね」

 アルヴァが視線を傾けたので、葵もつられてアリーシャを見る。折り畳んだ制服を壊れ物のように抱えているアリーシャは葵の元に向かいながらアルヴァの声に応えた。

修復リストレーションって言ってもシワを伸ばしただけだからね。魔法の修復がないと楽だわ。斬新なデザインだから複製コピーの模りに手間取っちゃったけど。ミヤジマちゃん、あっちの部屋で着替えてくるといいわ」

 『ミヤジマちゃん』という初めての呼ばれ方に微妙な違和感を覚えながら葵はアリーシャの助言に従った。奥の部屋はベッドルームになっていて、一人暮らしらしく質素なベッドが置かれている。このくらいが普通だよなと周囲を見回しながら、葵は修繕された制服に袖を通した。

(うわっ、新品みたい)

 アリーシャはシワを伸ばしただけだと言っていたが、ワイシャツは糊が利いていてパリパリである。スカートのプリーツもしっかり折り目がつけられていて、新一年生になったような気がした葵は自然と背筋を伸ばしていた。

 着替えを終えてベッドルームを後にすると、若返ったような気分は一気に萎えた。扉を開けた途端にアルヴァとアリーシャのラブシーンを目撃する羽目になったからである。反射的に扉を閉ざしてしまった後で、葵は「しまった」と思った。これでは室外の様子が分からず、出て行きにくい。

(あのまま出ちゃえば良かった)

 葵がそんな後悔をしていると、外から扉を叩く音が聞こえてきた。そのすぐ後にはアリーシャの声がして、着替えが終わったかと問いかけてくる。アリーシャに助けられた葵はベッドルームを出ると、室内を見回した。つい先程までアリーシャとイチャついていたはずのアルヴァの姿がない。

「あの……アルは?」

「下の店でマントを選んでるわ」

「マント?」

「エアコンディションだけじゃなく、クリーニングの魔法もかかっている方がいいって言ってたから旅装用じゃないかな。二人でどこかへ行くの?」

 アリーシャの口調には嫉むような調子は含まれていなかったが、答えてしまっていいものか判断に困った葵は口をつぐんだ。するとアリーシャは警戒を露わにしている葵の顔を覗き込み、何故かふわりと笑みを浮かべる。

「そうやって実際に着ている姿を見ると、やっぱりカワイイわね。そのデザイン、リスペクトさせてもらっていいかな?」

 疑問の答えを得ていないにもかかわらず、アリーシャは葵が着ている制服のデザインに話題を移行させた。アリーシャがアルヴァの彼女ならば当然、ここは問い詰めるべきだろう。そう思って身構えていた葵は拍子抜けして、明るく笑っているアリーシャの顔をまじまじと見つめる。

「あの、アリーシャさんって……」

「アリーシャ、でいいわよ。同じ人を好きな者同士、仲良くしましょう?」

 何故そこで、仲良くなどという発想が出てくるのか。葵が抱いた素朴な疑問は、アリーシャの次の発言によりますます混迷を深めることとなる。

「わたしは十三日。ミヤジマちゃんは何日?」

 意味が分からない。葵がそう頭を抱えたところで、アルヴァが布を抱えて戻って来た。折り畳まれているそれは、アリーシャの言っていたマントなのだろう。

「では、ミヤジマ。そろそろ行きましょうか」

 着替えが終わっているのを見たアルヴァは葵にそう言うと、アリーシャに向き直った。空いている片手でアリーシャの頭を引き寄せたアルヴァは彼女の口唇に軽く口づけをし、耳元で何かを囁いている。笑みを零したアリーシャがアルヴァの頬にキスをすると、それで彼らの別れは済んだようだった。

「ミヤジマちゃん、またね」

 笑顔で手を振っているアリーシャに小さく頭を下げてから、葵は先に歩き出したアルヴァの後を追った。

「何か、言いたそうな表情ですね」

 アリーシャの店を出るなりアルヴァが顔を傾けてきたので、色々と言いたいことも尋ねたいこともあった葵は眉根を寄せながら口火を切った。

「恋人……って解釈していいんだよね?」

「アリーシャは十三日の恋人です」

「アリーシャさんも同じこと言ってたけど、十三日って何?」

「十三日に会うという意味です」

 それは逆に言えば、十三日しかアリーシャには会わないという意味になるのではないだろうか。そう考えればアリーシャの不自然な言葉の数々にも納得がいくような気がして、葵はますます眉間のシワを深めた。

「私は何日って訊かれたんだけど、もしかして一日ずつ別の人がいるの?」

「休日と、今は一日と二十六日が不在です」

 アルヴァは涼しい表情で言ってのけたが、それは恋人とは呼べないだろう。今までの経験から、この世界の恋愛観が自分とさほど変わらないことを知っている葵はアルヴァの言い種に呆れてしまった。同時に、彼の奇妙な恋愛観を聞いたのが今で良かったと改めて思う。これがこの世界の常識なのだと勘違いしていたら、誰かを好きになろうという気さえ起こらなかっただろう。

(ハーレム発言、本気だったんだ……)

 最近は聞かなくなったが出会った当初、アルヴァはよくハーレムをつくるのだと言っては葵を困らせてきた。その当時はこの世界のことをよく知らなかったため半信半疑だったのだが、三十人弱も恋人を持つ彼ならば本気でハーレムをつくってしまうことも出来そうだ。猫をかぶっているアルヴァに心酔している友人がいるだけに、葵は渇いた笑みを浮かべた。

「そんなんで旅行とか行っちゃって大丈夫なの?」

 アルヴァの恋人達からしてみれば、月に一度の逢瀬を邪魔されることになるのだ。恨みでも買ったら堪らないと葵は思ったのだが、アルヴァはやはり事も無げに頷いて見せる。

「僕の恋人達は皆、大人ですから」

 罪悪感など微塵も感じさせずにそんな科白が口をついて出るのは割り切った関係、ということなのだろう。おそらくはアリーシャのように大人の対応ができる人物でなければ恋人にしないのだろうが、葵は何だかなぁと呟きを零した。

「アルさぁ、他人ひとの恋愛に余計なことする前に自分の恋愛観を見直した方がいいと思うよ?」

「ミヤジマも言うようになりましたね」

「だって、変じゃん。恋人なのに月に一回しか会えないとかさ。恋人がいっぱいいるのって要は、誰のことも本気じゃないってことでしょ?」

「『本気』の席はミヤジマのために空けてありますから。座りたくなったらいつでも言ってください」

「…………」

「さて、お喋りはここまでにしましょう」

 胡散臭い笑みを浮かべていたアルヴァは、そう言うと真顔に戻って歩みを止めた。歩いているうちにいつの間にか始発点に戻って来ていて、街の広場には移転用の魔法陣が描かれているのが見える。次々と人が現れたり消えたりしている魔法陣の少し手前で立ち止まったアルヴァは、葵を振り返ると手にしていたマントを差し出してきた。見様見真似でマントを着用してみると何だか旅の気分が高まってきて、少しワクワク感を取り戻した葵は瞳を輝かせながらアルヴァを見る。

「最初はどこに行くの?」

「まずは王都へ行きましょう」

 今まで、幾度となく耳にしてきた王都という言葉。それが誰かの口に上るとき、絵空事のように聞こえていたのは自分には関わりがない場所だと思っていたからだ。しかし今、空想は現実のものになろうとしている。

(しっかり見てこよう)

 与えられるのを待っているのではなく、自分から掴み取りに行くために。決意を新たにした葵はマントの下で密かに胸に手を当て、魔法陣へと歩み寄って行くアルヴァの後に従った。






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