最悪のゲーム

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 昼間から降り続いている雪は夜になっても止まず、丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校は白く染まっていた。雲が晴れていれば空に月が昇っている時分のため、校内にも校外にも人気はない。だが校舎の一角にある『アルヴァの部屋』には、その夜も薄明かりに映し出される部屋の主の姿があった。

 保健室と表裏一体の私室で薬草学に関する本を開いていたアルヴァは、やがて保健室の代理人から信号を受け取って本を閉ざした。分厚い専門書と共に顔から引き抜いたメガネをデスクの上に置いた彼は、ゆっくりと立ち上がると部屋の奥にある扉へと向かう。その先は小部屋になっていて、そちらへ移動したアルヴァは一度扉を閉ざしてからすぐにまた開けた。

「今日はそっちから登場なんだ?」

 保健室へやって来たアルヴァに目を留めて、探るような調子で声をかけてきたのはウィル=ヴィンス。日中に彼から伝言メサージュを受け取ったため、アルヴァはウィルが訪れるのを待っていたのだった。

「用件は?」

 窓に面して設置されている保健室のデスクに腰を落ち着けたアルヴァは椅子ごとウィルに向き直ってから脚を組んだ。長い話になるのか、ウィルも簡易ベッドに腰を下ろしてから話に応じる。

「アオイ、クレア、キル、ジノク王子、王子の付き人。このメンバーで今日、ハント場に行ってきたんだ」

 ややこしいメンバー構成もさることながら、ハント場という場所に引っかかりを覚えたアルヴァは眉根を寄せた。ハント場は貴族の遊び場で、施設内に放たれている獣を狩るための場所だ。何故葵がそんな場所に行くことになったのか。その一点のみが気になったアルヴァはウィルに疑問をぶつけてみた。

「何故って、キルとジノク王子がうるさいからだよ」

「それだけの説明では、よく分からないな」

「アオイから聞いてないの? キルが彼女のことを好きみたいだって」

「聞いている。だがそれは、本人の自発的な感情ではなく魔法の副作用だろう?」

「それはこの際、どうでもいいよ」

 とにかくキリルが葵に執着しているということに意味があるらしく、ウィルは話を先へ進めた。どうやらキリルとジノクの間で葵を巡るトラブルが起き、それを解決するためにハントで勝負をするということになったらしい。ハントは魔法を使わないことがルールとされているので、魔法を使うことの出来ないジノクと勝負するにあたっては都合のいいゲームだったのだろう。だが『よりにもよって』という感が拭えなかったアルヴァは小さくため息をついた。

「ハント場で何かがあったんだね?」

「ご明察。あなたがそう思うってことは、やっぱりアオイには『何か』があるんだね」

 ウィルを相手に話をしていれば、探りを入れられるのは仕方のないことである。だが彼は、血の誓約サン・セルマンに縛られているのだ。誓約上は自分の方が優位にあるため、アルヴァは話を続けるよう促した。ウィルもただ揺さぶりをかけただけらしく、素直に促しに応じる。

「ハントの様子を観覧していたら、アオイが突然奇声を発したんだ。取り乱しちゃって、大変だったよ」

「……そうなったことについて、何か心当たりは?」

「分からない。本当に、突然のことだったからね」

「そのハント場はオ・スコールありか?」

「よく知ってるね」

 高得点オ・スコールありとはゲームハントをする人々の間で使われる隠語で、ハント場に珍しい生物がいることを意味している。それに答えたウィルの言い回しが引っかかったアルヴァは閉口し、彼の恐ろしいまでの女顔をじっと見据えた。

(どういう意味だ?)

 よく知っているとは、まだ話してもいないのによく分かったなという意味だったのだろうか。それとも、貴族でもないのによく知っているという意味なのか。どちらかというと後者のように聞こえたが、アルヴァは疑惑を否定することにした。ウィルには素性はおろか、名前すら明かしていない。また他人に探りを入れることは血の誓約で禁じているため、調べられるはずがないのだ。

「アオイが何を気にしていたのか、もう分かってるみたいだ」

 ニコリと笑んだウィルに薄気味の悪さを感じながらも、アルヴァは頭を切り替えることにした。

「試すような真似はよせ」

「そんなつもりはないよ。あなたの考えと同じかどうかは分からないけど、僕にはアオイが『召喚獣』っていうものに反応を示していたように見えた」

 ウィルの憶測はアルヴァが考えていた内容と同じものだった。アルヴァは努めて無表情に、胸中で「やはり」と呟きを零す。自身も召喚獣と呼ばれる存在である葵にとって、目の前で同類が狩られる様を見せ付けられては堪らないだろう。

「ねぇ、アオイは何で召喚獣を気にするの?」

 無表情に努めてはいたものの、ウィルにはもうアルヴァが同じことを考えていたのだと分かっているようだ。その上での追及に、アルヴァはどう答えたものかと考えを巡らせる。アルヴァが黙したままでいると、ウィルが言葉を次いだ。

「彼女には不可解な点が多すぎるよ。フォローしたくても、彼女が何にどう反応を示すか分からなければ手の打ちようがない。それは、あなたにとってもデメリットでしょ?」

 今回の奇行で居合わせた者達が不審げに葵を見ていたことを明かされ、一理あると思ってしまったアルヴァは口元に手を当てた。確かに、自由に動くことの出来ないアルヴァでは葵をフォローするにも限界がある。その点、ウィルは自由に動くことが出来る。また彼はキリルとも仲がいいので、キリルが葵に執着している間は自然と行動を共にすることも増えるだろう。そういった人物が葵を擁護してくれるとアルヴァとしても都合がいいのだが、問題は彼の性格だ。

「何が望みだ?」

「さすがに、話が早いね」

 嬉しそうな微笑みを浮かべたウィルは、血の誓約による箝口かんこうを少し緩和して欲しいと言ってきた。誓約がなければウィル=ヴィンスという駒を使うことは困難なので、アルヴァは渋い表情を作る。

「具体的には?」

「アオイやクレアのことについて、もう少し他人とも話が出来るようにしてよ。テキトーなウソで場をとりなそうにも彼女達のことを喋れないんじゃ、フォローも出来やしない」

「……分かった。その代わり、咎を重くする」

「どういう意味?」

「今はせいぜい魔力を失う程度だが、血の誓約サン・セルマンを違えた時には、その命でもって償ってもらう」

「命懸け……ね。いいよ」

 遊びに行こうという誘いに答える程度の軽さで、ウィルはあっさりと頷いて見せた。彼の無鉄砲さは初めて誓約を交わした時と変わらない。あの時も、ウィルは誓約の内容すら聞いていないのに魔法陣に飛び込んできたのだ。何が、彼をそこまで追い立てているのだろう。疑問には思ったが言葉にはせず、アルヴァは誓約に必要となる話を始めた。

「ミヤジマ=アオイは異世界からやって来た『召喚獣』だ」

 さすがにこの答えは予想していなかったようで、ウィルは絶句した。彼がどのくらいで理解を示すか分からなかったため、アルヴァは茶器に命じて紅茶を淹れさせる。一口、二口と含んでティーカップをソーサーに戻すと、ウィルがまだ混乱を収めきれていないような表情で口を開いた。

「それ……本当のこと?」

 平素であれば、彼はこういった念の押し方はしない。本当か嘘かは自身が判断することで、他人に真偽を問うても意味がないことを知っているからだ。にもかかわらず、ウィルは意味のない質問を繰り返した。それは彼が、かなり混乱していることを如実に物語っている。そんな状態でどの程度話が通じるかは分からなかったが、アルヴァは先を続けてみることにした。

「見た目は人間と変わらないからね、信じられないのも無理はない。だけど彼女は、本当に異世界からやって来たんだ。詳しくは言えないけど、僕はそれを確認している」

「簡単に言うけど、それって彼女を召喚したってことでしょ? どうやって? 古の魔法を復元させたの?」

「召喚したのは僕じゃないし、その辺りの詳しい経緯も知らない。ただ、事情があって、僕が彼女を預かっている」

「うわぁ、研究したい」

「……ウィル=ヴィンス、よく聞け。彼女は見てのとおり人間だ。君が彼女の尊厳を冒すと言うのなら、僕は今、この場で君を始末する」

「怖いなぁ。言ってみただけだよ」

 ウィルは冗談だと笑っているが、探求者は時に道を踏みはずことを厭わない。それは自分自身にも言えることであり、過去を思い出したアルヴァは苦い表情になって席を立った。

「すぐに、血の誓約サン・セルマンを訂正する儀式を行う。ミヤジマ=アオイの正体を口外しないこと、示唆しないこと、彼女の人間としての尊厳を冒さないことを誓約に盛り込むから、そのつもりで」

「本人とはそのことについて話してもいいんでしょ? 異世界の話、興味あるなぁ」

 ウィルからはもう驚きが取り除かれていて、彼の頭の中は未知への好奇心でいっぱいのようだ。ウキウキしながら後に着いてくるウィルを横目で見たアルヴァは嘆息しながら校庭へと歩を進める。グラウンドに積もった雪を魔法で溶かし、露わになった土の上に魔法陣を構築したアルヴァは未だ雪を降らせている曇天を仰いだ。

「希う。空を覆う雲の精霊よ、我が願いを聞き届け、一時その身を退け給え。希う。雪の精霊よ、その身を風に散らし、一時その身を退け給え。希う。大地の精霊よ、そなたの領域を侵すことを許し給え。希う。風の精霊よ、空を覆う雲を払い、我が瞳に月を映し給え。希う。月の精霊よ、我が前に姿を現し、普く注ぐ光で以って魔法陣の発動を佑け、儀式を成功させ給え。ムーヴマン」

 アルヴァが呪文を唱え終わると同時に雪が止み、風が吹いて雲が千切れ、大地から光が立ち上った。夜空に姿を現した白銀色の二月が、辺りをくまなく照らしている。これで儀式の準備が整ったため、魔法陣の内側に佇むアルヴァはウィルを振り返った。するとウィルは何故か、ポカンと口を開けている。

「何?」

「月……月の精霊って……」

「ああ……」

 月の精霊に呼びかける魔法は、この国ではロイヤル・ファミリーの女性にしか使えないということになっている。ウィルが驚いたのは、おそらくそういう理由だろう。まだまだ青いなと、アルヴァは冷笑した。

「道を外れてみなければ分からないこともある。ウィル=ヴィンス、君はまだ魔法の枠組みカドルの中にいるんだよ」

「道を外れる、ね」

「さあ、儀式を済ませよう。やり方はもう知っているだろう?」

 血の誓約サン・セルマンはその名の通り、儀式を行う者達が己の血を使って誓約を結ぶ。アルヴァの促しに従ったウィルは素直に自身の血を魔法陣へと滲みこませたのだが、この夜、彼がとんでもない方法で道を外れたことに、アルヴァはまだ気がついていなかった。






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