海辺の出会い

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 両脇をがっちりと固められた葵が引きずられていったのは、さきほどフロンティエールの王子と出会った浜辺だった。何もなかったはずの海には一隻の船が停泊していて、昨日商船から下ろされた荷物を次々に運び込んでいる。そして船の近くには何故か豪奢な椅子が設置されていて、そこには黒髪の美少年が悠然と脚を組んで座していた。

「待てと言うのに聞かぬからだ」

 肘掛を支えにして頬杖をついている王子がそんなことを言っているところを見ると、葵をこの場へ引き戻したのは彼の意向によるもののようだ。強引に従わせようとするやり口は権力を持っている者の常識のようで、以前にも同じような目に遭っている葵はムッとする。やはりエリートは嫌いだと葵が自分の気持ちを再確認していると、のこのこ着いて来たアルヴァが横から口を挟んできた。

「誰?」

「この国の王子さまだって」

「へぇ、王子」

 アルヴァが王子に顔を向けると、王子は何故か嫌な表情をした。その表情の変化があからさまだったので、アルヴァと葵は同時に首を傾げる。すると椅子から立ち上がった王子は突然怒り始めた。

「余の分からぬ言葉で話をするとは何事か!」

 あまりにも自己中心的な物言いに葵が面食らっていると、王子が何を言ったのか理解していないアルヴァが通訳を求めてきた。葵が王子の発言を伝えると、アルヴァは納得したように息を吐く。

「なるほどね」

「そこ、納得するところなの?」

「ミヤジマはとりあえず、僕が今から言うことを王子に伝えてよ」

 アルヴァが何かをするつもりのようだったので、この場は彼に任せることにした葵は通訳に徹した。どうやら王子は、アルヴァが葵の連れであるということは認識していたらしい。しかし葵があまりにも流暢にフロンティエールの言葉を操るので、その連れであるアルヴァも本当は言葉が分かるのではないかと思ったようだ。その勘違いを踏まえた上で先程の会話を振り返ると、母国語での会話は密談をしているように見えなくもない。

(なるほど……)

 アルヴァと王子の会話から大体の事情を把握した葵が納得する頃には、アルヴァに説得された王子も自らの非を認めたようだった。誤解が解けたところで改めて、アルヴァは本題に入る。アルヴァの言葉を通訳した葵が何か用があるのかと問いかけると、王子はおもむろに葵を指差した。

「そなた、さきほど妙なことを言っていたな」

「妙なこと?」

「複数の女と交遊することが、何故ダメなのだ」

「ああ……そのこと」

「その理由を聞いてやる」

 再び椅子に腰を下ろした王子は脚を組むと、横柄な態度で葵を見下ろしてきた。アルヴァに言われたこともあって腰を低くしていた葵は、王子の偉そうな物言いに呆れて肩を竦める。

「王子は何だって?」

 話がどういった方向に進んでいるのか分からないアルヴァが問いかけてきたので、苦笑いを作った葵は彼に「ちょっと待ってて」と言い置いてから再び王子を見た。

「この国では王子さまみたいな考え方がふつうみたいだけど、私はイヤなの。ただ、それだけのことだよ」

「だから、何故イヤなのだ」

「イヤなもんはイヤなんだからしょーがないでしょ」

「それでは答えになっておらぬ。余にも分かるように説明せい」

「だから、自分の好きな人が自分以外の女の子も好きなんていうのは有り得ないの」

「だから、何故有り得ないのだ。解り易く説明しろと言っておるのに、分からぬ女だな」

 いくら説明しても埒が明かなかったので、葵はうんざりして閉口してしまった。すると王子も口を閉ざし、葵をじっと見据えてくる。彼はおそらく次の言葉を待っているのだろうが、ほとほと困り果ててしまった葵はアルヴァを仰いだ。

「アル、助けて」

 丸投げしようと思った葵は簡単に、王子と出会ってから口論に至るまでの経緯を説明した。するとアルヴァは葵に通訳をするよう言い置き、王子に向かって一夫多妻制と一夫一妻制の違いについて説き始める。どうやらそこが核心だったらしく、アルヴァから説明を受けた王子は難しい表情をしながらも理解を示してみせた。

「ゼロ大陸の女はずいぶんと狭量なのだな。余のようなナイスガイを独り占めしようなど、国の宝を独占するようなものだ」

 この国でそんなことをすれば反感を買うだけだと、王子は至極生真面目な顔で言う。おそらくは周囲も王子と同じ価値観であるからこその科白だったのだろうが、ここまで自分に自信を持っているタイプに出会ったことのない葵は絶句してしまった。

(なんか、マジスターがかわいく思える……)

 学園という狭い世界の中で権威を誇っているマジスターも『井の中の蛙』には違いないが、この王子はそのさらに上をいく存在だ。

「荷積みが終わったか」

 会話が途切れたところで従者らしき男が耳打ちをしたので、王子は独白を零すと席を立った。王子の傍にいた男達が素早い動きで椅子を片付けているところを見ると、彼らはどこかへ移動するらしい。

「其の方らも乗れ」

 アルヴァを促して村に戻ろうとしていた葵は王子の一言に足を止め、眉根を寄せながら彼を振り返った。王子は顎で海辺を指していて、そこには船が停泊している。それに乗れと言われたのだと理解した葵は、しかしその理由が分からずに首を傾げた。

「旅人は王宮に招いてもてなすことになっている」

 不可解な表情をしている葵に簡単な説明を加えると、王子はさっさと踵を返した。すぐには王子の言葉に従わず、葵はまずアルヴァを仰ぐ。葵が王子の言葉を伝えると、アルヴァはアッサリと頷いてみせた。

「もともと僕達はこの国のことを知るために来たんだ。王子自ら王宮に連れて行ってくれるというのなら好都合だよ」

「……そっか。そうだね」

「冴えない顔をしているけど、何か気がかりなことでもあるのか?」

「気がかりっていうか……」

 あの王子が好きじゃない。葵がそう言うと、アルヴァは瞬きをした後に首を傾げた。

「顔がタイプじゃないのか?」

 顔だけを見れば、むしろ王子は葵の好みのど真ん中である。しかし問題は、その性格だ。愛しい人と同じ顔で自意識過剰に振る舞われるのが嫌なのだが、アルヴァにそのことを説明したところで理解してくれるとは思えない。返す言葉に詰まってしまった葵は結局、何も言わないままに苦笑いをした。

 葵とアルヴァが話をしているうちに出航の準備が整ってしまったらしく、いつまで経っても乗り込んでこない彼らの許に王子の従者がやって来た。急かされた葵とアルヴァが慌しく乗船すると、船はすぐに海の上を滑り出す。船室へと案内された葵とアルヴァは、そこで改めて王子と向かい合った。

「ミヤジマ、王宮までどのくらいかかるのか訊いてよ」

 アルヴァに促されたので質問をすると、王子の従者からは二日という答えが返ってきた。その答えをそのままアルヴァに伝えると、黙り込んだ彼は口元へと手を運ぶ。アルヴァが何やら考えているようだったので、彼から目を離した葵は王子の従者に視線を傾けた。

「あの、甲板に出ていてもいいですか?」

「そなた達はここで余の相手をするのだ」

 答えたのは従者ではなく、王子自身だった。出来れば彼と離れていたかった葵は思惑が外れ、がっくりと肩を落とす。葵の態度があからさまだったため、形のいい王子の眉がピクリと動いた。

「余の相手をするのは嫌だと申すのか?」

「あ、いや、そんなことは……」

「では、座れ」

 不機嫌に凄まれては仕方がなく、葵はアルヴァを促してその場に腰を下ろした。葵とアルヴァが座ったのを見て、王子は言葉を重ねる。

「余はジノクという。其の方ら、名は何というのだ?」

「私は宮島葵。この人はアルヴァ=アロースミス」

「ミヤジマ=アオイにアルヴァ=アロースミスか。其の方らはどのように呼び合っているのだ?」

 葵とアルヴァがお互いのことをどう呼んでいるのかを明かすと、王子はそれに倣うことにしたようだった。いきなり『ミヤジマ』と呼ばれ、葵は妙な気分になりながら返事をする。

(加藤大輝と同級生だったら、こんな感じなのかな)

 またしても夢を見そうになってしまった葵は自分の考えにハッとして、密かに苦笑いを浮かべたのだった。






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