紫陽花の陰

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 王族を交えての夕食を終えた後、ユアンから部屋に来ないかと誘われたアルヴァは彼が貸し与えられている個室へと移動した。無論、ユアンの隣にはレイチェルの姿もある。葵は疲れたから寝ると言って一人で部屋に帰って行ったので、ここにはいない。

 ユアンとはちょくちょく連絡を取り合っていたが、アルヴァがレイチェルと顔を合わせたのはトリニスタン魔法学園の創立祭の夜以来だった。突然の対面から少し間を置いているので頭は冷えているが、胸裏に渦巻く不快感と苛立ちはどうあっても消し去れそうにない。しかしそんな思いは微塵も面に出さず、アルヴァは取り繕った口調で姉に話しかけた。

「この国の王子は女性に手が早い人物ということですが、大丈夫でしたか?」

 レイチェルが問題ないことを明らかにしたので、アルヴァは胸中で「当然だ」と呟いた。例えジノクが王子であったとしても、レイチェルはあのような少年に翻弄されるほど安い女ではない。本当は心配する気持ちなど露ほどにもなかったのだが、それでも気遣う素振りを見せたのは、アルヴァが彼女の『弟』だからだった。

「アルヴァとアオイは何故、この国を訪れたのです?」

 レイチェルが疑問を口にしたため、この問いかけを予測していたアルヴァは予め用意しておいた答えを口にした。

「ミヤジマにこの世界のことを知ってもらうためです」

「それは、良いことですね。実際の景色を見ることでしか得られないものは必ずありますから」

「姉さんとユアン様は、何故フロンティエールに?」

 フロンティエールはゼロ大陸を治めているスレイバル王国と直接の交流がない国である。アルヴァの発言には公式な訪問なのか、それとも非公式な旅行なのかを問う意図が含まれていて、すぐにそれを察したレイチェルは非公式な旅であることを明かした。

「わたくしとユアン様は、ある仮説を実証するための調査をしに来たのです」

「その調査とは、フロンティエールにおいて魔法が使えない原因のことですか?」

「その通りです。実際にフロンティエールへ来てみて、アルヴァにも何か感じることがあったのですね」

 レイチェルの言う通り、実は海辺から水路を遡ってくる途中から、アルヴァはあることに注目していた。しかしそれはまだ類似に気付いたという段階で、実証するための調査も何もしていない。そんなあやふやな情報を口にすることは自身の品位を下げる結果にもつながりかねず、アルヴァは小さく首を振って見せた。するとそれまで黙っていたユアンが唐突に口を挟んでくる。

「たぶんアルが考えてることと一緒だよ。王宮の周りに巡らされてる水路、じっと見てたでしょう?」

「では、やはり……」

 そうなのかと、アルヴァはやや驚きを表しながらユアンを振り返った。

 アルヴァが考えていたこととは、フロンティエールという国の地形がそのまま魔法陣になっているのではないかということだった。そう考えるようになったキッカケは縦横無尽に張り巡らされた水路で、船旅の途上で見てきた景観が魔法陣を作成する時の様子と似ていたのだ。この仮説が証明されれば、フロンティエールは水も木々も浮島も、それら全てが何らかの意味を持って存在しているということになる。それは偶然に偶然が重なって形成されたものなのか、それとも……。

「誰かが意図的にこの地を隔離した、ということになるのでしょうか」

「そう考えると面白いよね。一体誰の意思がこんな場所を作り上げたのか、僕も知りたいなぁ」

「まずは、フロンティエールの地形が本当に魔法陣を形成しているのか、その実証からです」

 どうやらユアンとレイチェルの当面の目的は、フロンティエールの地図を完成させることにあるようだ。レイチェルがポケットから取り出した紙片には王宮を中心とした地形が描かれていて、彼らがこの場所を拠点にしながら情報収集をしていることが見て取れる。

「空から見れると早いんだけどね。ここでは魔法が使えないから」

 ユアンの言う通り、魔法さえ使えれば仮説の実証は容易だ。魔法の他に空を飛ぶ手段を考えたアルヴァは魔法生物を頭に思い浮かべたが、その案は口に出さないままに葬った。魔法生物とは生まれながらに魔力を有した人間以外の動物のことで、彼らは人間とは違った形で魔法を使うことが出来る。しかしフロンティエール自体が魔法を封じる魔法陣ならば、彼らの魔法も狂ってしまうかもしれない。翼を有した召喚獣を使うという手もないわけではないが、どちらにせよ、人間が空を飛ぶことを見慣れていないフロンティエールでそんなことをすれば大騒ぎになってしまうだろう。

「まあ、いちおう『お忍び』だし、地道にやるしかないよね」

「ユアン様。この旅には期限があるのだということを、くれぐれもお忘れにならないようにしてくださいね」

 旅先ということもあって少し浮かれ気味なユアンにレイチェルがしっかりと釘を刺した。彼女が口うるさいことを言うのには、この時期ならではの理由があった。

 ゼロ大陸では終月しゅうげつの終わりに、王女フェアレディの聖誕祭という一大イベントがある。まだ公式な場で顔を出していないユアンがフェアレディの隣に並ぶことはないが、それでも将来の伴侶の誕生日は彼にとって重要な日のはずだ。本来ならば彼はこのような場所にいるべき人物ではないのだが、好奇心旺盛なユアンは場違いな場所にも自ら好んで出向いて行く。それは彼が、奔放になることを許される時が今しかないことを心得ているがための愚行だった。

「明日からは、僕も手伝います」

「うん。アルならそう言ってくれると思ったよ」

 ユアンが無邪気に笑うので、彼の行動に腹を立てているアルヴァはレイチェルに気付かれないよう半眼になった。アルヴァの冷たい視線に気付いたユアンは首を傾げるようにして目線を逸らし、乾いた笑みを浮かべている。すぐに無表情に戻ったアルヴァはレイチェルとユアンに向かって一礼し、それから退去した。

「アル、待って」

 人気の絶えた王宮の廊下を歩いているとユアンが追いついてきたので、アルヴァはレイチェルの姿がないことを確認してから目を細めた。ユアンは相変わらず、謝意に乏しい笑みを浮かべている。彼の笑顔には敵わないことを知っているアルヴァは深く息を吐いた。

「出先をナイショだと言ったのは、こういう意味ですか」

 旅立つ前の最後の通信で、ユアンは自分もどこかへ出掛けるのだと言っていた。その時からどうにも様子がおかしいとは思っていたのだが、まさかここまでするとは思っていなかった。アルヴァがそう言外に非難すると、ユアンは苦い表情をして首を振って見せる。

「こっちで会えるかもとは思ってたけど、僕だってまさかこんな形で再会するとは思わなかったよ」

 ユアンとレイチェルは隣国のネイズから直接フロンティエールの王宮に来たのだが、アルヴァと葵は王子に連れて来られたのである。二人が王子に出会ったことは偶然で、それが結果として王宮での再会という形につながったのだ。ユアンがそんなもっともらしいことを言うので、アルヴァはまたため息をついてから反論した。

「ミヤジマに聞いた話によると、フロンティエールでは客人は全て王宮に招くことになっているのだそうですね?」

「そうみたいだね。閉ざされた国っていうのは、この国の方針じゃないみたいだ。むしろ国王は旅人を積極的に誘致したいみたいだね」

「ならば王子と出会わなくても、僕達もいずれ王宮に来ることになったでしょう。それでは偶然の再会とは言えないのではないですか?」

「それは僕も知らなかったんだって。本当だよ」

 準備不足なアルヴァと違い、ユアンとレイチェルはフロンティエールの言葉までマスターしてからこの国を訪れている。そんな人物が知らなかったと言い張っても、それは言い訳にしか聞こえなかった。

 アルヴァは確かにユアンの軽はずみな行動を不快に思っているが、腹を立てている原因の半分は自分の不甲斐なさでもあった。葵との旅行を決めたのが最近のことであるとはいえ、フロンティエールが特殊な国であることは分かっていたのだから、もっと入念に下調べをするべきだったのだ。そうすればレイチェルの前で、自分だけがこの国の言葉を理解出来ないなどという醜態を晒すこともなかった。その一点がアルヴァにとってはひどく不愉快で、悔やまれるものだったのだ。しかし子供を相手に、いつまでも苛立っていたのでは大人気ない。しかも相手はただの子供ではなく、本来であれば腹を立てるのもおこがましいほどの貴人なのだ。

「もう、怒っていませんから」

 アルヴァが渋々折れると、親に叱られた子供のように小さくなっていたユアンは突然花が咲いたように顔を輝かせた。この実に子供らしい安直さが彼の演技なのかどうか、アルヴァにはもう分からない。彼が幼少の頃から傍にいるレイチェルも、ユアンの全てを知っているわけではないだろう。ユアンは選ばれた特別な子供であり、その立場にない者には決して理解することの出来ない何かを胸に秘めているからだ。

 時に他人と感情を共有することが出来ないという点において、葵とユアンは似ているのかもしれない。掴みどころのないユアンの笑みを見ていて、アルヴァはふとそんなことを思った。






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