幽閉の君

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「おんし、人間が使う魔法についてはどれくらいのことを知っておる?」

「魔法?」

 すでに葵は魔法の基礎的なことは心得ていたが、それを説明するとなると言葉に詰まってしまった。難しい表情になって空を仰いだ葵に代わって、カエルが言葉を重ねる。

「人間はよく、魔法とは潜在的な血の力だと言いおるの。この世界で生を受けた者にしか使えぬのは、何故だか知っておるか?」

「私みたいな召喚獣には魔力がないから?」

「魔力とは生体が有するエネルギーのことじゃ。この世界に生きている者ならば誰でも持っておる。それはヴィジトゥールとて例外ではない。じゃがヴィジトゥールには、それを人間達と同じように扱うことは出来ぬのよ」

「それは……何で?」

「世界には理というものがあり、ヴィジトゥールは生を受けた世界の理に囚われておるからじゃ」

「世界の理……」

 カエルの言葉を繰り返した葵はふと、それを知りたいと言ってトリニスタン魔法学園の本校に行ってしまった友人のことを思い出した。世界が違えば理も違うのは道理で、もしも理が同じなら、葵がいた世界で魔法が使えてもおかしくない。

(そういえば、管理人さんもそんなこと言ってたっけ……)

 葵が以前に住んでいたワケアリ荘の管理人も異世界からの来訪者で、彼の体は生まれ育った世界の月に支配されていた。それと同じことが自分の体に起こっているのだと知っても、特に実感のようなものはない。ただ、繋がりが完全に絶たれたわけではないのだと、改めてそう感じた葵は少し嬉しくなってきた。

「でも、おじーさん。それなら誰かの魔力を借りても私が魔法を使うことは出来ないはずなんじゃないの? 私がいた世界には魔法なんてなかったよ?」

「ふむ。道理じゃな」

 葵の意見に理解を示す独白を零すと、カエルはしばらく目をつむって考えこんでいた。その後に呟かれた可能性に、葵は目を見開く。もしかすると葵達が自覚していないだけで、葵が生まれ育った世界にも魔法が存在しているかもしれないというのだ。

「そんなことってあるの? あったらステキだとは思うけど」

「儂はおんしの世界を知らぬ故、あくまで可能性の話よ。じゃが、確たることもある。おんしがこの世界において魔法を使えるのは、おそらく人王の影響によるものじゃろう」

「ユアンの?」

「召喚の時に用いたエネルギーの一部が、そのままおんしの中に残っておる」

 それはユアンが魔法を使うことに失敗したことを示唆しているようで、カエルに言われて彼と出会った時のことを思い返した葵はすぐにその理由に至った。この世界へ呼ばれた時、葵は魔法陣も何もない雪原の真ん中に出現したのである。それはけっこう大変な失敗だったのだが、ユアンは軽いノリで「失敗しちゃった」などと言っていた。その後、レイチェルとユアンから魔法の手ほどきを受けたのだが、その時は簡単な魔法さえ使うことが出来なかった。召喚された当初からユアンの魔力が体内にあったのなら、これはおかしいのではないだろうか。葵がそうした疑問を口にするとカエルは、葵の体内にあるユアンの魔力は人間には認識出来ないほどの微量なのだと答えをくれた。

「でも魔力ってさ、魔法を使うとなくなるものなんじゃないの? 私、何度か魔法を使ってるけど、ユアンの魔力だけなくなってないってこと?」

 誰も何も言っていなかったので、おそらく葵の中にあるユアンの魔力は最初から微量のものだったのだろう。それが人間には認識出来ないほどの少量なら、幾度か魔法を行使してきている中で消費され尽していてもおかしくはない。葵はそう思ったのだが、人王の魔力は特殊なのだとカエルは言った。さらには召喚魔法の失敗によって植えつけられたという特異な状況も、ユアンの魔力が未だ消えずにあることと無関係ではないらしい。

「つまり、何しても消えないってこと?」

「この世界の理において、人王は重要な役割を担う者の一人じゃ。おんしがこの世界におるうちは消えないじゃろうな」

「ふーん」

 ユアンの魔力が体に残っているからといって、特に害があるわけではない。かといって恩恵に与ることも出来ないのならば、葵にとってはあってもなくても同じことだ。しかし興味薄な反応を返した葵に、カエルはある提案を持ちかけてきた。

「儂に残る力をおんしにやろう。人王と精霊の力があれば、おんしにも魔法を使うことが出来るようになるはずじゃ」

 どうやらそれが、カエルの言う『お礼』らしい。だがそれを、どう受け止めればいいのか分からなかった葵は困惑してしまった。葵がなかなか反応を返せずにいると、カエルは淡々とした調子で言葉を続ける。

「儂は間もなく世界に還る。そう長くはない間じゃが、おんし自身の目でこの世界の真髄を覗いてみるといい。それはきっと、可能性を広げることになるじゃろう」

 カエルが帰る……などとくだらないことを考えていた葵は、可能性という言葉にハッとして改めてカエルを見た。彼ははっきりとしたことは言わなかったが、おそらくそれは元の世界に帰る方法を自分自身の手で探すことが出来るようになるということではないだろうか。

「私、魔法が使えるようになりたい」

「うむ。では儂を、おんしの額に近づけるがいい」

 葵が手を差し伸べると、カエルは掌の上に飛び乗ってきた。前屈みになった葵はカエルが乗っている手を、自分の額へと運ぶ。カエルの声に導かれながら微妙な位置調整をしていると、やがて何かが額に触れた。刹那、自身の腕が邪魔で狭まっていた視界が一気に開ける。洪水が押し寄せてくるように様々なイメージが脳に流れ込んできて、眩暈を覚えた葵は腕を離すと軽く頭を振った。

「何、今の……」

「この地では魔法が封じられてしまう。魔法陣の外へ出たら、試してみるといい」

 カエルの声が聞こえてきたので、葵は目線を落としてみた。しかし葵の視界は目に涙が溜まっているときのように滲んでいて、うまく物体の輪郭を捉えることが出来ない。歪む視界に映ったのは掌に乗ってしまう小さなカエルではなく、何かもっと大きなものだった。霧のようにぼんやりと浮かんでいるそれは窓や置物といった周囲の光景よりもさらに輪郭が掴み辛く、今にも空気に溶けそうなほど不確定に存在している。葵が声をかけようとした途端、そのモヤは窓の外に姿を消した。目をこすってから急いで覗き込んでみても、窓の外の様子に変わったところは見られない。何だったのかと葵が首を傾げていると、背後で扉が開く音がした。

 室内に入って来たのは二十代前半と思われる、黒髪の女性だった。フロンティエールの民族衣装を身にまとっている彼女は王宮で侍従長をしているリンだ。葵がこの塔に閉じ込められてからというもの、彼女は王宮と塔を往復して色々と世話を焼いてくれている。

「結婚式の準備は間もなく終わります。ジノク王子は明日にでも、あなたとの結婚式を挙げるおつもりのようです」

「明日!?」

 ベッドメーキングをしながらのリンの言葉に、驚いてしまった葵は声を張り上げた。するとすかさず、リンから鋭い視線が飛んでくる。慌てて自分の口を押さえた葵は、もう少し抑えた声音で話をするためにリンの傍へと寄った。

「ね、ねぇ、私の連れには話してくれたんだよね?」

 アルヴァやレイチェルなら何とかしてくれるだろうと高を括っていた葵は最初、リンに自分の居所を教えて欲しいとだけ頼んだ。しかし二日が経っても幽閉状態から抜け出せなかったため、三日目にはついに「助けて欲しい」と伝えてくれるようリンに頼んだのである。だがやはり助けは来ず、幽閉状態も今日で四日目だ。

「ちゃんと伝えました。けれど、あなたのお連れの方々は『そうですか』の一言で片付けられましたよ。あの方達は本当に信頼出来るのですか?」

 頭の片隅で見捨てられたのではないかと思っていた葵は、リンの話を聞いて悲しくなった。しかしアルヴァはともかく、ユアンとレイチェルは自分達の非を認め、葵の助けになるよう行動すると約束してくれたのだ。今は動かないのもきっと、何か考えがあるからに違いない。そう思い込みたかった葵はリンに力強く頷いてみせた。

「明日が結婚式ってことは、ここから出られるってことでしょ? きっと、その時に何とかしようって作戦とか練ってるんだよ」

「毎日楽しそうに過ごされていて、とてもそうとは思えませんが」

「だ、大丈夫。いざとなったら泳いででも逃げるから」

 苦肉の策に呆れたのか、リンは深々とため息をつく。呆れる前にもっと思いきった協力をしてほしいと葵は思ったが、リンが怖かったので本音は黙っておいた。

「ねぇ、リンさんは王子に想いを伝えようとかは思わないの?」

 話題を変えようと思った葵が疑問を口にすると、リンはまた殺気のこもった視線を投げかけてきた。どう転んでも彼女の気に障ることしか言えそうにないのだと察した葵は苦笑いを浮かべる。その笑みには応えずに顔を背けたリンは、忌々しいと言わんばかりの調子で言葉を紡いだ。






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