帰路

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 水の都、フロンティエールに朝が来た。本来ならば今日はこの国の王子の結婚式が行われるはずだったのだが、王宮内にそのような賑わいは見られない。それどころか、王宮内では下働きの者までもが常にはない緊張感を漲らせていた。その理由は、他国の一般人ですら滅多に訪れることのないフロンティエールに大国の貴人が滞在していると判明したからである。

 フロンティエールは閉ざされた国だ。そのためこの国の王も他国の……それも、世界に名を馳せている大国の貴人をどう扱って良いのか分からないようで、彼は先程からしきりに汗を拭っていた。明らかにこの事態を持て余している自国の王を、この国の重鎮達がハラハラしながら見守っている。そんな異様な空気が漂う会談の間で、上座に座っている大国の貴人は和やかな笑みを浮かべて見せた。

「そんなに畏まらなくてもけっこうですよ。これは正式な訪問ではなく、私的な旅行なのですから」

 王者の気風を漂わせながら堂々とした口上を述べたのは、金髪に紫色の瞳といった容貌の少年。ユアン=S=フロックハートという名の彼はまだ十二歳だが、東のゼロ大陸を治めているスレイバル王国の次期王位継承者なのである。世界の中でも特に魔法が発達しているスレイバル王国は、人界のリーダーと言っても過言ではない。スレイバル王国と国交のないフロンティエールの王がユアンの正体を知って焦っているのが、その何よりの証拠だ。

「しかし、貴方様はあのスレイバル王国の未来を担うお方。仰っていただければ、それなりのおもてなしをさせていただきましたのに」

「もてなしは十分に受けました。フロンティエールは一介の旅人にも親切にしてくださる、とても気持ちの良い国ですね」

「あ、ありがたきお言葉! しかし……」

 フロンティエール王がまだ何かを言おうとするのを、ユアンは軽く手を上げることで遮った。

「先程も言いましたが、これは私的な旅行です。僕はまだ正式なスレイバル王家の一員ではありませんので、フロンティエールの方々を変に動揺させるのは申し訳ないと思いまして、身分を隠しておりました」

 本当はこの国を発つまで隠しておきたかったのだとユアンが付け加えると、フロンティエール側の要人から一斉に血の気が引いた。その理由は、この国の王子がユアンの連れを幽閉し、強引に結婚を迫っていたことが明らかになったからだ。しかし額を机にこすりつけるように低頭したフロンティエール王に、ユアンは朗らかな笑みを浮かべて見せた。

「もう、過ぎたことです。そちらの王子には申し訳ないことをしますが、彼女は解放していただけますね?」

「もちろんです! ジノクには後できつく言っておきますゆえ……」

 どうか、お情けを。仰々しいまでのそんな謝罪に、ユアンは内心では苦笑していた。どうやらフロンティエールにとって、スレイバル王国は畏怖の対象であるようだ。

「一つ、伺ってもよろしいですか?」

「は、はい。何でしょう?」

「僕は、スレイバル王国とフロンティエールに現時点では国交がないと認識しています。これは、間違いのないことですか?」

「はい……間違いはございません」

「では何故、国王はそれほどスレイバル王国を気にかけておられるのです?」

「……実は、私の曽祖父の時代にフロンティエールも世界会議に出席したことがありました。しかしご存知の通り、フロンティエールでは魔法を使うことが出来ません。そのことを理由に、世界会議ではほとんど発言の機会を与えられなかったそうなのです。そうした各国の対応に腹を立てた曽祖父は帰国後、フロンティエールと世界の繋がりを断ちました」

 もともと魔法が使えない地を訪れる者は少なく、フロンティエールはすぐに『閉ざされた国』となった。しかし現国王は、その流れを変えたいと考えていたらしい。いずれは魔法大国スレイバルとも国交を結びたいと取り組んでいた矢先に今回のようなことが起こったので、フロンティエール側は戦々恐々としてしまったということのようだ。

「なるほど。旅人を暖かく迎え入れてくださったのも、その取り組みの一環というわけですね?」

「はい……。まずは少しでも我が国を他国に知ってもらいたいと思いまして」

「それは、すばらしいお考えですね。僕も微力ながら協力させていただきます」

 そこで一度言葉を切ったユアンは、背後に控えているレイチェル=アロースミスを振り返った。彼女の本職は家庭教師だが、時と場合によってはユアンの秘書的な役割を果たすこともある。今がまさにそうした場面で、フロンティエール側の視線を一手に集めたレイチェルは滔々とうとうと、あるプランを口にしてみせた。

「世界はまだフロンティエール王国を『閉ざされた国』であると思っています。この意識を変えるには他国と国交を結ぶことも重要ですが、一般の人々が交流を持つことも非常に有意義です」

 他国に売り込むにせよ、一般人を誘致するにせよ、何らかのアピールポイントが必要だ。それを敢えて『魔法が使えない国』であることにしたらどうかと提案したレイチェルは、目を剥いているフロンティエールの首脳達にさらなる説明を加え始めた。

「先程のお話では世界会議の場において『魔法が使えない』ことが障害となっていたようですが、その当時と現在では時代が違います。魔法の発達したゼロ大陸では、敢えて魔法を使わないことで健康を維持するといった風潮まで生まれているのですから。そこでご提案したいのが、そういった趣向を持つ貴族をフロンティエール王国に誘致するというプランです」

 日常深くまで魔法が浸透しているゼロ大陸では、魔法を完全に断つことは難しい。だがフロンティエールに足を踏み入れさえすれば、どんなに多くの魔法を習得している者でも、その能力を使うこと自体が出来なくなってしまうのだ。これならうっかり呪文を唱えてしまっても、つい癖が出たと苦笑いを浮かべるだけで済む。そこがフロンティエールの、他国にはない絶好のアピールポイントである。

「まずはそういった趣向を持つ、ゼロ大陸の貴族を誘致いたしましょう。世界には一流の使用人を貴族や王族の元に派遣する団体もございまして、彼らは魔法の限界を人間ひとの手によって補います。そういった者を育成するのにも『魔法が使えない』という環境が貴重だと思われますので、世界使用人派遣協会にこのプランを売り込むのもいいでしょう」

「スレイバル王家には僕から口添えをしておきます。お互いに有益な関係を築けるといいですね」

 レイチェルが説明を終えたのを受けてユアンが話をまとめると、いつの間にか尊敬の念でもってレイチェルを見つめていたフロンティエールの首脳陣から拍手が沸き起こった。ユアンの魂胆を要約すると『正体を黙っていたお詫びに知恵を与えてやるから今回のことは水に流せよ』ということだったのだが、どうやら彼らは気付いていないようだ。しかしこれだけ恩を売っておけば、彼らはもうユアンに頭が上がらないだろう。いざという時には口裏を合わせるくらい、簡単に引き受けてくれるはずだ。

「いや、ユアン様は実に優秀な配下をお持ちですな」

 羨ましい限りですとフロンティエール王が言うので、ユアンはクスリと笑って席を立った。

「彼女は配下ではありません。僕の、家庭教師です」

 ユアンが踵を返したので、フロンティエールの首脳陣に一礼したレイチェルも彼の後に従う。会談の間を出るとユアンは口調を改め、平素の調子でレイチェルに話しかけた。

「さすがだね。レイの弁舌はいつ聞いてもキレがある」

 彼女のプレゼンテーション能力はトリニスタン魔法学園に通うことによって鍛えられたものである。もともと彼女にはずば抜けた発想力があったのだが、高度な教育を受けることによってその才能がさらに磨かれたのだ。この弁舌によってレイチェルはスレイバル王家すら虜にしてしまったのだから、天才としか言い様がない。

「お褒めに預かり、光栄です。ですがユアン様、こういったことを続けていると、いつか王家にも悪行が知れてしまいますよ?」

「あ、アオイ」

 ちょうどいい逃げ口を見つけたユアンはレイチェルの小言を聞き流し、小走りで廊下に佇んでいる黒髪の少女の傍へ寄る。ユアンが初めから聞く耳を持たないことを承知していたレイチェルもしつこくすることはせず、ただ彼女は小さく息を吐き出したのだった。






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