カエルのおじいさま

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「ミヤジマが部屋にいないのですか?」

 朝食前に訪ねてきたユアンが妙なことを言い出したので、アルヴァは小さく首を傾げた。そんなアルヴァの反応を見て、ユアンは表情を曇らせる。

「その様子だと、アルもどこに行ったのか知らないみたいだね」

「散歩ではないのですか?」

「僕も最初はそう思ったんだけど、アオイのベッド、冷たかった。それに、全然乱れてないんだ」

 ベッドが乱れていないということは、葵がそこで休まなかったということを意味している。しかし客間にはベッド代わりになりそうなソファーなども置いてあり、それだけの理由で変事が起こったと考えるのはいささか尚早だ。

「もうダイニングルームに行っているのかもしれませんよ」

 朝食と夕食は、基本的に国王や王子を交えての懇談の場である。王族を待たせたとあっては礼を失するので、アルヴァは渋い表情をしているユアンを促して部屋を出た。食事の香りが漂うダイニングルームに辿り着くとレイチェルの姿はあったが、葵の姿はない。王子の姿も見えなかったが、国王がすでに席に着いていたので、アルヴァとユアンが腰を落ち着けるとすぐに食事が始まった。

 ジノクが不在であっても国王が気にかけるような場面もなく、食事は和やかなうちに終了した。しかし国王が席を立とうとしたところでジノクが姿を現したため、場の空気が一変する。それはジノクが国王に向けて放った一言が原因のようだったが、フロンティエールの言葉が分からないアルヴァは異変から取り残されてしまった。通訳を求めてユアンに視線を送ると、彼は目を剥いたまま動きを止めてしまっている。ユアンの隣に座っているレイチェルまでもが硬い表情をしていたため、アルヴァはそれで只事ではないと察した。

「王子がアオイにプロポーズしたらしいんだ」

 ユアンの口から事件の真相を聞かされたのは、国王に連れられて王子が退出し、その後を追ってレイチェルが姿を消してからのことだった。ダイニングルームを後にしたアルヴァとユアンは、ユアンが使っている個室へ向かいながら話をしている。王子の爆弾発言はすでに侍従達の口の端にのぼっていて、王宮の廊下ではあちこちで異様なざわめきが起こっていた。

「プロポーズ、ですか」

 それは何とも性急で、荒唐無稽な話である。葵と王子は出会ったばかりで、しかも葵は王子のことを『好きじゃない』と言っていたのだ。アルヴァにはフロンティエールの言葉が分からないので雰囲気から察するしかないが、王子の方にも葵を気に入っているような様子は見られなかった。それが何故、急転直下のプロポーズという結果になったのだろう。疑問には思ったが驚きはなく、アルヴァは口元に手をあてて王子の真意に考えを巡らせた。

「アル、冷静だね」

「ユアン様はこの一件をどうお考えになりますか?」

 フロンティエールは魔法を使うことの出来ない国だ。異世界からやって来た葵自身も魔法を使うことが出来ないため、その伴侶となる人物は魔法使いよりもフロンティエールの人間の方がいいのかもしれない。まったくと言っていいほど魔法の知識がないフロンティエールならば、葵が『召喚獣』であるという特異性も問題にはならないだろう。そして相手が王子なら、こちらが何もしなくとも将来の生活も保障される。むしろゼロ大陸に置いておくよりいいのではとアルヴァは思ったのだが、渋い表情になったユアンは話に乗ってこなかった。

「それは、アオイの気持ち次第だよ」

 急に不機嫌になったユアンがふいっと顔を背けたので、アルヴァはため息をつきたいのを堪えて目線を前方へと戻した。すると妙な動きをしている者が視界に入ったため、その人物を注視する。

(あれは……)

 背中を丸めて廊下を歩いていたのは侍従長であるリンという女性だった。言葉は分からなくとも、彼女が生真面目なのだということは雰囲気から伝わってくる。仕事もそつこくこなすタイプに見えたが、何もない所で蹴躓いた彼女は手にしていたバスケットの中身を盛大にぶちまけた。

「大丈夫?」

 目の前で事が起こったので、ユアンが声をかけながらリンの傍へ寄る。アルヴァも仕方なく、床を片付けるのを手伝った。

「も、申し訳ございません。お客様にお手伝いいただくなど……」

「気にしないで。それより、気をつけてね」

「はい……」

 ユアンとアルヴァに頭を下げると、バスケットを抱えなおしたリンはまた背中を丸めて去って行った。ユアンとリンが交わした会話の内容は分からなくとも、どことなく妙だと感じたアルヴァは小首を傾げながらリンの背中を見送る。彼女の様子がおかしいと思ったのはアルヴァだけではなく、ユアンもまた首をひねっていた。

「あんなミスする人じゃないのに、どうしたんだろう」

 ユアンはアルヴァよりもフロンティエールに滞在している期間が長い。さらにリンはユアンとレイチェルの世話役を務めていたので、ユアンは彼女の人となりをすでに把握しているようだ。その彼が言うのだから、やはりリンは様子がおかしいのだろう。しかしその理由が分からなかったため、アルヴァとユアンはどちらからともなく会話を切り上げた。

 ユアンが滞在している客間で待っていると、しばらくしてレイチェルが戻って来た。彼女が聞いてきた話によると、王子は本気で葵と結婚するつもりでいるらしい。もう式の準備を始めたと聞き、アルヴァとユアンは顔を見合わせてしまった。

「それで、アオイは今どこにいるの?」

「分かりません。国王も尋ねていましたが、ジノク王子が口を閉ざしていましたので」

「一緒にアイサツに来ないってことは、アオイはその気じゃないってことだよね?」

 確かめるように視線を傾けてきたユアンの意図は自身の推測に同意させることで、そういった視線を受け止めてしまったアルヴァは内心では舌打ちをしたい思いで頷いた。

「ミヤジマは王子が好きではないようです。今もそうかは分かりませんが、王子と出会った当初、彼女はそう言っていました」

「求婚を拒否したために、どこかに閉じ込められているのかもしれませんね」

 葵の部屋がもぬけの殻だったことと、王子が王宮に戻って来た今になっても葵が姿を現さないことを考慮すれば、レイチェルの言葉には信憑性があるように思われた。発言をしたあと考えこんでいたレイチェルがふとユアンに視線を移したので、アルヴァもそちらを振り向く。

「どうなさいますか、ユアン様?」

 レイチェルがユアンに決断を委ねたのは、それが彼にしか出来ないことだからだった。おそらく幽閉されているのだと思われる葵を助ける方法は二つ。ユアンの身分を明らかにして国家間の問題として片付けるか、それともあくまで非公式なやり方を貫くかのどちらかだ。

「……少し、様子を見よう」

 自分からも王子に『お願い』してみると、ユアンは結論を先延ばしにした。スレイバル王国の権威を振りかざすことも、強引な救出劇を繰り広げることも御免だと思っていたアルヴァはユアンの意見に同意を示す。しかしレイチェルは、すぐには頷かなかった。

「もし幽閉されているのだとしたら、アオイは本当に大丈夫なのでしょうか」

 レイチェルが言外に示した懸念をすぐに察したようで、ユアンはハッとしたような表情をした。今までの王子の言動から察するに、この国では婚前交渉が忌避されているわけではない。そして王子は、葵と結婚するのだと言い張っているのだ。彼らがいつ男女の仲になっても、おかしいことは何もない。例え葵が嫌がっていたとしても、幽閉されてしまっているのならば拒みきることは難しいだろう。

「大変だ……」

 顔色を変えて独白を零すと、ユアンは慌しく部屋を出て行った。おそらく、真相を確かめるのと同時に王子を説得しに行ったのだろう。だが葵が拉致されたのが昨夜の出来事なら、今さら心配しても遅いかもしれない。そんなことを考えているとレイチェルが視線を向けてきたので、アルヴァは居住まいを正した。

 レイチェルやユアンに不都合なことがあった時、秘密裏に処理にあたるのも矢面に立って非難されるのも、全てはアルヴァの役目である。姉から向けられた視線はそれを再認識させるものだと解釈したアルヴァは問題がないことを示すために、無言でレイチェルに頷いて見せた。






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