水の都、フロンティエールに朝が来た。
「まだなのか」
「ちょっと待って。今、考えてるから」
「そのくらい昨夜のうちに考えておけ!」
昨夜、夜の散歩中にジノクと遭遇した葵は色々とあった末、彼に『遊ぼう』と提案をした。しかしその『遊び』の内容が、さっぱり思いつかないのだ。
(道具のいらない遊びを考えるのって難しいなぁ)
カラオケやゲームはもちろんのこと、この世界ではサッカーや野球などといった道具を必要とするスポーツはすることが出来ない。この世界へ来てから覚えたコンバーツというボードゲームも提案してみたのだが、これはジノクが知らなかった。フロンティエールは外部との交流がほとんどない国のため、ゼロ大陸の遊びも通用しないのだ。積雪のある時期なら雪合戦という手もあったが、あいにくまだ冬ではない。そうなると、鬼ごっこやかくれんぼといったシンプルなものしか出来なさそうだ。
「あっ! ドロケイがいい!」
ふと、子供の頃によくやっていた遊びを思い出した葵は興奮しながらジノクを振り返った。しかし『ドロケイ』というものを知らないジノクは訝しげに眉をひそめている。
「何なのだ、それは?」
「簡単に言うと、逃げる人を捕まえるゲーム」
「狩りのようなものか?」
「うん。イメージ的にはそんな感じかな」
「よし。では、さっそくやろう」
気の早いジノクが手を伸ばしてきたので、勝手に追われる側にされたと察した葵は慌てて身を引いた。
「二人でやるんじゃなくて、もっと大勢でやるものなんだよ」
「そうなのか? どのくらい人数がいる?」
「二チームに分かれるから、十人くらいは欲しいかな?」
「分かった。人を集めてくる」
「私もユアンとかに声かけてみるね」
ユアン=S=フロックハートとレイチェル=アロースミスが使用している客間は少し離れた場所にあるため、そこで落ち合うことにした葵とジノクは部屋を出たところでいったん別れた。まずユアンが使っている部屋を覗くとレイチェルだけでなくアルヴァ=アロースミスの姿もあったので、葵はさっそくジノクと約束した『遊び』の内容を話して聞かせた。
「っていうゲームなんだけど、やらない?」
「面白そう! 僕、やりたいな」
ユアンはすぐに賛同してくれたのだが、アルヴァとレイチェルは何故か顔を見合わせた。ドロケイは主に子供が愉しむ遊びなので、二人は乗ってくれないかもしれない。葵は初めからそう思っていたのだが、アルヴァとレイチェルの間に漂っている妙な雰囲気は、どうやらそういった理由からくるものではなさそうだった。
「もしかして、何か用事があった?」
「外へ出る予定だったのですが、ユアン様がそう仰るのでしたらやりましょう」
「あ、そうなんだ? ジャマしてごめん」
「アオイが謝ることはありません」
申し訳ない思いに駆られた葵を宥めた後、レイチェルは無言のままでいるアルヴァに顔を傾けた。姉からの視線を受けて、アルヴァは口を開く。
「僕が一人で出てきましょうか?」
「え〜? アルも一緒にやろうよ」
アルヴァの提案はすぐ、ユアンによって退けられた。レイチェルやアルヴァにとってはユアンの意向が最優先事項らしく、アルヴァもまた姉と同じ科白でユアンの意見を受け入れる。三人が話をしている姿を改めて目の当たりにした葵は何だか不思議な感じがして、思わずまじまじと彼らを観察してしまった。
(ユアンって次の王様、なんだっけ……)
アルヴァから聞かされた事実を胸の内で繰り返してみても、やはり実感は湧いてこない。時折大人顔負けの狡賢さを見せることもあるが、ゲームにはしゃいでいるユアンの姿は子供そのものだ。
「アオイ、いつ始めるの?」
ユアンが顔を傾けてきたところで、ちょうどジノクも姿を現した。ジノクの後からはゾロゾロと、女性ばかり九人が続いてくる。体力的に不公平にならないようジノクとアルヴァを別のチームに振り分けた葵はその後、残った十二人をグーとパーで二つに分割した。その結果、葵とユアンが王子チーム、アルヴァとレイチェルが同じチームという組み合わせになった。
「チーム分けがはっきりする目印が欲しいんだけど、何かない?」
葵がそう提案すると、ジノクは侍従に命じて派手な色に染められた布を持ってこさせた。それぞれが布を頭に巻くと、赤と青で選別されたチームの出来上がりである。これで体裁は整ったので、葵は詳しいルールの説明を始めた。
「えーっと、まず、赤チームの人は逃げます。それを青チームの人が捕まえます。赤チームの人が青チームの誰かに体を触られたら、その人はもう逃げることが出来ません」
逃げる範囲を決めないと大変なことになるので、葵はゲームの範囲を王宮内ということで設定した。他に説明することがあるだろうかと考えを巡らせていると、さっそく質問が飛んでくる。
「捕まった人はどうなるんですかぁ?」
「あ、そっか。えっと、捕まった人は牢屋に入れられます。牢屋に入ってるうちは逃げることが出来ないんですが、仲間の誰かが体を触ってくれれば、その人はまた逃げることが出来ます」
「牢屋の場所はこちらで決められるのですか?」
鬼チームのレイチェルが質問を投げかけてきたので、葵は少し考えた末に頷いた。小学生の頃によくやっていた遊びなのでもう記憶が定かではないのだが、確かそうだったはずだ。葵が遠い記憶の糸を辿っていると、またしてもレイチェルが質問を重ねてくる。
「牢屋の場所は逃げる方にも知らされるのですか?」
葵が答えられずにいると、レイチェルは逃げる方には牢屋の場所を知らせない方がスリルがあっていいだろうと独自の提案までしてきた。復活ルールがある以上はその方が面白いかもしれないと思い、葵もレイチェルの提案を受け入れる。
「では、下見をしてまいります。わたくし達がこの部屋へ戻って来た時がゲームの始まりということでよろしいでしょうか?」
「う、うん。なるべく早く戻って来てね」
「分かりました」
どこまでも淡白ながらやる気満々のレイチェルは、そう言うと自チームのメンバーを引き連れて部屋を出て行った。扉が閉まるまでその姿を見送った葵はその後、同じチームのユアンに目を向ける。
「レイ、めちゃくちゃやる気だね」
「レイも完璧主義的なところがある人だからね。しかもアルとタッグを組んでるから侮れないよ」
「確かに、あの二人がコンビ組んだら凄そう」
「なんてったって、トリニスタン魔法学園の伝説にまでなった二人だからね」
「伝説?」
「うん。アステルダムにもマジスターがいるでしょ? 今はエリートって意味で使われているけど、マジスターってもともとはレイとアルのことなんだ」
「えっ、そうだったの?」
ユアンの口から語られた思わぬ事実に、葵は驚いて目を見開いた。そこでジノクが口を挟んできたため、アルヴァとレイチェルについては詳しい話を聞けないままにゲームの話題へと戻る。
「こちらの作戦はどうするのだ?」
「どうって……ひたすら逃げるしかないよね」
「要は体に触れられなければいいんでしょ? だったら逃げるよりは隠れてた方が得策だね。隠れるときは二・三人くらい一緒の方がいいよ」
言いだしっぺのくせにグダグダなアドバイスしか出来ない葵に代わって、ユアンが作戦を口にした。バラバラに逃げた方が捕まる確率が低くなるように感じた葵は小首を傾げながら口を開く。
「何で? ふつう、逆じゃない?」
「いざ見付かったって時に、近くに仲間がいるとフォローが利くから。例えばウサギを二羽見つけた時に、バラバラの方向に逃げられたりするとどっちを追いかけるか一瞬迷うじゃない? 迷っちゃうと結局、どっちも捕まえられない。それと同じことだよ」
「そなた、子供のくせに頭がいいな」
ジノクや侍従達が感心した目でユアンを見ているように、葵も理路整然とした彼の物言いに驚いていた。ユアンの発言はとても、十二歳の子供のものとは思われない。
(なんか……すごいことになりそう)
レイチェルだけでなく、ユアンもゲームに対して本気だ。ユアンが提案する戦術に聞き入っているジノクや侍従達も真剣そのものの表情をしていて、葵は少しの恐怖と多大なワクワク感が混在した気持ちを抱きながらゲームが始まるのを待ち侘びた。
Copyright(c) 2012 sadaka all rights reserved.