1ヶ月後の答え

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 カーテンを開けると曇天が広がっていた。窓から見える風景は一面が雪で覆われていて、つい昨日まで色とりどりの花が咲き誇っていた後庭が見る影もない。テラスへ出てみると空気は肌を刺すように冷たく、吐き出した息が白く天へ上っていった。寒いと、当然の呟きを零したのは黒髪に同色の瞳といった容貌をしている少女。彼女は名を、宮島葵といった。

「おはようございます」

 背後から聞き慣れた声がしたので、葵は後にしてきたばかりの室内を振り返った。一人で使用するにしては無駄に広いその部屋は、葵のベッドルームである。先程まで誰もいなかったはずのそこに、今は金髪の青年が佇んでいる。美貌の青年の名は、アルヴァ=アロースミス。彼が朝になるとそこに佇んでいるのはこのところ毎日のことで、室内に引き返した葵は特に驚きもなくアルヴァを迎えた。

「おはよ。一晩のうちにずいぶん積もったね」

冬月とうげつ期の始まりはいつもそうです」

「季節が変わるの、ホントに急だよね」

 夜空に二月が浮かぶこの世界では、月が変わると途端に季節も入れ替わる。四季の国で生まれ育った葵には、それが物足りなく感じられるのだ。つい昨日まで秋の様相を呈していたのに、夜が明けてみれば一気に真冬というのでは情緒がない。しかし二つの異なる世界を知っている葵とは違って、この世界のことしか知らないアルヴァは話に乗ってこなかった。

「これを渡しておきます」

 そう言って、アルヴァが上着のポケットから取り出したのは手帳のようなものだった。掌サイズのそれを受け取った葵は、さっそくページをめくってみる。だが、ざっと見た限りではどのページも白紙だった。

「何、これ?」

「トリニスタン魔法学園の生徒の証です」

「へぇ、これが噂の」

 校則が記されていたり、顔写真が貼ってあるわけではないのだが、トリニスタン魔法学園の生徒の証は葵が通っていた高等学校で言うところの生徒手帳のようだった。以前にアルヴァから生徒の証は厄介な代物だという話を聞いていたので、葵はそれを渡してきた彼の真意が汲めずに首を傾げた。

「いいの? 私が持ってて」

「転移魔法が使えるようになったのですから、予鈴が届けられると便利でしょう? ただ学園内では使わないでいただきたいので、登校するときは置いていって下さい」

 この世界には時計というものが存在しない。その状況下で生徒がどうやって登校の時を計っているのかと言えば、学園から届けられるのだという鐘の音に従っているのだ。その鐘の音は学園内では誰でも聞くことが出来るのだが、学園の外に出ると生徒の証がなければ聞くことが出来ない。どんな風に予鈴が届けられるのかと思った葵は生徒の証を凝視していたのだが、それが反応を示す前にアルヴァが言葉を重ねた。

「では、学園へ行きましょう」

 まだ予鈴が届けられていなかったがアルヴァに促されてしまったため、葵は生徒の証をデスクの上に置いた。代わりに魔法書を取り上げ、ページをめくる。それはアルヴァの姉であるレイチェル=アロースミスから渡されたものではなく、旅行から戻って来てからアルヴァが買ってくれたものだった。初めは何も書いていなかった魔法書を、葵は少しずつ自分用に編纂している。よく赴く場所の魔法陣もこの魔法書に収められていて、葵はトリニスタン魔法学園アステルダム分校の項で指を止めた。

「アン・リベラシィオン」

 葵が呪文を唱えると、彼女が手にしている魔法書が光を放った。魔法書から指定の魔法陣だけが抜け落ち、それは零れた液体が大理石の上に広がるようにして拡大していく。魔法陣の膨張が止まると、葵は「アン・メタスタス」と続けて呪文を唱えた。本来であれば『アン・リベラシィオン』で魔法書の封を解き、その後に魔法を発動させる呪文を使うのが一連の流れなのだが、トリニスタン魔法学園の生徒ともなると『アン・リベラシィオン』は省略してしまう者が多い。王立の名門校に通う生徒はそれでも魔法を成立させられるのだが、覚えたての葵はとにかく基本に忠実に魔法を使うようにしていた。

 転移の魔法によってベッドルームを後にした葵とアルヴァは、丘の上に建つアステルダム分校の校舎北東に出現した。アステルダム分校は敷地の中央に校舎があって、生徒達が登下校に使用している魔法陣は校舎の西にある。だがそこに出現してしまうと目立つため、校舎の北東という辺鄙な場所にアルヴァが新たな魔法陣を敷いたのだ。転移が完了すると遠くに窺える校舎を振り返り、アルヴァは頷いて見せる。

「コツを掴みましたね。この分なら、明日からは一人で登校できますよ」

「ほんと?」

「ええ。大したものです」

 旅行から帰ってからというもの、アルヴァにサポートしてもらって魔法を使う練習をしていた葵は太鼓判を押されたことに気を良くした。何事も続けてみれば、それなりに成果は上がるらしい。

「それでは、僕は『部屋』へ戻ります」

 アルヴァの言う『部屋』とは、彼が学園内に作った隔離空間のことである。以前は保健室に酷似した部屋だったのだが、それが壊れてしまったため、また新しく作り直したらしい。まだ行ったことはなかったが鍵はもらっていたため、葵は「何かあれば来るといい」というアルヴァの言葉に頷いた。

 アルヴァが帰還を意味する「アン・ルヴィヤン」の呪文を口にして姿を消してしまうと、分厚い魔法書を胸に抱いた葵は新雪の上を歩き始めた。向かう先は、もちろん校舎である。その中途で新雪の上を走り回るミニサイズの雪だるま達を目撃したので、葵は彼らに手を振っておいた。

(この光景にも慣れてきたなぁ)

 雪だるま達が走り抜けて行った後に足跡などは残っていない。それは彼らが精霊と呼ばれる存在だからで、旅行を終えてから時折、葵は様々な形状をしている精霊達を目撃することがあった。雪だるまはきっと、そのまんま雪の精霊なのだろう。

 まだ生徒達に予鈴が届けられる前の時間帯のため、辿り着いた校舎はひっそりと静まり返っていた。学園へ来ること自体も一ヶ月ぶりだが、この雪が積もった光景と早朝の静謐さは、葵の脳裏に一年前の出来事を思い起こさせる。雪の季節に思い出ができてしまうほど異世界に滞在してしまっていることに、葵は苦笑いをしながら無人のエントランスホールを抜けた。

(もうすぐ一年、か……)

 休暇明けの本日は白銀の月の一日。これは葵が元いた世界で言えば一月に相当する。ついに年を越してしまうほど異世界での滞在が長引いているわけだが、幸いなことに、葵が生まれ育った世界とこの世界とでは時間の流れが同じではなかった。この世界での一ヶ月が、元いた世界での一日になっているらしいのだ。葵がこの世界へ召喚されたのが次月の初頭で、さらにこの世界の暦では七ヶ月で一年なので、葵が本来いるべき世界では失踪してから七日目ということになる。

(うわぁ、一週間かぁ)

 帰る方法が見付かるまでどのくらいかかるか分からないが、せめて一ヶ月以内には元の世界へ戻りたい。ため息をついた葵は体を覆っているマントの下で手を動かし、スカートのポケットに触れた。

(あとで電話しよう)

 ポケットに入っているのは、葵と一緒に世界の壁を越えてきた携帯電話。普通に考えれば繋がるわけがないのだが、何故だかそれは世界を隔てている友人の声を届けてくれる時がある。携帯電話の特性である『いつでも』『どこでも』というわけにはいかなかったが、学園内のとある場所が比較的繋がりやすいことを葵は知っていた。

 校舎二階にある二年A一組の教室に辿り着くと、そこにはまだ誰もいなかった。無人の教室に進入した葵は窓際の自席に腰かけると、何となく窓の外へと視線を移す。一夜のうちに積もった雪が目に見える風景をすっかり変貌させていて、また「懐かしい」などと考えている自分に葵は苦笑した。この学園での思い出は、決していいものばかりではない。それでも過去を懐かしんだり、登校することで何だかホッとしてしまっているのは、終月期にアルヴァと出掛けた旅行があまりにも悲惨だったからだろうか。

「ソマシィオン、ペン」

 召喚の呪文を唱えると、ペンが机の上に落ちてきた。続いて「アン・カルテ」と呪文を唱えると、ひとりでに動き始めたペンが空中に地図を描き出す。頬杖をついた葵は光で描かれた地図をぼんやりと見つめた。






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