貴族の事情

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 宿に戻ると、大きくとられた部屋の窓からは王都の夜景が一望できた。すでに残光も輝きを失っていて、終月しゅうげつ期の宵の口は仄かに赤い。まだ月に支配される前の薄闇に浮かび上がる王都の街並みは昼間とはまた違った壮麗さを醸し出していて、葵は引き寄せられるように窓辺へと向かった。

「キレイ……」

「バルコニーに出てみる?」

 隣に並んだアルヴァは葵の答えを待たず、窓に手をかざすと「アン・ウヴール」と呪文を唱えた。どうやら窓の外は『卵の中』ではないらしく、アルヴァが唱えた呪文は外への道を開くためのものだったらしい。バルコニーへ出ると谷を渡る風が下から吹きつけてきて、葵は煽られた髪を手で押さえつけた。

 つい先日まで、世界は夏の熱気に支配されていた。しかし月が入れ替わった途端に季節もあっという間に変化して、今はマントを着込んでいても暑さを感じることはない。日中は快適でも夜風が少し肌寒く感じる終月期は、日毎に暖かさを増していく春よりも、次第に冬へと向かっていく秋のようだった。事実、終月期である炎の月が終われば、また世界は雪に閉ざされる。

「冬から夏になった時も思ったけど、この世界は季節の変化が急だよね」

「急、といいますと?」

 季節は一気に変わることが当たり前の世界で生きてきたアルヴァには、葵の零した何気ない一言が理解出来なかったようだった。首を傾げているアルヴァを見て、葵は共感を得られない寂しさを感じながら言葉を重ねる。

「私が住んでた国ではね、春・夏・秋・冬っていう順番で季節が巡るの。春と秋は暑くもなく寒くもなくって感じで、気持ちいい季節なんだよ」

「終月期が二度あると考えればいいのですね?」

「うーん。春は、ちょっと違うと思う」

 夏が終わり、冬へと向かっていく終月期は確かに秋に似ているが、凍てついた寒さを越えた先に待っている暖かな春は、この世界の季節と照らし合わせることは出来そうになかった。命が芽吹き、枯れ野が少しずつ色づいていく美しい季節を、どうすれば言葉で説明することが出来るだろう。そんなことを考えた時、葵の脳裏には薄紅色の花を咲かせる桜の姿が蘇っていた。

「この世界には桜っていう植物ある?」

「サクラ? どのような植物ですか?」

「淡いピンクの花を咲かせる植物」

「それだけの情報では何とも言えませんね」

「……そうだね。ま、いいや。その桜っていう木はね、春に花を咲かせるの。少しずつ空気が暖かくなっていくと満開になって、気温が上がると一気に散っちゃう。それで、もっと気温が上がると葉桜になるんだよ」

「ハザクラ……」

 葵の言葉を繰り返したアルヴァは眉根を寄せて空を仰いでしまった。やはり実物を見たことがないと想像するのは難しいようだ。季節がゆっくり巡ることの尊さを伝えたかった葵は言葉の限界を感じ、説明することを断念した。

「アルにも見せてあげたいなぁ。すごく、キレイなんだよ」

「そうですか」

 葵に視線を戻したアルヴァは、相槌を打った後で眉間のシワを解いた。部屋へ戻って食事にしようとアルヴァが言うので、葵は胸の中に故郷への想いを残しつつも彼の後に従う。室内に戻るなりマントを脱ぎ捨てたアルヴァはソファーで脚を組み、魔法を使って夕食の支度を始めた。宿だからといって、誰かの手料理を食べられるわけではないらしい。

「明日はエクランド公爵が治めるセラルミド公国と、王都の中をもう少し巡ろうと思ってる」

「うん。王都、もっとちゃんと見たい」

 今日も王都には足を運んだのだが、見物した所といえば貴族の邸宅くらいなものだ。葵はもっと街中や王城を見学したかったのだが、それを伝えるとアルヴァに王城は駄目だと釘を刺されてしまった。

「何で?」

「登城するには色々と手続きが必要なんだ。先に言っておくけど、今から申請したところですぐに審査を通るわけじゃないからね」

 アルヴァが審査云々の一言を付け加えたことが逆に、作為的なものを感じさせた。おそらく彼は葵を王城に連れて行きたくなくて、初めから手続きをしようと思っていなかったのだ。その理由として葵が思い浮かべたのは、自分が召喚獣と呼ばれる存在だということだった。

「お城に行くと捕まるかもしれないから?」

 思いついたことを口に出してみただけの葵の言葉には緊張感が微塵もなかった。しかしアルヴァの方には何か思うところがあったようで、彼は少し間を置いてから口を開く。

「顔色を変えずに、よくそんな発言が口をついて出るものだね」

「どういう意味?」

「僕が説明しなくても、ミヤジマはその答えに辿り着いた。だけど、それが自分の身に起こることだっていうのはまだ実感がないみたいだ。ミヤジマのそういうところ、怖いよ」

 葵には口に出していいことと悪いことの区別がついていない。しかしこの欠点は、ある程度知識を蓄えることによって繕うことも出来る。そろそろ話しておくべきかもしれないと言い置き、アルヴァは深刻そうな表情で言葉を重ねた。

「ミヤジマの世界にもいたかどうかは分からないけど、この世界には猟人ハンターという人種がいる。ハンターについて簡単に説明すると、狩りを仕事とする人だ」

「それなら、私がいた世界にもいたよ」

「話が早いな。ミヤジマのいた世界では、彼らは何を狩っていた?」

「クマとかイノシシとか? 動物じゃないかな」

「この世界では食用とする動物を狩る者の他に、珍しい植物のみを採取する植物採取人プラントハンターや希少価値の高い鉱物を扱う鉱物採掘人ストーンハンターなんてのもいる」

「へぇ。色々いるんだね」

彼らハンターにとっては召喚獣も獲物なんだよ」

 アルヴァがこの一言を聞かせたかったのだと理解した時、葵は絶句した。顔から見る見る血の気が引いていったので、それを見たアルヴァも葵が事態の深刻さを理解したことを察したようだった。

「慎重にならなければならない理由が分かった?」

「何で、もっと早く言ってくれなかったの?」

「ショックを受けるだろうと思ったから」

 しかし今の葵は、何も知らなかった頃の彼女ではない。そろそろ理解して、受け入れることが出来るのではないかと思ったから話したのだと、アルヴァは淡々とした調子で明かした。

「ミヤジマの場合は身体検査でもされない限り大丈夫だと思うけど、用心はしておいた方がいいと思うよ」

 アルヴァが初めからちゃんと説明してくれていれば、今まで散々言われてきた苦言も素直に受け入れることが出来たかもしれない。そうした不満は胸の中でくすぶっていたが、いまさら蒸し返したところで過去を変えられるわけではないので、葵はやや渋い表情をしながらも頷いて見せた。

「分かった。これからは気をつける」

「殊勝な心がけだけど、恋愛は張り切ってやってほしいね」

「……意味不明だよ。しかもそれ、なんか矛盾してない?」

「プラトニックラブなら問題ないと思うけど? すぐに肉体的なことに結びつけるのはどうかと思うよ」

「私がやらしいみたいに言わないでよ。自分だって恋人がいっぱいいる遊び人のくせに」

 アルヴァには二十五人もの『恋人』がいる。女友達なのではなく恋人だというからには、全員とそれなりのことをやっているのだろう。葵はそう思っていたのだが、アルヴァは心外だとでも言うように顔を歪めた。

「彼女達とはキス以上のことはしてないよ」

「え? そうなの?」

「勝手に不純な妄想をするなよ。これだから処女はイヤなんだ」

「!?」

 アルヴァがわざと羞恥心を刺激するように言うので、葵は憤りと恥ずかしさで真っ赤になった。のぼせあがった葵を見て、アルヴァは不毛だとでも言うように深々と嘆息する。

「少しは大人になったかと思ってたけど、まだまだだね」

「ムカツク! アル、やっぱりサイテーだよ!」

「やれやれ。ミヤジマの頭に血が上ってしまったみたいだから、僕はそろそろ帰るかな」

「え、帰る……の?」

 思いがけないアルヴァの言葉で完全に勢いを殺がれてしまった葵はポカンと口を開けた。アルヴァにとってはその反応こそが不可解だったようで、彼もまた眉間にシワを寄せて葵を見る。

「もしかして、僕と同じベッドで寝るつもりだったのか?」

 この部屋には確かに、シングル用と思われるベッドが一つしか置かれていない。しかしアルヴァの言ったような理由から問いかけたのではない葵は慌てて首を振った。

「そうじゃなくて、隣に部屋をとってあるのかと思ってたから」

「王都へ来るのも自宅に帰るのも、転移魔法一つで事足りる。わざわざそんな無駄なことしないよ」

「じゃあ、この部屋は?」

「この部屋は中継のために借りたんだ。王都で変則的な魔法を使うと悪目立ちするからね」

「あ、そう……」

 遠出をした先で宿泊するという普遍的な『旅』の概念を簡単に覆されてしまった葵はせっかくの旅気分が急速に萎えていくのを感じた。屋敷に帰るかとアルヴァに問われたため、葵は苦笑いを浮かべながら首を振る。

「せっかくだから、私はここに泊まってくよ」

「食事は用意しといたから、適当に食べて早めに寝なよ。それと、外へは出られないから気をつけて」

「え〜? それじゃ監禁じゃん」

「朝になったら迎えに来るから、少しの辛抱だよ」

 葵の不満にはまともにとりあわず、アルヴァはそう言い置くとさっさと姿を消してしまった。室内に一人で取り残された葵はとりあえず窓辺に寄り、バルコニーより遥か先に見える遠い王都の光を見つめる。こんなことなら携帯電話を持ってくればよかったと後悔しながら窓辺を後にした葵は、アルヴァが魔法で用意した食事を一人寂しくつついたのだった。






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