貴族の事情

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 エクランド公爵の領地であるセラルミド公国は火山の多い場所だった。見渡す限りでは噴火をしている山はないが足の裏に感じる熱が、不動に思える大地が確かに息衝いていることを実感させる。しかし神秘的な体験が霞んでしまうほど気分を害していた葵は、宿泊している部屋を後にしてもむっつりと押し黙ったままでいた。その原因は今朝の目覚めにあったのだが、アルヴァはもう何事もなかったかのように振る舞っている。元凶である彼が平然と顔を傾けてきたので、葵は恨みのこもったじっとりとした視線をアルヴァに向けた。

「どうかしましたか?」

 小首を傾げているところを見ると、アルヴァの頭にはもう今朝の出来事などカケラも残っていないようだ。わざとらしくため息をついてみてもアルヴァは眉をひそめただけだったので、葵は改めて彼にとってのキスの軽さを実感した。

(そうだよね、アルにとってはただの『補給』なんだから)

 それでも葵にとっては、寝込みを襲われるのは大問題である。いくら意識のないところでの出来事とはいえ、このまま流されていては旅立つ前にクレアが言っていたような事態にもなりかねない。そんなはずはないと思っていても心は変わっていくのが人間の性であり、それを身を持って経験している葵は苦い気持ちになりながら口を開いた。

「今朝のことなんだけど」

「ああ、キスですか?」

「してない、よね?」

「さあ、どうでしょう」

「ちゃんと答えてよ。キスはイヤだって言ったじゃん」

「そんなに僕が嫌いですか」

 嫌われることを歯牙にもかけない様子で、アルヴァは平然と問いかけてくる。それがこちらを怯ませるための口述であることは分かっていても、葵は閉口してしまった。

 アルヴァという人物は策略家で、葵は幾度となく彼の掌の上で踊らされてきた。そんな人物を好きか嫌いかで語るなら、決して好きではないだろう。だが、アルヴァとキスをするということはそういう問題ではないのだ。

「嫌いっていうか、なんかアルとそういうことすると……」

 友人の彼氏に手を出しているような危機感を覚える。自分の心に副った言葉が頭に浮かんできたとき、葵は改めてハッとした。友人の彼氏を横取りすれば当然、友情は失ってしまうだろう。それと同じでアルヴァを好きになることは、何かを犠牲にするのだ。それが何なのかを考えてみた時、葵はすぐにある結論に達した。

(帰れないことを認めるみたいでイヤだったんだ)

 いつだったか、葵はアルヴァに元の世界へ帰れないというようなことを言われたことがある。そんなことを平然と言ってのける人物を好きになるということは、彼の考えを受け入れるということに他ならない。今はまったくその気がなくとも何かの拍子で関係が変わってしまうのが男と女。葵はそうならないために、無意識のうちに予防線を張ろうとしていたのだった。

「僕とそういうことをすると、何です?」

 アルヴァが言葉の続きを聞かせるよう促してきたので、我に返った葵は改めて彼の顔を見た。葵の反応に心を乱された風もなく、アルヴァは無表情で答えを待っている。彼を好きになる日が来るとは思えなかったが、最低ラインの用心だけはしておこうと思い、葵はアルヴァに微笑みかけた。

「次やったらひっぱたく」

 葵の心境の変化に理解が追いつかなかったようで、アルヴァは面食らったような表情になった。釘を刺したことで胸がスッとした葵は、アルヴァが説明を求めてこないうちにさっさと話題を変える。

「ところで、キリルの実家はどこにあるの?」

 今までの公国巡りでは、移動した先に公爵邸があった。公爵邸と、その周囲に広がる風景を遠望しながらアルヴァが説明を加えるというのがパターンだったのだ。しかしセラルミド公国では、見渡す限り公爵の屋敷のようなものは存在しない。どこまでも山並みが続いているだけだ。

「エクランド公爵邸はあそこにあります」

 そう言ってアルヴァが指差したのは、周囲の優に二倍はありそうな巨大な山だった。距離を詰めれば山腹に屋敷が見えてくるのかと葵は考えたのだが、どうもそうではないらしい。火口の中に城があるのだとアルヴァが言うので、驚いた葵は目を瞬かせた。

「山の中に? しかも城?」

「通常、マグマは火山直下にあるものですが、あの山では内部の空洞にマグマが溜まっているのだそうです。しかも公爵邸があるのでは二重に危険なので、これ以上の接近は諦めて下さい」

「いや、行きたくないし」

 生身の人間がそんな場所へ行ったら間違いなく死んでしまう。命がけの観光など御免だと葵が言うと、アルヴァも珍しく同意を示した。

「炎の月はエクランドの誕生月なので、今頃は一族が集っていることでしょう。警戒も普段より厳しいはずです」

「誕生月?」

「エクランド公爵の血に連なる者は炎の月に生まれることが多いのだそうです。そのせいか、彼らは炎の月になると魔力を増します。因果関係ははっきりしませんが、彼らが炎の魔法を得意としていることと何か関係があるのかもしれませんね」

 それで合同で誕生会をやるのかと、納得した葵は何とも言えない苦笑いを浮かべた。一族が集合するということは、キリルや彼の兄であるハーヴェイもあの山の中にいるのだろう。アルヴァと葵が『行きたくない』という意見で一致したのは、おそらくそのためだ。

「そういえば、アルって結局ハーヴェイって人と知り合いだったんでしょ? どういう繋がり?」

「……ロバートと同じです」

 低い声音でそれだけを言うと、アルヴァは口をつぐんでしまった。ロバート=エーメリーと同じということは、彼らは三人揃ってトリニスタン魔法学園の同窓生ということになる。相変わらず過去には触れられたくないのだと思った葵は早々に話を切り上げ、別の話題をアルヴァに振った。

「今まで見てきた公爵邸って『屋敷』って感じだったけど、何でエクランドだけ『城』なの?」

「それは、公爵の中にも優劣が存在しているからです」

 気を取り直したらしいアルヴァはすぐに葵の疑問に答えてくれた。その後、彼は『公爵の中の優劣』について語り出す。

「エクランドは公爵の中でも第一位にある大貴族です。他のマジスター達は二位や三位なので、このような所に差が出るわけですね」

「へぇ。細かいんだね」

「この続きは戻ってからにしましょう」

 そこで話を切ると、アルヴァは葵の手をとって転移の呪文を唱えた。観光の中継地点としている部屋に戻るなりマントを脱ぎ捨てたアルヴァは、ソファーに腰を下ろしながら紅茶を淹れる呪文を唱える。長い話になりそうだと予感した葵もマントを体から外し、シングルベッドの際に腰を落ち着けた。

「これでマジスターの実家を一通り巡ったことになるけど、何か気付いたことはある?」

「どういう意味で?」

「もちろん、魔法的な意味で」

「そんな急に言われても分からないよ」

「じゃあ、ミヤジマがどのくらい僕の話を聞いていたか試そう。手始めに、マジスターが得意としてる魔法をそれぞれ挙げてみてよ」

 各地を巡りながら、確かにアルヴァはそんな話をしていた。記憶を問われた葵は視線を上方へと向け、必死に頭を働かせながら言葉を紡ぐ。

「えっと、エクランドが火でしょ? バベッジが水、ヒューイットが土、ヴィンスは……風? ステラのところは聞いてないよ」

「正解。カーティスと、あとヴィンスも属性には触れなかったと思ったけど、よく知ってたね」

「前に誰かに聞いた気がする」

「そう。まあ、有名な話だからね」

 エクランドは火を、バベッジは水を、ヒューイットは土を、ヴィンスは風を、それぞれに家門の象徴としている。これと同じように貴族にはそれぞれが得意としている魔法があり、それが一門の象徴となるのだ。トリニスタン魔法学園では各分校ごとに、この四大元素の魔法に最も秀でている者がエリート集団であるマジスターとなる。アルヴァからそういった話を聞いた時、葵は納得すると同時に新たな疑問を抱いた。

「ステラは?」

「彼女は全能オールマイティ。マジスターほどの力はないけど融通が利くから、どこでもサポート出来るというわけ」

 どの分校もマジスターは五人制である。それは季節の変わり目ごとにマジスターが行う大掛かりな儀式と密接な関係があった。

迎夏げいかの儀式の時、グラウンドに魔法陣が描いてあったのを覚えてる?」

「げいか?」

「まだステラ=カーティスとハル=ヒューイットがアステルダム分校にいた頃、夏を迎える儀式をやっただろう? あれのことだよ」

「ああ……うん。何か、グラウンドに大きな魔法陣が描いてあったね」

 葵の口ぶりから詳細を覚えていないことを感じ取ったのか、アルヴァは話の途中で不意に呪文を唱えた。「アン・ティレール」という呪文に反応を示したのはアルヴァの指先で、彼は光り輝く人差し指を使って空中に図形を描き出す。目前に現れたのは五芒星を中心として、その周囲を幾つかの外円で囲ってある図形で、葵はそれが儀式の時の魔法陣なのだとすぐに察した。

「細かなところは省いてあるけど、これが儀式用の魔法陣の基本形。中央に五芒星ペンタグラムがあるだろう? 儀式の時はこの五つの頂点にマジスターが配置されるんだ」

「あ、だから五人制なの?」

「そういうこと。終夏しゅうかの儀式ではアステルダムのマジスターに二名ほど欠員があったけど、その穴埋めはハーヴェイ=エクランドがやっていた。色々と勝手なことをやらかしてくれてたけど、彼がアステルダムに来た本来の目的はこれだったんだろうね」

「へぇ……」

 ハーヴェイ=エクランドという人物について何をどう言えばいいのか分からなかった葵は曖昧な相槌で茶を濁した。言葉の端々に棘を含ませたアルヴァもそれ以上のことを語るつもりはないらしく、彼は早々に話を戻す。

「マジスターは五人で一組だから、そのうち欠員の補充が行われるかもね」

「二人、新しく入るってこと?」

 キリル=エクランド、オリヴァー=バベッジ、ウィル=ヴィンス。この三人が現在のアステルダム分校のマジスターで、彼らは昔からの友人同士である。その中に今さら新しい人員を投入したところで、癖の強い彼らとうまくやっていけるのだろうか。自分には無関係ながらもそんな心配をしてしまった葵は、まだ見ぬ『新たなマジスター』に同情を寄せてしまった。






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