嵐、到来

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 冬月とうげつ期最初の月である、白銀の月の二日。冬月期に入ってすぐ降り注いだ雪が世界を白く染めていて、今なお降り続く牡丹雪が雪壁をさらに高いものにしようとしていた。吐き出す息は白く、鈍色の天へと上って行く。そんな凍える寒さの中、丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校では新雪と同色のローブを纏った生徒達が校舎へ向かって列を成していた。

「よう降るなぁ」

 雪が舞い降りてくる空を見上げながらそんな感想を口にしたのは、赤味の強いブラウンの髪を持つ少女。ワニに似た魔法生物を肩に乗せている彼女の名は、クレア=ブルームフィールドという。彼女のパートナーである魔法生物は名をマトといい、寒気に直に晒されているマトを見て、クレアの隣を歩いている少女が口火を切った。

「マト、寒くないの?」

 黒髪に同色の瞳といった、世界でも珍しい容貌をしている少女の名は宮島葵。マトは人語を操ることは出来ないので、葵の問いかけに答えたのはクレアだった。

「平気や。マトは外気に合わせて体温調節しとるさかい」

「へぇ、そうなんだ?」

「うちなんかより、よっぽど魔法使うのがうまいんやで」

 魔法生物とはその身に魔力を宿して生まれてくる生物のことで、彼らは人間とはまた違った形で魔法を使うことが出来る。クレアの物言いから察するに、マトが行っている『体温調節』というのも魔法の一種なのだろう。トリニスタン魔法学園の制服であるローブにも似たような魔法がかけられているので、葵は納得して頷いた。

「それより、お嬢。今朝のスープのことやけどなぁ」

 クレアが唐突に話題を変えたので、ギクリとした葵は肩を竦めた。

 昨日から、葵とクレアは共同生活を始めた。今朝は葵が食事を作る当番だったので早起きして頑張ってみたのだが、これがものすごく不味かったのだ。食卓でも散々文句を言われたのだが、クレアはまだ言い足りないらしい。もっと料理の腕を磨けと説教されてしまった葵は深々とため息をついた。

「いいよ、もう。手作りなんてしないから」

「せやったら、どないする気や?」

「魔法で作る」

「出来もせぇへんこと言うんやない」

 クレアに一蹴されたことでふと、葵は彼女にまだ話していないことがあることに思い至った。

(そっか、クレアは私が魔法を使えないと思ってるんだっけ)

 葵はこの世界で生を受けた者ではなく、異世界からの来訪者である。そのため自力で魔法を使うことが出来なかったのだが、今は違うのだ。しかし自力で魔法を使えるようになった経緯にはデリケートな問題を含むため、迂闊に説明を加えることも出来ない。

(でもなぁ……)

 クラスメートというだけならまだしも、クレアは同居人になったのである。黙っていても、いずれ分かってしまうだろう。それなら変に隠さない方がいいのではないかと思った葵は、詳しい経緯は省いて結果だけを伝えてみることにした。

「魔法、使えるようになったの」

「そうなんか?」

「うん。だから明日からは魔法で料理するよ」

「それはどっちでも構わへんけど、何でまた急に魔法が使えるようになったん?」

「そこ、やっぱり気になる?」

「そら気になるわ。せやけどそれ、うちには言えへんことなんやな?」

 笑って誤魔化そうなどと考えていた葵はクレアの一言に驚いて目を瞬かせた。葵の間の抜けた表情を見て、クレアはふうと息を吐く。

「顔見とったらそのくらい分かるわ。言えへんことを無理に聞きだすことなんてせえへんから、それならそうとはっきり言いなや」

「クレア……」

 クレアのはっきりした態度に友情を感じた葵は久しぶりの感動を覚えて言葉を詰まらせた。葵の反応を見て、クレアは嫌そうな表情になる。

「なんや、その顔。このくらい、友達やったら当たり前やろ?」

「……ありがと。すごく、嬉しい」

「やめや。うち、湿っぽいのはイヤやねん」

 話をしているうちに教室へ辿り着いたので、葵は「そうだった」と笑いながら扉を開けた。刹那、教室内の視線が一斉にこちらへと向かってくる。友人と笑い合うことさえ許されないようなピリピリとした空気に、真顔に戻った葵は日常が戻って来たことを妙な形で実感した。

「魔法もロクに使えないような方達が、ずいぶんと楽しそうにしていらっしゃいますわね」

「わたくしが同じ立場でしたら恥ずかしくて、とても登校することなど出来ませんわ」

 くすくすと陰湿な笑い声を零しながら露骨な嫌味を口にしたのは、廊下に近い席に座っている二人組の少女。吊り目がきつい印象を与える少女は名をココといい、彼女は葵達の所属する二年A一組の女子のリーダー的存在だった。内巻きカールのサリーという少女はココの腰巾着だ。

「お嬢、行くで」

 クレアが涼しい顔でココ達の横を通り抜けて行ったので、眉をひそめていた葵も後に従った。しかし葵とクレアが窓際へ行ってしまってからも、ココとサリーのあからさまな嫌味は続いている。やけに絡むなと思った葵は昨日の出来事を思い返し、ああ……と胸中で呟きを零した。彼女達にはきっと、葵とクレアがマジスターと共に姿を消したことが嫉ましいのだろう。

(やっぱりマジスターに関わるとロクなことないなぁ)

 彼らと親しくすれば全校女子の妬みを買い、陰湿なイジメの対象となる。一度そうした経験をしているだけに、葵はマジスターと付き合いを持つことに消極的だ。しかし葵が身を引いたからといって付き合いがなくなるわけでもなく、マジスターとの微妙な関係は未だに継続されている。何故なのかと考えてみれば、そこにはキリル=エクランドという少年の存在があるような気がした。

「お嬢? 何考えこんどるん?」

「あ、ううん。何でもない。それよりさ、前から言おうと思ってたんだけど……」

「何や?」

 真面目な話だと思ったのか、クレアは真顔に戻ると姿勢まで正して葵の言葉を待っている。畏まられるような内容ではなかっただけに、葵は苦笑いを浮かべながら言葉を次いだ。

「名前で呼んで欲しいなって、言おうと思っただけなんだけど」

 葵が話の続きを口にすると身構えていたクレアは拍子抜けしたような表情になった。しかしすぐ真顔に戻った彼女は「それもそうやなぁ」などと呟きを零す。

 クレアは元々、葵の住んでいた屋敷に使用人として派遣されてきた。かりそめの主従関係が解消されてからも、お互いに特殊な環境に身を置いていたため、すっかり『お嬢』という呼び方が定着してしまったのだ。だが葵は、誰かにお嬢様などと呼ばれるような身分ではない。それに友達には、名前で呼んで欲しかった。

「せやったら、今度からミヤジマって呼ばせてもらうわ」

「宮島ってファミリーネームなんだ。どっちで呼んでくれてもいいけど、一応言っておくね」

「そうやったんか。せやからユ……」

 何かに納得したような表情をして言葉を紡ぎかけたクレアは、慌てて自分の口を手で覆った。彼女はおそらく、主人であるユアン=S=フロックハートという少年の名前を話題に上らせようとしたのだろう。だが彼の少年の名は、公の場で口にすることは望ましくない。そういった事情を承知している葵は、クレアが『トリックスター』と言い直したので笑ってしまった。

「とにかく、納得や。ほんならうちも、アオイって呼ばせてもらうで」

「うん。よろしくね」

 校内に始業を告げる鐘が鳴り響いて老齢の担任教師が教室に入ってきたので、葵とクレアはそこで話を切り上げた。葵は前の席に座っているクレアから教室の前方にある教壇に視線を移したのだが、担任教師に続いて教室に入って来た人物を見るなり驚愕に目を見開く。見知らぬ人物の登場に、二年A一組はざわめき出した。

 老齢の教師に続いて二年A一組に姿を現したのは、トリニスタン魔法学園の制服である白いローブを身に纏った少年と、その付き人と思われる私服の男だった。漆黒の髪を持つ少年が整った面立ちをしていたせいか、女子生徒がさっそく品定めを始めている。しかしその少年は、そんな視線には慣れていると言わんばかりの貫禄で物怖じせずに室内を見回している。泳いでいた目線が葵に固定された時、彼は子供のような無邪気さで瞳を輝かせた。

「ミヤジマ!」

 走り寄って来る少年を信じられない思いで見つめていた葵は、自分の体が彼の腕の中に納まってしまっても反応を示すことが出来なかった。少年がいきなり葵に抱きついたことで、教室内がどよめきに支配される。そんな周囲の反応で我に返った葵は慌てて少年の体を押し退けた。

「何で王子がここにいるの!?」

 ファスト大陸にあるフロンティエールという国の王子である少年は、葵の悲鳴にも似た疑問の声に「会いたかったから来た」のだと満面の笑みで答えたのだった。






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