嵐、到来

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『も〜、しつこすぎ』

 通信相手がアルヴァだと思って応じたのか、かったるそうな第一声を発したユアンは葵の顔を見るなりギョッとしていた。机の上で横たわっているレリエから、投影機を使った時のように映像が空間に映し出されていて、その中にいるユアンに葵はめいっぱい怒りを含んだ微笑みを投げかける。

「ちょっとだけ、久しぶり」

『あ、う、うん……そうだね』

「ユアン、今日は僕が許可するからこっちへ遊びに来ないか? 僕とミヤジマで一発ずつ、ゲンコツで迎えてあげるよ」

『やだ。今日は絶対行かない』

 大袈裟に慄いて見せたユアンは、その直後にクスクスと笑い始めた。どうやら面食らっていたのは最初のうちだけで、もうすっかり余裕らしい。

『息ぴったり。アルとアオイ、ずいぶん仲良くなったんだね』

 ユアンの悪行を咎めるはずが先制攻撃のとんちんかん発言に、すっかり毒気を抜かれてしまった葵とアルヴァは顔を見合わせた。そんなリアクションも息がぴったりだと、ユアンはケラケラと笑っている。なんとも言えない気持ちになった葵はつられて苦笑いを浮かべてしまったが、アルヴァはさっさと無表情に戻って話を再開させた。

「こうして呼び出された理由は、もう自分でも分かっているんだろう?」

『ジノク王子のことでしょ?』

「まったく、何を考えているんだ」

 悪びれもせずにジノクの名前を出すユアンに、アルヴァは疲れが混じったため息を吐いた。しかしユアンは、余裕の笑みを浮かべたまま話を続ける。

『フロンティエールで僕の素性をバラしちゃったから断れなかったんだよ。見聞を広めるいい機会だって、フロンティエール王も賛成だったしね』

 葵には事情がよく分からなかったがユアンの発言は強烈な牽制だったらしく、アルヴァは低く呻き声を絞り出しながら閉口してしまった。こうなったら自分だけでもと、葵はアルヴァに代わってユアンに抗議する。

「私はすっごく迷惑なんだけど」

『小動物系の甘え方で迫れって教えこんどいたから、たぶんフロンティエールにいた時よりも身の危険は低いよ。それでも危ない目に遭ったら僕に言って。すぐにジノク王子を送還しちゃうから』

 ユアンは平然と対策を講じていることを明かしたが、その内容に葵は愕然としてしまった。真に受けるジノクもジノクだが、ユアンは一体どれだけの人物を掌の上で転がすつもりなのか。自分もアルヴァも彼の駒に過ぎないような気がしてきて、葵はユアンの謀略に辟易してしまった。すると葵の変化を敏感に察したユアンが、悲しそうに顔をしかめる。

『僕のこと、イヤなヤツだって思ったでしょ?』

「……ちょっと。いや、かなりかも」

 率直な胸の内を言葉にすると、ユアンはもう何も言わなかった。彼がひどく傷ついた表情をしていたので葵は言いすぎたことを反省したが、謝意を口にする前にアルヴァが容喙してくる。

「フロンティエールの公用語は魔法化出来たのか?」

『うん。問題はないと思うけど、実際にはどう?』

「ミヤジマ、周囲はジノク王子の言葉を理解していたか?」

 アルヴァが不意に話を振ってきたので、先程多人数での話し合いを終えたばかりの葵は頷いて見せた。ジノクの従者であるビノとクレアが話し込んでいたくらいなのだから、その言語の魔法化というのはうまくいっているのだろう。

「見ての通り、順調なようだ」

『そう。良かった』

「それで、王子にはどの程度の知識を与えてあるんだ?」

『うーん、とりあえず僕達のことはナイショにしてねって話はしておいたんだけど、なにしろ時間がなかったからね。この国のこととか、詳しいことはそっちで説明してあげて』

「滞在期間は?」

『一ヶ月。白殺しの月にはフロンティエールに帰るってことで本人も納得してる』

「分かった。後はこっちで何とかする」

『うん、よろしく。じゃあ、アオイ』

 いきなり名指しされた葵は少し気まずさを残したまま、ユアンに視線を傾けた。だが彼はもう何事もなかったかのような笑みを浮かべていて、バイバイと手を振ったかと思うと通信が途切れる。最後に笑顔を見せてくれたことで、葵はホッと胸を撫で下ろした。

「あれは、しばらく落ち込むな」

 アルヴァがぼそりと呟いた言葉が何を意味するのか、瞬時に察した葵はギクリとした。そのことで安堵した後だけに、アルヴァの独白はタイミングが悪い。

「やっぱり、キツかった?」

「ユアンのアレは天命デスタンなんだよ。それがないと生活に支障をきたすような……そう、魔法みたいなもんだ。生きていけないわけじゃないけど、必要。それを非難するのは、ちょっと可哀相だね」

「……ごめん、意味分かんない」

「ユアンは将来、この国の王になる。王っていうのは国民を好きに扱うことが出来るけど、それは言い換えれば、王が間違っていたら国全体が間違うことになる。だから、うまく人を扱うことは彼のデスタンというわけだ」

 今はまだ王子ですらないが、そういった教育を受けているユアンの言動に権謀が顔を覗かせてしまうのは仕方のないことだ。それでも、彼はまだ十二歳の少年。大人顔負けの狡猾さを有していても、その根幹を成している精神はまだ未成熟なのだ。あの様子からすると葛藤があるのかもしれないねと、説明の最後に付け加えられた言葉に葵は胸が痛くなった。

「ひどいこと、言っちゃった」

「まあ、次に会った時にでも謝っておけばいいんじゃないか? 彼の思いつきの言動でいらぬ苦労をさせられることは多いわけだし」

「……うん」

 アルヴァの言葉に頷いてはみたものの、気分はちっとも晴れなかった。ユアンが初めて見せた本気で悲しそうな顔が、頭から離れない。しかしアルヴァはもう頭を切り替えているようで、無属性魔法で紅茶を淹れた彼は葵にティーカップを受け取るよう勧めた。

「とりあえず、後でジノク王子を連れて来てよ。保健室の方でいい」

「アルって大人だね」

「……ミヤジマ、人の話をまったく聞いてないね?」

 ふう、と息を吐き出すと、アルヴァはデスクの引き出しから煙草を取り出した。どうやら話に付き合ってくれる気はあるようで、彼は一度煙を吐き出してから言葉を重ねる。

「僕は、実年齢的に大人だからね」

「そういうことじゃなくて……」

「感情の切り替えが早い、ってこと?」

「ああ、そう。それ」

 自分の中でも曖昧だった思いをアルヴァが正しく汲み上げてくれたので、その鋭さにも葵は感服した。そういうところもひっくるめて、彼は『大人』なのだ。

「何で、そんな早く切り替えられるの?」

「諦めることを知ってるからだろうね」

 アルヴァが『大人』な理由を知れば自分にも生かせるのではないかと目論んでいた葵は、思いがけない答えに眉をひそめてしまった。

「諦め?」

「ミヤジマも諦めることを知れば、たぶん『大人』になれるよ」

 諦めると聞いて葵の頭に浮かんできたのは生まれ育った世界の風景と、そこにいる人達の顔だった。

「……諦められないものがあるから、私はまだ大人になれそうもないなぁ」

「だったら、まだ子供でいればいい。子供でいられるうちは、ね」

「なんか、アルがそんなこと言うなんて意外」

 むしろ「大人になってもらわなきゃ困る」くらいのことを言われそうだと思っていた葵は、素直な驚きをアルヴァに伝えた。するとアルヴァは難しい表情になって空を仰ぎ、葵の意見に同意までしてみせる。彼は、本当は『大人』になりたくなかったのではないだろうか。いつもとは違うアルヴァの態度から、葵はふとそんなことを思ってみたりした。

「アルは何を諦めたの?」

「……足掻くこと」

「え?」

「僕は、足掻くことを諦めた。認めたくなかったものを許容して、張り合いと指標を失った」

「……アル?」

「代わりに得たものは……何だろう。ミヤジマに暗いと言われたこの『部屋』での生活と、軋轢を生まない人間関係かな」

「アル!」

 異常なくらい滔々と自身のことを語っていたアルヴァは、葵の発した声にハッとしたような表情をした。しかしそんな表情を見せたのは一瞬のことで、次の瞬間には無表情に戻って首を傾げる。何にホッとしたのかは分からなかったが、とにかく葵は安堵した。

「私、そろそろ行くね。ジノク達のこと、クレアに丸投げしてきちゃったから」

「じゃあ、そのまま王子を連れて来てよ。僕は保健室で待っているから」

「りょーかい」

 アルヴァの部屋を後にして廊下に出るなり、葵は短く息を吐いた。

(アルの過去、か……)

 アルヴァがどういうつもりで過去を口にしていたのかは分からないが、彼の過去はきっと、生半可な気持ちで触れてはならない類のものだ。フロンティエールからの帰り道、船の上でも同じことを思ったのに、探るような質問を迂闊にしてしまった。まさか答えが返ってくるとは思っていなかったのだが、気をつけようと肝に銘じた葵はもう一度嘆息してから静かな校内を歩き出した。






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