1ヶ月後の答え

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 授業が始まってしばらくすると、廊下に沸き起こった喧騒が校内の静寂をぶち壊した。窓際の自席で老齢の担任教師が語る内容に耳を傾けていた葵は、女子生徒が大勢でわめきたてる黄色い声を聞いて体を固くする。葵が過敏な反応を示してしまったのは、今までに何度もこの騒ぎを経験してきているからだった。女子生徒がこういった声を発する時、その中心には必ずマジスターがいる。

「お嬢?」

 葵の隣の席を我が物としているクレアが、彼女の変化に反応して顔を傾けてきた。体を強張らせたままの葵は頬を引きつらせながらクレアに目を向ける。

「なんか、イヤな予感がする」

「なんや、それ?」

 クレアが訝しげに眉根を寄せた次の瞬間、葵の予感は的中した。授業中にもかかわらず二年A一組のドアが破られ、そこから強烈な喚声と共に三人の少年が入り込んできたのだ。私服姿の彼らは、この学園のエリート集団マジスター。泳いでいたキリルの視線がこちらに定まった時、葵とクレアは同時に席を立った。

「何の用や」

「どけ!」

 葵を庇うように立ち塞がったクレアに向かい、キリルは腕を払った。腕が当たるような距離ではなかったものの、キリルの体からは炎のようなものが迸ったため、クレアは大きく跳んでその場を退く。クレアは無傷だったがとばっちりをくった机や椅子などが燃え出してしまったため、二年A一組の教室ではたちまち混乱が起きてしまった。

 逃げ惑う生徒の声や、女子生徒の喚声が飛び交っている中で、葵は歩み寄って来るキリルを呆然と見つめていた。より正確に言えば、葵が見据えているのはキリルの顔ではなく、彼の体を覆っている魔力である。天井にまで達しようかというそれは『ベールのよう』という表現では収まりきらないほど濃度が高く、実際の炎を身に纏っているかのように見えた。魔法を使っているわけでもないのにそういった状態なのは、キリルの魔力が他とは比べ物にならないほど強靭だという証そのものだ。葵にはそこまでの事情は分からなかったが、ただ、キリルが他の誰とも違う特別な存在なのだということだけははっきりと理解出来た。

(すごい……何これ)

 自身の目で見ることが出来るようになって初めて分かる、凄まじさ。そういったものに圧倒されていた葵は、目前で起こったキリルの変化に気がつかなかった。しかし葵を庇おうと慌てて戻って来ていたクレアは、キリルの整った面に明らかな変化が表れた瞬間を目撃していた。彼は歩みを止めて、正面から葵の顔を注視するなり頬を朱に染めたのだ。

「……おたく、なに赤くなっとるんや?」

 クレアからツッコミが入ったことで、キリルと見つめ合うような形で静止していた葵はハッと我に返った。すでにキリルはクレアの方を向いているが、確かにその横顔は耳たぶまで真っ赤だ。

「熱?」

 季節が急に冬へと変わったので体調を崩したのか。そう思った葵が短く問いかけると、こちらに視線を戻したキリルの顔はさらに赤くなっていく。これ以上ないというくらい真っ赤になったところで、キリルは葵に向かって怒鳴り散らした。

「シネっ!!!」

 唐突に理不尽な科白を投げつけられた葵はあ然としながら走り去って行くキリルの背中を見送った。成り行きを見守っていたギャラリーも葵と同じ反応をしていたが、静寂は誰かが吹き出したことによって破られる。その直後、オリヴァーとウィルが腹を抱えて笑い出した。

「は、腹っ……」

 おそらくは「腹が痛い」と言いたいのだろうが、オリヴァーの発言は笑い声に呑み込まれていて言葉になっていない。冷静沈着なイメージが強いウィルも大笑いしていて、彼は笑うだけでは発散しきれないらしいおかしさを手近な机にぶつけている。オリヴァーはともかくウィルのそんな姿を見たのは初めてで、葵はそのことにもあ然としてしまった。

「……ガキやなぁ」

 笑い転げるオリヴァーとウィルを見て、クレアが冷めた感想を零している。何が何だか分からなかった葵は説明を求めてクレアを仰いだ。

「今、何がどうなったの?」

「何もどうもしてへんで?」

「だって、めちゃくちゃ笑ってるじゃん」

 葵がオリヴァーとウィルを指すとクレアは苦笑いを浮かべて二人を振り返った。

「おたくら、そろそろ笑いやんだらどうや?」

 そう言われてもなかなか治まるものではないらしく、オリヴァーとウィルはその後もしつこく笑い続けた。後に、ぐったりするほど笑った彼らは疲れた表情で手近なところにある椅子に腰を落ち着ける。

「あ〜、笑った」

「笑ったら喉が渇いたよ。お茶しに行かない?」

「ちょお、待ちぃ」

 クレアが話に介入したので、オリヴァーとウィルは彼女を仰いだ。

「クレアが淹れてくれるの?」

「誰もそないなこと言うてへん。さっきのアレ、説明せいっちゅーとるんや」

「なら、アオイとクレアも一緒に行くか?」

 オリヴァーが顔を傾けてきたが、一人だけまったく話が分かっていない葵は困惑した視線をクレアに流した。葵の視線を受け止めたクレアは躊躇もなく頷いて見せる。

「お嬢もちゃんと知っておいた方がええ」

「知るって……何を?」

 クレアは答えず、視線をオリヴァーとウィルへ向けた。葵が首を傾げながらクレアの目線を追うと、オリヴァーがそれに応えるように異次元から魔法書を取り出す。

「とりあえず、移動しようぜ」

「キルが先に行ってるかもしれないから、大空の庭シエル・ガーデンがいいんじゃない?」

 ウィルのこの一言で行き先が決まったらしく、オリヴァーは手にしている魔法書を再び異次元へとしまいこんだ。シエル・ガーデンは校舎の東にあるマジスター専用の花園であり、どうやらそこへ行くには魔法書を使う必要がないようだ。違いが分からないと眉根を寄せる葵をよそに、オリヴァーは葵とクレアの手を掴むと「シエル・ガーデンへ」と言葉を発した。

 シエル・ガーデンは全面ガラス張りの、ドーム状の建物だ。透けて見える曇天からは雪が降り注いでいたが、それが丸みを帯びているシエル・ガーデンの屋根に積もることはない。屋内では季節感を無視した色とりどりの花が咲き乱れていて、久しぶりにこの場所を訪れた葵は相変わらずだと思った。

「ねぇ、オリヴァー」

「ん?」

「何で魔法書も開かずに、しかも呪文を唱えてもないのに転移魔法が使えるの?」

「ああ……そうか」

 妙な表情になったオリヴァーは独りで何かに納得した後、眉間のシワを解いてから改めて葵に目を向けた。

「よく行く場所の魔法陣は頭に入ってるんだよ。呪文スペルの件は、制約が何もない転移とか、簡単な魔法だったら詠唱なしでも使えるんだ」

 転移の魔法は通常、魔法陣を介して行われる。魔法陣から魔法陣に移動するというのが転移魔法の基本形であり、普通は移動先の魔法陣を魔法書から呼び出して転移をするのだ。だがオリヴァーは、魔法書を使わないどころか呪文もなしに転移をやってのけた。彼は何でもないことのようにそのからくりを明かしたが、そんな芸当が出来るのは、この学園ではマジスターくらいなものである。

(マジスターってすごいんだ……)

 彼らがエリートであるということは知っていたものの、自力で魔法を使えるようになって初めて、葵はマジスターの特異さを理解した。やはり何事も、見るのと聞くのとでは大違いだ。

「あ、キル」

 先頭に立って歩いていたウィルが声を発したので、葵は思考を切り上げて顔を傾けた。視線を移してみると、花園の中央に設けられた席にキリルの姿がある。ぼんやりと座っていた彼はウィルの声に反応してこちらを向いたのだが、その漆黒の瞳が葵の姿を捉えるなり表情を変えた。

「帰る!!」

 怒ったような調子でそう言い放つと、キリルはすぐに姿を消してしまった。目が合った後のあからさますぎる拒絶に、葵は「なんだかなぁ」と苦笑を浮かべる。

(まあ、追い回されるよりはいいけど)

 殴られたり、不可解な言動に振り回されるよりは避けられた方がよっぽどマシだ。何故急に避けられるようになったのかはやはり謎だったが、この際それは置いておこう。葵はそう思って勧められた席に着いたのだが、そこで持ち出された話題は葵が今しがた気にせずにおこうと決めたものだった。






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