帰路

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 会談の間近くの廊下で会議が終わるのを待っていた宮島葵は、駆け寄って来たユアンを笑みで迎えた。彼は大人顔負けの小賢しさを持つ少年だが、歳相応の言動をする時は無邪気で可愛いものだ。突進するように抱きついてきたユアンは体を離すと、葵の出で立ちに目を留めて首を傾げた。

「もう行くの?」

 フロンティエールの王宮に滞在している間はこの国の民族衣装であるアオザイのような服を着用していたのだが、葵はすでに高等学校の制服に着替えている。今はこの場にいないが、同行者のアルヴァ=アロースミスもすでに出立の準備を終えていて、葵は彼と共にゼロ大陸へ帰ることをユアンに告げた。

「アルの怪我も魔法を使えば早く治るっていうし、いつまでもあのままじゃ可哀相だから」

 葵が閉じ込められていた塔から脱出した際、アルヴァは落下した葵を助けようとして腕の骨を折ってしまっていた。そのためアルヴァの右腕はギプスで固定されていて、まったく動かすことが出来ない。表面上は無表情を装っているが、彼が苛立ちを募らせていることを察していた葵は、アルヴァのためにも早々の帰国を決めたのだった。

「僕達はもう少しやることがあるから、ここでお別れだね」

「会えて嬉しかったし、楽しかった。じゃあ、またね」

「うん。またね、アオイ」

「レイも、またね」

 ユアンとレイチェルに軽く手を振って別れを告げた葵は、アルヴァが待つ部屋へ戻ろうと踵を返した。しかしいくらも進まぬところで、前方に嫌な人物を発見してしまった葵は前へ進むことを躊躇して歩みを止める。こちらをじっと見ている黒髪の少年は、この国の王子であるジノクだ。彼が暴走してくれたおかげで葵は散々な目に遭った。だが立ち止まっていても仕方がないので、もう大丈夫だと自分に言い聞かせた葵はすぐにまた歩き出す。ジノクの傍へ寄ってから歩みを止めると、葵は小さく息を吐いてから言葉を紡いだ。

「じゃあ、帰るから」

「その前に式だけでも挙げていかぬか?」

 せっかく準備をしたのだからと、ジノクは的外れなことをサラリと言ってのける。ただの宴会ではないのだからと、葵は呆れてしまった。

「まだそんなこと言ってるの? 私はあなたとは結婚しないし、ここにずっといるつもりもないから」

「郷里へ戻るのを引き止めたりはせぬ。余はもともと、そのつもりだったのだからな」

「は?」

 結婚をしたら一緒に暮らすのが当たり前だと思っていた葵はジノクの意外すぎる発言に開いた口が塞がらなくなってしまった。初めから引き止めるつもりがなかったのなら、あの幽閉は何だったのか。何だか嫌な予感がすると思いながら、葵は恐る恐る疑問を口にしてみる。するとジノクはアッサリとした口調で、「あれは結婚式が終わる前に逃げられると困るからやった」のだと明かした。

「結婚さえしてしまえば、お互いがどこにいようが妻は妻、夫は夫であろう? 余もそなたの立場に立って考えてみたのだが、風習の異なる他国に永住しろと言われるのは辛い。そこまでそなたに我慢を強いるくらいならば、お互いが自国で暮らし、時々どちらかの国で会えばいいと思ったのだ」

 あの暴走は葵のことを色々と気遣った末のものだったのだと、ジノクはそう言いたいらしい。しかしあまりにも気配りの仕方が湾曲しているせいか、気遣われていたのだと知っても葵はまったく嬉しさを感じなかった。ここまで一方的かつ傍迷惑な気遣いというのも、そうそうないだろう。

(……あったま痛い)

 やはりフロンティエールは閉ざされた国で、この国の人々はどこかズレている。今更ながらにそう実感した葵は長いため息を吐き出した。

「あのね、それって気遣うポイントからして間違ってるから」

「そうなのか?」

「大体、結婚することが前提になってるのがまずおかしい。結婚するっていうのはお互いが納得してなきゃダメなの。私、何度も嫌だって言ったよね? それなのにまったく話を聞いてくれないし、私のために変わるとか言ってたけど、あれだって口ばっかりだったじゃん」

 次第に言葉が熱を帯びてきて、葵は溜めていた不満を一気に吐き出した。葵があまりにも饒舌に文句を並べ立てたからか、閉口しているジノクはキョトンとしている。もう終わったことなのだから熱くなっても仕方がないと自分に言い聞かせた葵は、所在無く頭を掻いた。

「とにかく、そんなんじゃあなたのことを本気で好きだって思ってる人が可哀相だよ」

 ジノクの身近には、一途に彼を思い続けている侍従がいる。彼女がいつか想いを告げる時のためにも、ジノクにはもう少し他人の気持ちを理解してもらいたい。余計なお節介ではあったが、そう思った葵はジノクを諭してから歩き出した。

(あ、叩いたこと謝るの忘れちゃった)

 歩いている途中でそのことを思い出した葵は再び足を止めて背後を振り返ってみた。しかしもうジノクの姿は見えず、引き返すのも面倒だ。本はと言えば叩かれるようなことをしたジノクが悪いのであり、葵は「ま、いっか」の一言で片付けることにした。

(あれで分かってくれればいいけど)

 先程のやり取りを思い返しながら再度歩き出した葵は、今度こそ寄り道をせずにアルヴァが待っている部屋へと向かった。アルヴァは骨折した手を肩から吊っているのだが、その上からマントを着用しているために一目見ただけでは怪我人と知れない。しかし葵の元へとやって来たアルヴァの動作はいつになく緩慢で、やはり少し動き辛そうにしていた。

「アル、大丈夫?」

「問題ありません。姉とユアン様は何と仰っていましたか?」

「もうちょっとやることがあるからまだいるって」

「そうですか。では、僕達は帰りましょうか」

「うん。帰ろう」

 帰るとは言っても葵の場合は我が家にではなく、ゼロ大陸の仮宿に戻るだけだ。それでもやはり『帰れる』ことを嬉しいと感じたのは、フロンティエールで様々なことが起こりすぎたためだろう。ユアンから貸し与えられている屋敷に戻ったらしばらくはのんびりしたいと、葵は帰りつく前からそんなことを考えていた。

「ネイズまで船で送ってくれるんだよね?」

「水路を下って海へ出て、外海からネイズに行くようです。行きに通った道を、今度は逆に進むということですね」

「あのさ、ちょっと寄り道してもいい?」

「寄り道? どこへですか?」

「私が閉じ込められてた、あの塔」

 葵が寄りたい場所を明かすと、アルヴァは何も言わずに頷いた。しかし無言ではあったものの、その瞳は明らかに「物好きだな」と言っている。そんなアルヴァの反応に苦笑を浮かべて、葵は彼を促した。

 王宮を出るとすぐ、水路に舟が浮かんでいるのが目についた。舟の上で待機していた男がこちらに気付いて声を掛けてきたので、葵とアルヴァはさっそく舟へと乗り込む。オールを持っているのは二十代後半から三十代くらいだと思われる男で、葵は彼の顔に見覚えがあった。名前は知らないが、ジノクの傍にいることが多かった男だ。フロンティエールに上陸して初めて立ち寄った村で葵を無理矢理浜辺に引きずって行ったり、塔で見張りをしていたのも彼である。

「私が閉じ込められてた塔に寄ってもらえますか?」

 葵が寄り道をお願いすると、男もアルヴァと同じ反応をした。あの塔は特別な事情がなければ葵としても二度と行きたくない場所なのだが、その特別な事情があるのだから仕方がない。塔に辿り着くと葵は船頭とアルヴァを舟で待たせ、一人で最上階にある部屋を目指した。

「おじーさん! おじーさん、いる?」

 ひっそりと静まっている部屋で声を張ってみても、会いたかった人物が現れるような気配はない。何度か呼んでみたのだが反応がなかったため、葵は小さく息を吐いた。

(どこかへ行っちゃったのかな?)

 この部屋で出会ったカエルは、葵が一人きりでいる時にしか姿を現さなかった。だからアルヴァ達を置いて一人で来たのだが、その気配りも無駄になってしまったようだ。彼には色々と世話になっただけに、葵は最後に会えないのを残念に思いながら唇を開いた。

「ありがとね」

 例えどこかへ行ってしまったのだとしても、彼は精霊なのだから感謝が届くかもしれない。もしかすると、姿を現さないだけでまだこの部屋にいるという可能性もある。そう思った葵は室内に向かって小さく手を振り、バイバイと呟いてから踵を返した。






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