貴族の事情

BACK NEXT 目次へ



 アン・カルテという魔法で世界地図を描き出したとき、そこには大陸が二つ存在している。地図のちょうど東西に位置している大陸は西の大陸をファスト、東の大陸をゼロという。ファスト大陸の約三倍ほどの面積を誇るゼロ大陸はスレイバルという王国が統治していて、その首都(王都)であるラカンカナルの街並みは壮大秀美なものだった。王都は丘陵の頂にある王城を中心として、四方八方に中世ヨーロッパ風の街並みが広がっている。家屋の雰囲気などはアステルダム公国にあるパンテノンという街と同じだが、規模も壮麗さもパンテノンと王都では桁違いだった。

 地方と王都を比べた時の最大の相違点は、そこに住む人間の差だ。トリニスタン魔法学園の本校があるこの地は多くの貴族が本邸なり別邸なりを構えているため、魔法に長けた者達が集っている。そのためあちこちで、今まで目にしたことがないような魔法や魔法道具マジックアイテムが平然と使われていたりするのだ。その一例として挙げられるのが魔法のじゅうたんのようなマジックアイテムや、翼の生えた異形の生物達の存在である。それらが自由に飛び交っているため、王都の空はずいぶんと賑やかだった。この空を賑わすモノ達は、王都の他では滅多に目にすることはない。

 炎の月(終月しゅうげつ期)の一日。王都の街並みを一望できる宿の一室に少女と青年の姿があった。肩まで伸びた黒髪に同色の瞳といった容貌をしている少女の名は宮島葵、鮮やかな金髪にブルーの瞳といった容貌をしている青年の名はアルヴァ=アロースミスという。今宵の宿となるであろう部屋に初めて足を踏み入れた葵は窓から見える景観の素晴らしさにまず目を奪われ、フラフラと窓辺へ寄った。しかし窓を開けてバルコニーに出る前に、背後からアルヴァの声が飛んできて制される。不可解に思った葵が背後を振り返ると、マントを脱ぎ捨てたアルヴァはすでに何らかの作業を始めていた。

「何してるの?」

 葵の疑問に少し待つよう答えたアルヴァは、そのあと黙々と作業を続けた。部屋の四隅と中央に手早く魔法陣を描くと、彼は最後に手がけた中央の魔法陣の上で動きを止める。そこでアルヴァが「クレアジィオン」と呪文を唱えると、彼の手の中に不透明な色彩をした卵がぽとりと落ちた。

「何それ?」

魔法の卵マジック・エッグ。王都にいる間はここを拠点にしようと思ってね」

 アルヴァの口調が素に戻るのは、他人に聞かれたくない話をしても大丈夫だという合図だ。そのことを承知している葵は一息ついて、それからまじまじと卵を眺める。魔法の卵マジック・エッグという単語が何を意味するのか、一時期は卵の中に創られた『世界』に住んでいたこともある葵はすでに知っていた。しかし実物の『卵』を見るのはこれが初めてである。

「不思議な色」

 アルヴァの手の中にある卵は半透明で、内部では色のついた煙のようなものが渦を巻いていた。その煙は隠匿の魔法が可視化したものだとアルヴァが教えてくれたが、うまく意味を飲み込めなかった葵は首をひねる。

「要は、内側を見えなくしているってことだよ」

「煙幕みたいなもんかぁ。でもさ、その卵の中にある『世界』ってこの部屋のことなんでしょ? それなのに部屋の『中』に卵があるなんて変な感じだね」

「いいところに気がつくね」

 アルヴァは驚いたように目を瞠った後、葵を見据えて笑みを浮かべた。いつになく優しいアルヴァの笑顔は逆に気味が悪く、葵は微かに眉根を寄せる。

「何?」

「ミヤジマに魔法が使えないのが口惜しいね。その柔軟性と飲み込みの早さ、すばらしいよ」

 珍しくストレートな褒め言葉をもらった葵はどう反応していいのか分からず、口をつぐんでしまった。素っ気ない反応を気にするでもなく、アルヴァは笑みを残したまま説明を続ける。

卵の殻コースの内部に魔法の卵マジック・エッグがある。ミヤジマの言うように、これは確かに矛盾しているね。だけどその矛盾が、隠匿と隔絶をより強固なものにするんだよ」

「誰にも見られないし話も聞かれない、ってことだよね?」

「そう。その可能性が高くなる」

「魔法陣は?」

「四隅の魔法陣は場を固定するためのもので、中央の魔法陣は移動用だよ」

 マジック・エッグは外部からの干渉を遮断しようとする力と、卵の内部を安定させようとする力が絶妙なバランスでせめぎあっている。この調和を乱してしまうため、卵の内部で魔法や魔法道具マジックアイテムを使うのは好ましくない。そうした不安定な空間で魔法を使うために場を安定させるのが部屋の四隅に描いた魔法陣の効果なのだと、アルヴァは補足した。

「前置きが長くなってしまったけど、そろそろ本題に入っていい?」

「あ、うん」

 アルヴァの言う『本題』が何なのか分からぬまま、葵は曖昧に頷いて見せた。室内にあった茶器に無属性魔法で紅茶を淹れさせた後、アルヴァは改めて口火を切る。

「とりあえず、ヴィンス邸とカーティス邸を見学してきたわけだけど、感想は?」

 ヴィンス邸はトリニスタン魔法学園アステルダム分校のマジスターの一人であるウィル=ヴィンスの実家で、カーティス邸は葵の友人であるステラ=カーティスの実家である。王都に着いてすぐ、葵はアルヴァに連れられて王城の近くに居を構える貴族達の屋敷を見学しに行った。しかしカーティス邸はともかく、ヴィンス邸は屋敷の影すら見えない前庭を見学しただけである。そんな状態で感想を求められても困ると思い、葵はアルヴァに苦笑いを返した。

「見学っていうより、ただ歩いただけじゃん」

「カーティス邸はともかく、ヴィンス邸は警戒が厳しいからね。あまり近付くと警備員ガードマンが出てくるんだよ」

「ガードマン?」

「伯爵以上の貴族の屋敷ではメイドやバトラーがいるのが普通だけど、ヴィンス邸にはさらに警邏を本職とする者が常駐してるんだ。補足しておくけど、これは貴族の常識じゃないからね」

 貴族の事情に疎い葵にも分かるように説明を加えると、アルヴァは貴族の屋敷がどのように護られているのかについても語った。通常は屋敷の周囲に防御魔法プロテクトを張り巡らせ、生身の人間なり何らかの魔法なりが警備の網にかかると使用人が調査を行うのだという。ヴィンス公爵家はこれに加え、さらに警邏専門の人間を屋敷の外に配置しているのだ。視界を遮るような高い塀も有刺鉄線もない見た目からは想像もつかないような警備の厳しさに、葵は改めて眉根を寄せた。

「普通はそこまでしないんでしょ? ウィルの実家って、何をそんなに警戒してるの?」

 どうやら葵からこの言葉を引き出したかったらしく、アルヴァは大袈裟な動作で頷いてみせた。

「そこに、ヴィンス公爵家の特異性がある」

 五爵の第一位である公爵家は通常、王家から領地を与えられる。この領地を統治するのが公爵の務めの一つなのだが、ヴィンス公爵はその務めを放棄しているのだ。その理由は至って魔法使いらしいもので、研究に専念するためということらしい。

「領地を持つ公爵は国に税を納めてるんだけど、ヴィンス公爵は税の代わりに知識や情報を王家に献上してるんだ。機密を扱うことも多いだろうからね、他の公爵家よりも警戒が厳しいんだよ」

 納税や機密など急に現実的な話を聞かされた葵はファンタスティックな夢が覚めたような気分で、少し白けてしまった。

「なんか、どこの世界も変わらないね」

「ミヤジマのいた世界にもそういった仕組みがあったのか?」

「うん。あ、でも、私に詳しい説明を求めないでね?」

 アルヴァの瞳に好奇心が宿ったことを見逃さなかった葵は、また質問攻めにされる前にしっかりと釘を刺しておいた。葵に先手を打たれたことで苦笑いを浮かべたアルヴァは「これだけ『人間』の姿形が似ているのなら社会構造が酷似していてもおかしくない」ということで自分を納得させたようだった。

「ねぇ、休みの間ってみんな実家に帰るんでしょ? ステラも家に帰ってるのかな?」

 終月期の間、トリニスタン魔法学園は一ヶ月の長期休暇となる。本校に通っているステラも休みに入って実家に帰っているのなら久しぶりに会いたい。葵はそう思って問いかけたのだが、アルヴァは即座に首を振った。

「本校の生徒には基本的に、休みなんてないよ」

 トリニスタン魔法学園の本校に通う生徒は次の爵位継承者か、自ら進んで魔法の道を究めんと入学した意欲ある者達ばかりである。そんな彼らにとって長期休暇など無用の長物にしかならない。もともと本校は敷地内に併設した寮に生徒達を住まわせて外出を制限しているので、分校のような長期休暇の制度自体が存在しないとのことだった。

「そっか……やっぱり会えないんだね」

「じゃあ次は、ヒューイット公爵が治めるリカルミトン公国へでも行ってみるか」

 アルヴァが唐突に持ち出した名に、ステラとの再会が叶わずにガッカリしていた葵はギクリとして動きを止めた。葵が体を強張らせるのを見て取ったアルヴァは意地の悪い笑みを浮かべながら言葉を続ける。

「そう固くならなくても、ハル=ヒューイットはいないよ」

「うるさい!」

 アルヴァの愉しげな顔は完全に、葵をからかう時のものになっている。これ以上ここにいるといらぬ詮索をされそうだったので、葵はアルヴァを促して移動用だという魔法陣の上に立ったのだった。






BACK NEXT 目次へ


Copyright(c) 2011 sadaka all rights reserved. inserted by FC2 system