1ヶ月後の答え

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 クレアやマジスターと別れて一人でシエル・ガーデンを出た後、校舎に戻った葵は一階の北辺にある保健室を訪れた。アルヴァから新たにもらった鍵で扉を開けると、その先に広がっていたのは見知った風景。保健室に酷似した窓のない部屋に足を踏み入れた葵は、後ろ手に扉を閉ざすなり深々とため息をついた。

「初日からさぼり?」

 白衣姿のアルヴァが椅子ごと振り返ってそんなことを言ったので、葵は苦笑いを浮かべながら簡易ベッドに腰を落ち着ける。

「なんか、アルの白衣姿久しぶり」

 ついでに言えば、白衣の下の服装をだらしなく着こなしているのを見るのも久しぶりだ。外に出ている時は常にきちんとした服装をしていたので、久しぶりにだらけた姿を見ると前以上にだらしなく思える。だがこれは彼の気が緩んでいる証拠で、葵としてはこういった時のアルヴァの方が接しやすいのだ。

「この部屋も変わらないね」

 どうせ作り変えるのなら大胆にリメークしてしまえば良かったのに。葵がそうした感想を述べると、アルヴァは「この眺めが落ち着く」のだと言った。

「暗いなぁ」

「ほっといてくれ」

 素っ気なくそう言った後、アルヴァはすぐに本題を口にした。何の用だと問われた葵は口を噤み、それから脆弱な笑みを浮かべる。

「なんか、一息つきたくて」

「それは僕の顔を見たかったということ?」

「うん、それもあったのかも」

「……一体、何があったんだ?」

 アルヴァが急に生真面目な調子になったので葵は吹き出してしまった。以前は仕方なくアルヴァに頼っていたような気がするが、今は彼を頼りにする心持ちが以前とはかなり違う。そんな風に思うようになったのはきっと、一ヶ月という期間を共に過ごして少しアルヴァという人物を知ることが出来たからだろう。特に躊躇も感じず、葵は先程のシエル・ガーデンでの出来事をアルヴァに語った。話を聞き終えるとアルヴァは椅子の背もたれに体重を預け、なるほどねと独白を零す。

「魔法の支配から解放されたとは言っても、慣習はそう簡単には拭えないよ。キリル=エクランドはこれからも、ミヤジマに固執すると思っていた方がいいだろうね」

「クレア達はそれが恋愛感情だって言うんだけどさ、私はそうは思えないんだよね」

「それはキリル=エクランドが決めることだろう。周りがどう思おうが変わらない」

 他人事だと思って面白がったり、変にはやし立てたりせずに客観的な意見を述べるアルヴァを、葵は「大人だ」と思った。

「それで、ミヤジマはどうするの?」

「どうって……何が?」

「もしキリル=エクランドに好きだって言われたら、付き合う?」

「まさか」

 葵が即答したのには二つほど理由があった。一つは自分自身の問題で、葵はキリルのことをそういう対象として見たことがない。そしてもう一つはキリルの方の問題で、誰に何と言われようが、彼が自分を好きだとは思えなかったのだ。今まで散々な目に遭わされているだけに、急に好意を抱いていると言われても信じられない。まして当人から言われたわけでもなく、第三者から見た意見では、信じろと言う方が難しいだろう。

「いい返事だ」

 ティーカップを手にしたアルヴァが口角を上げたので、何故微笑むのか不思議に思った葵は首を傾げた。葵の反応を見たアルヴァは紅茶を一口含んでからティーカップを置き、口元に笑みを残したまま言葉を重ねる。

「ミヤジマの気持ちがキリル=エクランドに傾くようなことがあれば、僕は全力で阻止しなければならなくなるからね」

 場合によってはフロンティエールの王子がやったように、無理矢理にでも自分のものにするかもしれない。アルヴァが平然とそんなことを言うので、ゾッとした葵は体を硬くした。

「な、何で?」

「声が震えてるよ?」

「うっさいな! アルが変なこと言うからでしょ!」

 声を荒らげることで気持ちを静めたかった葵の意図などお見通しのようで、アルヴァは軽快に笑っている。またからかわれたのかと思った葵は口唇を尖らせたが、アルヴァはすぐに笑みを収めて言葉を次いだ。

「前にも言っただろう? キリル=エクランドとウィル=ヴィンスはダメだって」

「ああ……」

 そういえば、そんなことを言われていたような気もする。葵にその程度の認識しかなかったのは、初めから彼らとそんな仲になるつもりがなかったからだ。その気持ちは今も変わっておらず、この話に少々うんざりしてきた葵は小さく首を振った。その仕種で葵の意図は伝わったようで、アルヴァはふっと表情を緩める。

「まあそういった事態になったとしても、僕ならもっとスマートにやるけどね」

「スマートにって、何が?」

「フロンティエールの王子のように子供じみた真似はしないということだよ」

 アルヴァは暗に、自分がその気にさえなれば相手が葵でも落とせると豪語している。彼が自信家であることは知っていたものの、ここまでかと思った葵は呆れてしまった。

「アルってさ、フラれたこととかないの?」

「あるよ」

 それが当然だというような口調の答えが返ってきたので、てっきり「あるはずがない」と言われるだろうと思っていた葵は驚いてしまった。

「へぇ……意外。あるんだ?」

「どう意外なのか、ミヤジマの意見を聞かせてもらいたいね」

「だってアル、いつも自信満々なんだもん」

「自信はあるよ。大抵の女性は僕の外面に好意の目を向けてくるからね」

 内面にはまったく触れず、ここまで堂々と外面の良さだけを強調する人も珍しい。自分の容貌に自信があるからというよりも、アルヴァの発言にはもっと別の何かが潜んでいるのではないだろうか。直感的にそう感じた葵は眉をひそめたのだが、アルヴァは葵の変化には言及することなく軽口を続けた。

「フロンティエールの女官なんて、いい例じゃないか」

「……そういえば、ドロケイやってる時に抱きつかれてたね」

「相手をしてあげても良かったんだけどね、あの時はレイチェルがいたから」

 軽薄な行為をするわけにはいかなかったのだと、アルヴァは肩を竦める。彼の口から姉の名前が出てきた時点で止めた方が良さそうだと判断した葵は話を元に戻すことにした。

「他の人はどうか分からないけど、私はアルのこと好きにならないよ? アルがこういう人だってこと知ってるし」

「そうだね。これから口説こうとする相手に言うべきことじゃなかったな。でもね、ミヤジマ。ミヤジマが僕の性根を知っていても、その気にさせる手段なんていくらでもあるんだよ?」

「は?」

「例えば……そうだな。魔法薬に耐性のないミヤジマを薬漬けにして僕の意のままに操る、とか」

「外道!!」

 どこがスマートな方法だと、声を荒らげた葵は勢いこんで立ち上がった。アルヴァは軽い声音で笑っているが、先程の発言が本気か冗談かは五分五分といったところだろう。今は深く突っ込まない方がいいと思った葵は呆れた表情を作って息を吐き、話題を変えた。

「クレアが引っ越して来るって言ってたから、一応言っておくね」

「引っ越しって、ミヤジマが住んでるあの屋敷に?」

「うん。なんか、ユアンに勧められたとか言ってたよ」

「そう。分かった、ありがとう」

「今日は仕事ないとか言ってたから、クレアと一緒に帰るね」

 放課後はアルヴァに教えを乞う約束をしていたので、断りを入れた葵は『アルヴァの部屋』を後にしようとした。しかし扉に手をかける前に呼び止められたので、首を傾げながら振り返る。

「何?」

「噂をすれば、だよ。クレア=ブルームフィールドが『保健室』に来てる」

 どうやら葵を探しているらしいとアルヴァが言うので、葵は首を傾げたまま疑問を口にした。

「前から不思議に思ってたんだけど、そういのって何で分かるの?」

「保健室にウサギがいるだろう? あのウサギが教えてくれるんだよ」

 アルヴァの代理として保健室に居座っているでっぷりとした白ウサギの姿を思い浮かべた葵は、そこからさらに疑問を発見し、いい機会なので尋ねてみることにした。

「ウサギが言ってたエクスペリメンターって何?」

「その辺りの話は、まあそのうちにね。ミヤジマはしばらく待ってからここを出て、外から保健室に入って来なよ」

 立ち上がったアルヴァは素早く服装を正し、出入口とは逆の奥の扉へ向かって行く。言われた通りにしばらく室内で待機した後、アルヴァの部屋を後にした葵は廊下へ出た。そして今度は、鍵を使わずに保健室の扉を開く。室内にはすでにアルヴァの姿があって、猫をかぶっている彼はクレアとにこやかに会話をしていた。

「お嬢」

「それでは、僕は失礼します」

 クレアがこちらを向いたのを契機に話を切り上げたアルヴァは保健室の奥にある扉へと向かって行く。アルヴァが姿を消してしまうと、その背中を見送っていたクレアは輝いたままの瞳を葵に向けてきた。

「はあ、やっぱりアルはステキやわ」

 休暇前と何ら変わらぬ場面を目にした葵は苦笑いを浮かべ、アルヴァのどこがどうステキなのかを力説するクレアを促して保健室を後にした。






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