曇天からは白雪が降り注ぐ中、トリニスタン魔法学園アステルダム分校の敷地内にある温室では色とりどりの花が咲き誇っていた。季節感もなく、一年中同じ景色を堪能することが出来るこの花園は、
「しかし、昨日は笑ったよな。アオイの顔見るなり真っ赤になって、言い放った言葉がよりにもよって『シネ!』だもんな」
ケラケラと軽快に笑っているのはオリヴァーで、それに対するウィルは至って平静な調子で口を開いた。
「反応がまるで子供だけど、キルの気持ちはよく分かったよね」
「でも、あれさ、キルの本心だと思うか?」
「さあね。キルが恋愛するなんて想像つかないから分からない」
「だよなぁ」
「あれがキルの本心だとまずいことでもあるの?」
オリヴァーが含みを持たせて口をつぐむと、耳聡いウィルがさっそく追及してきた。この手の話に興味があるのだかないのだか分からないウィルの真顔を見つめ、オリヴァーは気にかかっていたことを口にしてみる。
「アオイさ、恋人がいるみたいなんだよな」
「恋人って、あの庶民の彼でしょ?」
ウィルが何のことを言っているのか分からなかったオリヴァーは眉根を寄せたが、記憶の糸を手繰っているうちにあることを思い出した。オリヴァーとウィルは以前、パンテノンという街で葵が恋人らしき男と歩いているのを目撃したことがある。ウィルはきっと、その時のことを言っているのだろう。
「あの時の男とは別れたみたいなんだよな。と言うか、別れさせられたというか……」
「別れさせられた?」
「……キルに」
「意味が分からない。最初から説明してよ」
それまで魔法書を片手に話をしていたウィルが本を閉じたので、彼が本格的に話を聞く気になったことを見て取ったオリヴァーも表情を改めた。一応周囲を見回して、キリルの姿が見えないことを確認してからオリヴァーは話を始める。
「俺も本人から聞いたわけじゃないんだけどさ、キルの奴、使用人にアオイの恋人らしき男のことを調べさせたらしいんだよ」
「そういえば、キルがひどく動揺してた時があったね」
「そうそう。他人の恋路をジャマしてやるなよって言ったら怒りやがって」
「で? 使用人に調べさせた後はどうしたの?」
「乗り込んだらしい。直接、その男の家に」
「……へぇ……」
相槌を打ちながら、ウィルはオリヴァーから視線を外した。何事かを考えていたらしい彼は少し間を置いた後、それもハーヴェイがキリルにかけた魔法のせいだろうと言う。ウィルの意見に同調したオリヴァーは椅子の背もたれに体重を預け、紅茶を一口含んでから話を続けた。
「使用人の一人がキルに言われて、しばらくその男の家を監視してたんだと。そしたらアオイが泣きながらそいつの家を後にして、それ以来寄り付かなくなったらしい」
「ふうん。で、オリヴァーは何を言いたいわけ?」
「俺達が見た奴とは違う奴らしいんだけど、アオイには今も別の恋人がいるんだ。だからキルがまた暴走すると、余計嫌われるって話」
「キルも裏から手を回してないで正面から向かって行けばいいのに」
「……それをお前が言うか」
裏から手を回して周囲を操るのはウィルの十八番である。しかも彼の興味はもう失せてしまっているようで、明らかな棒読み口調にオリヴァーは呆れたのだった。
「キル本人がまだあの調子だからな。アオイのこと好きだって認めてもないのに、正面からなんて無理だろ」
「認めるつもりなんてなさそうだけどね」
「じれったいな。態度を決めてくれればこっちも楽なのに」
「楽?」
「アプローチに行くのか行かないのか、キルがそれだけでも決めてくれれば行動を先読みしやすいだろ?」
「……それってさ、アオイをフォローするってこと?」
オリヴァーが頷くと、ウィルは怪訝そうに眉をひそめた。あれこれと対策を練りながら問答していたオリヴァーは、ウィルに改まった調子で呼びかけられたことでハッとする。オリヴァーが焦点を合わせると、ウィルは眉間にシワを刻んだまま言葉を重ねた。
「前から思ってたんだけど、オリヴァーのアオイに対する執着も異常じゃない?」
「執着? してるように見えるのか?」
「見えるね」
ウィルにあっさりと断言されてしまい、オリヴァーは「うーむ」と一人で唸った。しかしすぐにハッとして、慌てて転移の魔法陣が描かれている方角に視線を移す。そこに炎のようなゆらめきを見たオリヴァーは、再びウィルを見ると早口で捲くし立てた。
「キルの前でそーゆーこと言うなよな」
肩を竦めて見せただけのウィルは、もしかしたら故意にキリルを煽るかもしれない。彼がそういう性格であることは重々承知しているので何を言っても釘を刺すことにはならないが、オリヴァーは一応、ウィルを横目で睨みつけてから歩み寄って来るキリルを迎えた。
「……これはまた」
「不機嫌、だね」
ポケットに両手を突っ込んでいる態度も、口唇を尖らせて不服そうにしている表情も、キリルの体から垂れ流されている炎に似た魔力も、全てが彼の不機嫌を如実に物語っている。無言で空席に腰を落ち着けたキリルがいきなり脚をテーブルの上に叩きつけたので、オリヴァーとウィルは素早く自分の前にあるティーカップを避難させた。
「あの女、教室にいやがらねぇ」
機嫌が悪いとき、キリルは滅多に自分からその理由を語ることはない。誘導して聞き出すのが常のオリヴァーとウィルは、自ら不機嫌の理由を明かしたキリルを意外に思い、顔を見合わせた。
「アオイの所に行ってきたのか?」
オリヴァーの問いかけに、キリルは頷かなかった。しかし嫌そうな表情をしているところを見ると、どうやら間違いなさそうだ。
「何しに?」
オリヴァーが敢えて言及しなかった部分をウィルがざっくりと切り込んでいく。するとキリルは妙な表情をして、口元に手を当てた。何かを考えているようだ。
「……何しに行ったんだ?」
しばらくの沈黙の後、キリルは眉根を寄せて独白を零した。その内容を聞き、ウィルが無遠慮に吹き出す。笑われたことにカッとなって立ち上がりかけたキリルを制すと、オリヴァーは長い息を吐いた。
「キル、ウィルは無視していいから俺の質問に答えてくれ」
「……なんだよ」
「アオイに会いに行ったのは用事ってわけじゃなかったんだろ?」
オリヴァーは「あんな女に用事なんかあるはずねぇだろ」くらいの言葉が返ってくることを予想していたのだが、キリルは素直に頷いただけだった。いつになく殊勝な態度に少し気味の悪さを感じつつ、オリヴァーは話を進めて行く。
「じゃあ、何で会いに行ったのか自分で分かるか?」
「まだるっこしいね。会いたいから会いに行った。そんなことをした理由はキルがアオイのことを好きだから。オリヴァーが言いたいのって、要はこういうことでしょ?」
手順を踏んで理解させようとしていたオリヴァーの努力をウィルが粉砕すると、キリルは一瞬にして沸騰してしまった。こうなってしまってはもう言葉が通じないので、オリヴァーはやれやれと肩を竦める。
「たまにはサンルームにでも行こうぜ。アオイがこれから学園に来るなら、あそこにいれば分かるかもしれない」
以前にサンルームから葵の姿を見たことがあるとオリヴァーが明かすと、ウィルと口論していたキリルはピタリと動きを止めた。まだキリルをからかい足りないのか、ウィルも行くと言い出したので結局は三人で移動する。転移魔法によって校舎五階にあるサンルームに出現した三人は、そこで目にした光景に三者三様の反応を示した。
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