海辺の出会い

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 水平線から上ってきた朝日がさざなみ立つ波頭を、海に細かな宝石が散りばめられているかのように輝かせていた。普段は見ることのない海辺の夜明けを目の当たりにした葵は少しのあいだ立ち尽くして感動に浸り、それから改めて砂の上に腰を落ち着ける。ここは昨日、葵とアルヴァが初めてフロンティエールの地に降り立った浜辺だ。葵が何故ここへ舞い戻って来たかというと、早くに目が覚めてしまったために散歩をしているからだった。

 マントをシートのように広げて腰を落ち着けていた葵は、浜の片隅に転がっている箱の群れに目を留めて苦笑いを浮かべた。あの箱は商船が運んできたもので、中には交易品である黒砂糖が入っているそうなのだが、昨日からあの姿のままなのだ。商人達は村へ赴くことなく立ち去ったので、村人達はこの浜辺に商船が着いたことを知らないのかもしれない。教えてあげようと考えた葵は村へ戻ろうと立ち上がったのだが、ふと、波音とは違う不規則な水の音を耳にして、海の方へと顔を傾けた。

(あれ?)

 浜辺にはいつの間にか、葵以外の人影が生まれていた。背後の林から人が来た気配はなかったし、その人物は全身から水滴を滴らせていたので、おそらくは海から出現したのだろう。逆光で顔は見えないが、シルエットから推測すると男性のようだ。彼が箱の方に向かって行ったので、葵は何となくその動きを目で追った。

 箱の中身を調べるような動作をしていた男は、作業を終えると再び海へと向かおうとした。そこで初めて葵の存在に気がついたらしく、彼はこちらへと歩み寄って来る。その人物の顔がはっきりと認識出来るほど距離が縮まると、葵は可能な限り目を見開いた。

(え、ええええええっ!?)

 興奮とパニックで頭に血が上り、みるみる顔が赤くなっていく。ゆでだこのようになった葵は反射的に口元を手で覆い、なおも信じられない思いで少しずつ近付いて来る少年の顔を凝視していた。葵が一目見ただけで心を鷲掴みにされてしまったのは、彼の顔に原因がある。浜辺に現れた少年は葵のもっとも愛する芸能人、加藤大輝という俳優にそっくりだったのだ。

(う、わああ……)

 加藤大輝本人ではないことは、分かっている。それでも少年の顔は、出会ってから一途に加藤大輝を愛してきた葵が認めるほどによく似ていた。そしてまた、海辺での出会いというシチュエーションがよろしくなかった。葵が気に入っている作品の一つに加藤大輝が演じるヒーローが海辺でヒロインと出会うというシーンがあり、何度も何度もその作品を見ている葵に映画の中に入り込んでしまったかのような錯覚を起こさせたのだった。

 これが生まれ育った世界で起こった出来事であれば、葵もまだ正気を保っていられただろう。しかし異世界に召喚されるという、おおよそ現実とは程遠い体験をしている真っ最中の彼女には、もう何が現実で何が夢なのか、リアルもバーチャルも分からなくなってしまっていた。ただただ見とれることしか出来ない葵に向かって、少年が形のいい口唇を開く。そこから紡ぎ出された言葉が映画と同じであれば取り返しがつかないことになっていたかもしれないが、さすがに現実はそれほど甘いものではなかった。

「余に見とれておるのか?」

「……よ?」

 現代日本ではまず滅多に聞くことのない少年の言い回しに、葵は一気に夢から覚めた。途端に視界が開けて、それまで少年の顔しか映っていなかった瞳に周囲の風景が復活する。自分がいる場所を改めて認識した葵は夢を見てしまった自分に苦笑いを浮かべながら質問に答えようとした。しかしよくよく考えてみれば何とも答えにくい質問をされたもので、返答に困った葵は開きかけた唇を結んでしまう。

(見とれてたかって、そんなの答えられるわけないじゃん)

 実際はしっかり見とれていたのだが、本人を目の前にしてそれを肯定してしまうのは恥ずかしすぎる。よって、葵はさっさと話題を変えることにした。手始めに少年の正体を探ろうとしたのだが、問いを口にする前にハッとした葵は改めて彼の顔を見る。

(もしかして、この人……)

 海から現れた少年は上半身裸という姿なので、服装から身分を判断することは出来ない。しかしその口調や、村の少女達に聞いた話から彼の正体を察することは十分に可能だった。

「もしかして、王子さま?」

「余を知らぬのか?」

 少年は首を傾げていたが、葵はその一言を肯定と受け取った。納得した葵が一人で頷いていると、王子の方は納得がいかないといった様子で眉をひそめる。

「そなた、何者だ? この国の者ではないな?」

「えーっと……」

 矢継ぎ早に問い質され、どう答えたものかと迷った葵は、とりあえずゼロ大陸から来たことだけを王子に明かした。すると王子は、納得した様子で大きく頷いて見せる。

「それでは余のことを知らずとも無理はないな」

 結局のところ一番気になっていたのはそこなのかと、葵は思わずツッコミを入れそうになってしまった。夢から覚めてみても加藤大輝と王子はよく似ているが、性格の方はだいぶ違うようだ。もっとも加藤大輝はバラエティなどには出ないタイプの俳優なので、性格は役柄のイメージでしかないのだが。

(でも確かに、顔はカッコイイ)

 自国の王子だから贔屓目にしているというわけではなく、少女達の審美眼は葵と近いものがあるようだ。性格の方はさておき、目の保養にはうってつけだったので、葵は話をしている間も密かに王子の顔を見ていた。すると葵の視線の意味に気が付いたらしく、王子は悩ましげな微笑みを浮かべる。

「そなたも余が好きなのか?」

「は?」

「先程からずっと余のことばかり見ておる」

「いや、それは……」

 真面目に対応しかけて、葵はふと言葉を途切れさせた。先程から何かが癇に障る気がしていたのだが、その正体が王子の一言で明らかになったからだ。

(うわぁ、アルと同じタイプだ)

 彼らは自分の容姿が人目を引くことを承知していて、それを最大限に生かそうとする。そういったタイプにロクな男がいないことを経験として知っている葵は伸びてきた王子の手をやんわりと払い除けた。

「もう行かなきゃ」

「余が遊んでやろうと言っておるのに、応えぬ気か」

「この国の男の人って一度に色んな女の人と付き合うんでしょ? 私、そういうのダメだから」

 じゃあねと手を振って、葵は踵を返した。背後では王子が待てと声を張っていたが、葵は振り返らずに浜辺を後にする。やはり男は、顔だけではない。改めてそう思った葵は加藤大輝と同じ顔をしている少年に誘惑されても流されなかった自分を少し誇らしく感じた。葵が愛してやまないのはあの顔ではなく、加藤大輝という一人の少年なのだ。

(加藤大輝に会いたくなってきた)

 この場合、会うとはいっても写真や動画なのだが、あいにく携帯電話は屋敷に置いてきてしまった。旅先で紛失するよりはマシかと自分に言い聞かせた葵は疼く衝動をなんとか胸の底に沈め、村へと向かう。しばらく歩くと村の入口で、アルヴァとばったり顔を合わせた。

「あれ? 何してるの?」

「それはこっちの科白だよ。突然いなくなるからどこへ行ったのかと思った」

「あ、ごめん。探してたんだ?」

 そんな何気ない会話を交わしていると、葵の後方の茂みから突然人影が湧いて出た。フロンティエールの民族衣装を纏っている男達は葵の両腕を拘束すると、そのまま無理矢理に歩き出す。

「あ、アル!!」

「ミヤジマ!」

 進行方向に背中を向けたまま引きずられた葵が助けを求めて声を張り上げると、唐突な出来事にポカンとしていたアルヴァも我に返った様子で後を追って来た。身軽なアルヴァはすぐに追いついて来たのだが、葵を拘束している男達が逞しい体つきをしていたため手を出そうとしない。煮え切らないアルヴァの態度に業を煮やした葵は引きずられながら声を荒らげた。

「早く助けてよ!」

「無茶言うな。今のところ危害を加えるつもりはないみたいだし、少し様子を見よう」

 アルヴァが肉体派でないことは見るからに明らかだが、それでも自由を奪われている非力な少女を前にして静観はないだろう。敵わないまでも挑むくらいのことはしてくれても良さそうなのに、口をつぐんだアルヴァは発言通りに黙々と後についてくる。葵を拘束している男達にもアルヴァが何もする気がないことが伝わったようで、一行は小競り合いもなく平穏に目的地へと達した。






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