幽閉の君

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 フロンティエールの王宮から少し離れた場所に塔が立っていた。この塔は普段は使用されることなくひっそりとしているのだが、最上階に設けられた部屋には現在、そこから出ることの出来ない住人がいた。黒髪の少女の名は宮島葵。塔に閉じ込められてから四日が経過した朝、葵は窓辺で思い悩んでいた。

(おかしい)

 悩みの種は、いくら待っても助けがこないということだった。同行者であるアルヴァ=アロースミスという青年と共にフロンティエールへ来た葵は、この地でさらに二人の知人と再会を果たした。一人はユアン=S=フロックハートという少年で、もう一人はアルヴァの姉であるレイチェル=アロースミスだ。葵はこの塔に閉じ込められてから、人伝に彼らの援護を要請した。処世術に長けた者達ばかりなので事態を知ればすぐにでも助けに来てくれるのではないかと期待していたのだが、未だにその気配はない。まさか、見捨てられたのではないだろうか。そんな考えまで脳裏をよぎってしまったため、葵は大きく頭を振った。

(そんなはずない! ……と、思う)

 アルヴァだけならば有り得るかもしれないが、今回はレイチェルやユアンもいるのだ。きっと、すぐには助けに来られない事情があるのだろう。そう言い聞かせて自分を納得させた葵は気分を変えるために窓辺を離れた。

「カエルのおじーさーん」

 呼んで出て来てくれるものなのかは分からなかったが試しに呼んでみると、どこからともなくカエルが姿を現した。口元に立派な逆ヘの字の白髭をたくわえているこのカエルは、ただの両生類ではなく精霊である。

「あ、来てくれた。ねぇ、ちょっと話しない?」

「うむ。儂も退屈しておったところじゃ」

 葵の申し出を承諾すると、カエルは窓辺へと跳ねて行った。カエルの後を追って再び窓辺へ戻った葵は、椅子を持ってきて腰を落ち着ける。窓からはフロンティエールに独特な、水路を巡らせた風景が窺えた。美しい眺めだが、葵はもう見飽きている。風景にも何か変化が欲しいと思った葵はふと、浮島に咲いているハインドランジアに目を留めて独白を零した。

「雨でも降ればいいのにねぇ」

 ハインドランジアという花は紫陽花によく似ている。紫陽花といえば梅雨、梅雨といえば雨というイメージは、葵がもともと住んでいた世界のものだ。この世界では自然に雨が降ることはなく、雨は精霊が降らせるのだという。ふと、初めて会った時にカエルが言っていたことを思い出した葵は改めて疑問を口にしてみた。

「そういえば、雨の精霊がどうとかって言ってたよね?」

「雨の精霊は永いこと行方をくらましておった。どうやら、おんしの身近におったようじゃな」

「身近に……?」

 カエルと出会うまで、葵には精霊に知り合いなどいなかった。だが思い当たることがまったくなかったわけでもなく、以前に住んでいたアパートのことを思い出した葵はハッとしてカエルを見る。

「それ、レインのことかも」

 葵が以前に住んでいたアパートは『ワケアリ荘』といい、その名の通り、ワケアリな者達ばかりが集っていた。レインという少女はワケアリ荘の住人の一人で、アパートがあった空間に雨を降らせていたのは彼女なのだ。

(そういえば、アルがレインのこと気にしてたっけ)

 ワケアリ荘を訪れた時、アルヴァはレインを見て驚いたような素振りを見せていた。あれも、レインが雨の精霊だったからと考えれば納得がいくのではないだろうか。そう思った葵が自分の推理を確固たるものにしていると、カエルは晴れ渡った空を仰いでしわがれた声を発した。

「レインか……人王らしい発想じゃ」

 人王とはモンド・ゥマンのハルモニエの別称で、ユアンのことを指している。そこで何故ユアンの名前が出てくるのかと、思案を切り上げた葵は眉根を寄せた。

「レインって名前、ユアンがつけたの?」

「もともと、儂ら精霊には個体を表す名がない。じゃが人間には、それでは不便であろう?」

「確かに……」

 葵もつい最近、名前がないというカエルをどう呼ぶのか困るという経験をした。彼女がけっきょく『カエルのおじいさん』と呼ぶことにしたのと同様に、ユアンは雨の精霊を『レイン』と呼ぶことにしたのだ。識別さえ出来れば何でも良かったはずだが、ユアンは何故『レイン』と名付けたのだろう。その理由は、カエルが語ってくれた。

「人間が会話によって他者とのコミュニケーションをはかるように、儂らにも『言葉』というものがある。レインを儂らの感覚に置き換えると『希求』や『こいねがう』といった意味合いになるのじゃ」

 扱いの難しさ故に人間達から必要とされなくなったという精霊に、ユアンが何故そうした意図を含んだ名前を与えたのかは、分からない。しかしその背景には何らかの『願い』があったことは確実で、葵は少し物悲しい気分になった。

「私がいた世界ではね、雨のことを『レイン』って言ったりもするんだ。だから、そっちなのかと思ってた」

「それはそれは、不思議な縁じゃな」

「うん。不思議、だよね」

 雨とレインだけでなく、この世界と葵が生まれ育った世界には他にも通じるものがある。パッフェルベルのカノンによく似た『ヴァリア・ヴェーテ』という曲が幻聴のように蘇ってきて、その曲にまつわるほろ苦い思い出に気分を攫われた葵は密かに苦笑いを浮かべた。

「私が元の世界に帰れる方法とか、知らないよね?」

 あまり期待はせずに、葵は「とりあえず聞いておこう」といった程度の気持ちで質問をしてみた。少し間を置いた後、カエルはゆっくりと言葉を紡ぎ出す。

「異世界の者を召喚する魔法はバラージュという人間の若者が生み出した。この世界におるヴィジトゥールは、そのほとんどがバラージュの時代に召喚された者達じゃ」

 カエルの口調から、それが明らかに過去の話であると察した葵は、召喚魔法の祖であるバラージュという人物がすでにこの世には存在していないことを理解した。そんな人物が同じ世界で生きているのなら、葵が今ここにいることもなかっただろう。しかし召喚魔法を生み出した者の話を聞くことは解決の糸口になるかもしれず、葵はカエルに話を続けるよう頼んだ。葵の申し出を受けて、カエルの話は続く。

「ヴィジトゥールの中にはこの世界で暮らしていくことを望んだ者と、あるべき世界へ帰ることを望んだ者がいた。召喚の魔法が完成した当時はまだ対となる帰還の魔法が存在しておらんかったが、それもバラージュが完成させおった」

 元の世界へ帰ることを望んだ者達を送り届けると、バラージュはその研究成果を抱えて姿をくらませたらしい。おそらく召喚魔法はその時に封じられたのだと思われるが、誰もその現場を目撃していないため、はっきりしたことは分かっていない。元精霊王であるカエルですらバラージュがどうしたか知らないというのだから、彼はよほど巧みにその姿を世界から消し去ったのだろう。

「今生の人王はどこからかバラージュの魔法書を、或いはその研究の一部を入手し、禁呪を蘇らせたのじゃな。世界の調和を維持する者が自ら調和を乱そうとするとは、由々しきことじゃ」

 小言のように愚痴を零しているカエルを見て、葵は少しユアンの気持ちが分かったような気になった。自分が悪いことをしたのだとしても、やはり叱られるのは嫌なものだ。

「おじーさん、もしかしてユアンのこと怒った?」

「儂はもう引退した身じゃ。そういったことは精霊王がやるだろう」

「そっか、現役の王様がやるんだ?」

「おんしは元の世界に帰りたいのじゃろう? 人王のことを恨んではおらぬのか?」

「うーん、ふざけるなって思った時もあるけど、今はもうしょうがいないって思ってるのかも」

 葵が考えながら答えると、カエルは不意にケロケロと鳴き出した。どうやらそれは笑い声だったようで、変なところだけカエルだなぁと思った葵は、カエルがこちらを見上げてきたので、そのつぶらな瞳を見つめ返す。

「愉しい時を過ごさせてもらった。おんしに、その礼をしたい」

「お礼?」

 思ってもみなかったことを言われた葵は瞬きを繰り返した後、カエルに断りを入れた。彼からはすでに様々な情報を提供してもらったし、なにより幽閉生活が思いのほか苦にならなかったのはカエルという話し相手がいてくれたおかげだ。愉しかったのはお互い様であることを葵が告げると、カエルはまた喉を鳴らして笑った。






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