海辺の出会い

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 昼夜を問わず追い風が吹き続けたため、猛スピードで移動を続けた客船は三日で海を横断した。辿り着いたのはファスト大陸の東部に位置するネイズという国の港町である。三日ぶりに船室から出た葵は降り注ぐ太陽の光と髪を揺らすそよ風に大いなる開放感を覚え、大きく伸びをした。

「気持ちいい〜」

「ミヤジマ、行きますよ」

 甲板で開放感に浸っている葵に一声かけると、アルヴァはさっさとタラップへ向かって行った。見知らぬ土地で一人にされてはたまらないため、葵も慌ててアルヴァの後を追う。タラップを降りた先には明るい色彩の薄布を纏った女性が立っていて、乗客一人一人に何かを手渡していた。

「長旅お疲れ様でした」

 女性が笑顔で差し出してきたのは薄い本で、アルヴァが軽く会釈をしながらそれを受け取った。その様子を見ていた葵も差し出された本を受け取り、人の流れに従ってそのまま女性の脇を通り過ぎる。すれ違いざまに彼女から漂ってきた香りは独特なもので、お香の匂いのようだと思った葵は思わぬ懐かしさを感じてしまった。

「どうしました?」

「ん、何でもない」

 足を止めた理由をアルヴァに話したところで、どうせ共感は得られない。また人混みの中で不用意な発言をしないためにも早々に問いかけを受け流した葵は、先程受け取った本について尋ねてみることにした。

「これ何?」

「ガイドブックです」

「へ〜、ガイドブック」

 興味を引かれた葵はさっそく薄い本を開いてみたのだが、そこに記されていたのは予想したようなものではなかった。葵のいた世界で言うガイドブックは写真やイラストつきで観光名所などを紹介するものだったが、この世界では別の用途があるらしい。掲載されていたのは魔法陣と、おそらくは呪文だと思われる魔法文字ばかりだった。

「何の魔法?」

「主に翻訳です。ゼロ大陸とファスト大陸では公用語が異なりますので、こうして旅人のためにガイドブックを用意しているのです」

「なるほどねぇ。観光名所とかは載ってないの?」

「観光もいいですが、先に目的を済ませてしまいましょう」

 そこで葵の話を遮ると、アルヴァは自身が手にしていたガイドブックを開いた。何かを探しているらしい彼はしばらく無言でページをめくった後、ふと眉をひそめる。

「おかしいですね」

「何が?」

「フロンティエールのページがありません」

 フロンティエールはファスト大陸にある国の名前で、西の大陸に渡ってきた葵達が目指している場所である。ファスト大陸では国ごとに公用語が異なるため、アルヴァはフロンティエールの言葉を翻訳する魔法を探していたようだった。しかしガイドブックに、そのページがないというのである。

「何で?」

「特殊な国ですから、何か事情があるのかもしれませんね。ひとまず案内所へ行ってみましょう」

 そう告げると、アルヴァはガイドブックを閉ざして歩き出した。彼の言う『案内所』は波止場の中にあり、箱型の小さな建物の内部は旅行客と見られる人々で賑わっている。外で待っていろと言い置いたアルヴァが案内所の中へ姿を消したので、葵は船が浮いている海へと視線を転じた。あまり訪れたことのない海をひとしきり眺めた後、今度は反対側に広がる街並みへと顔を傾ける。遠目から見る分にもゼロ大陸とはずいぶん雰囲気が違っていて、港町は異国情緒に包まれていた。

(さっきの女の人が着てた服、アジアっぽかったなぁ)

 ゼロ大陸は中世ヨーロッパ風だが、もしかしたらファスト大陸はアジア風なのかもしれない。もしそうだとすれば、どこかに日本に似た場所があってもおかしくはないだろう。葵がそんなことを考えていると、それほど時間を要さずにアルヴァが戻って来た。彼が冴えない表情をしていたので、葵は首を傾げる。

「どうしたの?」

「ひとまず、食事にしましょうか」

 詳しい話はそこでと言うと、アルヴァはマントの下から取り出したガイドブックを開いた。辞書を引くように目的をもってページをめくっていた彼は、目当てのページに辿り着くと呪文を唱え出す。

「アン・ナントレーヌマン」

 アルヴァの呪文に反応したガイドブックからは、光で描かれた魔法陣が飛び出してきた。葵とアルヴァの上方で静止した魔法陣は頭頂から足下へと、フープを通すようにゆっくりと移動する。地に達すると魔法陣は霧散したが、特に変化のようなものを感じられなかった葵は首をひねった。

「何したの?」

「翻訳です。これでこの国の言葉には不自由しなくなりました」

「ふうん?」

 便利な魔法だと思った葵は効果の程を試そうと、周囲の音に耳を傾けてみた。しかし聞こえてくる言葉はどれも同じで、翻訳の効果を実感出来るような会話はない。キョロキョロしている葵の考えを読み取ったらしいアルヴァは、この辺りにいるのはゼロ大陸からの旅人ばかりなので聞き耳を立てても意味がないと言い、街の方へ向かって歩き出した。

 市街に入るとすぐ、アルヴァは吹き通しの飲食店へと足を運んだ。ガラスや壁のような垣根のない店内は様々な様相をした人々で賑わっていて、いかにも港町といった風情がある。カウンターに並んでいる大皿からアルヴァが適当に料理を取ってきたので、葵は屋台のようだと思いながら食事を開始した。

「それで? 何があったの?」

 葵が問うと、アルヴァは「アン・カルテ」という呪文で空中に地図を描き出した。そこに現れたのは見知った世界地図だったのだが、アルヴァが西の大陸を指で弾くことで、その地が拡大される。ファスト大陸の詳細な地図が描き出されると、アルヴァは光の線図に触れないようにしながら東部の国を指差した。

「ここが現在地で、目的地であるフロンティエールはここになります」

「なんだ、隣じゃん」

 地図で見ると、フロンティエールは現在地であるネイズ国の真下にあった。アルヴァが言うには、フロンティエールに一番近い国だからネイズ行きの船に乗ったのだという。しかし彼はその後、予想外の事態になったのだと付け加えた。

「フロンティエールはスレイバル王国と交流がないのでゼロ大陸からの直行便はありません。隣国まで行けば交通手段があるだろうと思っていたのですが、どうやらここからも船は出ていないようなのです」

「すぐそこなのに?」

 国の東部が外海と接しているネイズ国のように、その下に国土を有するフロンティエールもまた海に面している。地図上で見ればわずかな距離であり、この港町から船で南下するのが距離的にも時間的にも最短だろう。しかし商船ですらフロンティエールへ向かう船はないのだと、アルヴァは案内所でそう聞かされてきたらしい。

「船がないのでしたら陸路になりますが、ゼロ大陸と違ってファスト大陸ではそれほど魔法が盛んなわけではありません。転移用の魔法陣も整備されていないでしょうし、海路がないのでしたら陸路も整備されていないでしょうね」

「それってつまり、歩きで行くしかないってこと?」

「そのようです」

「え〜? どんだけ遠いの?」

「分かりませんが、ひとまずはネイズ最南端の町を目指しましょう。波止場でガイドブックを配っていたくらいですから、ネイズ国内の移動は比較的楽だと思いますよ」

 ふと、アルヴァの言葉に仮定的な表現が増えてような気がして、嫌な予感を覚えた葵は眉をひそめた。

「もしかして、アルもここ初めてなの?」

「ファスト大陸へ渡ったのは初めてではありませんが、ネイズ国へ来たのはこれが初めてです」

「それ、大丈夫なの? 迷子になったりしない?」

「ゼロ大陸ほど自在にというわけにはいきませんが魔法もありますし、その点は大丈夫ですよ」

 土地勘のない場所でもアルヴァはあまり不安を感じていない様子だったが、ゼロ大陸ほどの自由は利かないと聞いて葵は一抹の不安を覚えた。こういう時は異国人であるアルヴァよりも、きっと地元の人間の方が頼りになる。そう思った葵は店内を見回し、頭にターバンを巻いている男達に目をつけた。意識を向けるとちょうど彼らがフロンティエールの話をしているのが耳についたので、葵は奇遇に驚きながら密かに男達を指差す。






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