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 トリニスタン魔法学園アステルダム分校の校舎に昼休憩を告げる鐘が鳴り響くと、生徒達は次々と教室から姿を消して行った。貴族の子弟ばかりが通うこの学園では昼食を自宅で取ることが一般的なため、昼休みになると生徒達は一時帰宅するのだ。葵もクレアと共に自宅へ帰ろうとしたのだが、ジノクに呼び止められたため、すっかり人気のなくなった校内にまだ残っていた。

「ビノ」

「はい」

 ジノクの従者であるビノは主人の呼びかけに応えると、一度教室を出て行った。しばらくして戻って来た時には何やら風呂敷包みを手にしていて、それを見た葵とクレアは一様に首を傾げる。

「王子のお食事です。たくさんありますので、お二人もご一緒にどうぞ」

 風呂敷包みの中身は重箱で、ビノは葵とクレアにそう言い置くと弁当を広げ始めた。その量は確かに、ジノク一人が食するには有り余る。断る理由もなかったので、葵とクレアは弁当をご馳走になることにした。

「これ、フロンティエールの料理なんか?」

 葵はジノクの母国であるフロンティエールにも行ったことがあるので物珍しさはなかったのだが、クレアにとってみれば弁当の中身はかなり珍しいものだったようだ。彼女は日常生活でも魔法ではなく手作業で料理をするので、そういった意味でも興味があるのかもしれない。クレアの問いに頷いて見せたジノクは加えて、この弁当をビノが作ったことも明かした。

「へぇ。すごいですね」

「アオイも見習わなあかんで?」

 素直に感心を示した途端にクレアが茶々を入れてきたので、葵はふくれっ面になりながら彼女を振り向いた。

「どうせ私は料理ヘタだよ。あんまり作ったことないんだからしょーがないじゃん」

「余の妃になれば料理など出来なくても問題はないぞ?」

 葵は「はいはい」とだけ言って軽くジノクをあしらったのだが、クレアは「それはそうだ」と言って笑っていた。和やかに食事を済ませても昼休みは長いので、午後の授業が始まるまでにはまだだいぶ時間がある。どうやって時間を潰すか雑談を交えながら相談していると、ふとジノクがビノを振り返った。

「そういえば、アレが届くのだったな」

「見て参ります」

 二人だけで会話をした後にビノが教室を出て行ったので、話の見えない葵とクレアは首を傾げた。

「アレって何?」

「ミヤジマにハインドランジアを贈ろうと思ってな。持って来させたのだ」

「えっ、ホントに?」

 ハインドランジアというのはフロンティエールで咲いていた紫陽花に似た花で、欲しいと思った葵は喜びを露わにした。葵が喜色を示したことで、ジノクも嬉しそうに笑う。ハインドランジアを知らないクレアが一人だけ眉根を寄せていたので、葵は彼女に簡単な説明を加えた。

「珍しい花なんか?」

「アルが欲しいって言ってたくらいだから、たぶんそうなんじゃないかな」

 クレアが見たいと言うと、それならば見に行くかとジノクが提案したので、三人は教室を後にした。先行しているビノが向かったのは裏門で、そこにハインドランジアが届けられる予定なのだとジノクは言う。誰かが花束を持ってくるのだろうという程度にしか考えていなかった葵は、裏門付近を埋め尽くさんばかりに居並んでいる花を見て仰天してしまった。

「何これ!?」

「どうだ、感動したか?」

「感動も何も、こんなにいらないよ!」

 鉢植えにされたハインドランジアは、ざっと見ただけでも百株以上はありそうだ。どうやら魔法ではなく手作業で学園まで運んで来たようで、ビノのような屈強な男達が花の周囲をうろついている。彼らはおそらく、ジノクが母国から連れて来た従者なのだろう。王族はスケールの大きさが違うと、クレアが苦笑混じりに呟いていた。

「で、どないするんや?」

「どうしよう?」

 クレアと葵がそんな会話をしていると、不意に魔法陣が光り出した。魔法に不慣れなフロンティエールの人々は突然の異変に驚き、我先にと逃げ出している。混乱の中、裏門付近に描かれている魔法陣に姿を現したのは赤い髪の少年だった。おそろしいまでに女顔をしている彼はこの学園のマジスターで、名をウィル=ヴィンスという。

「これは何事?」

 マジスターが登下校に使用している魔法陣の上にも遠慮なく鉢植えが置かれていたため、出現するなりハインドランジアに埋もれてしまったウィルが不可解そうな表情になって尋ねてくる。葵とクレアが苦笑していると、ジノクがウィルの問いに答えた。

「余からミヤジマへのプレゼントだ」

「ふうん。見たことない花だけど、もしかしてフロンティエールの?」

 その量の異常さは気にも留めず、ウィルは淡々とジノクと会話をしている。ふと、ウィルにならこの大量の花を処理してもらえるのではないかと思った葵は彼らの会話が切れたところで口を挟んだ。

「これ、大空の庭シエル・ガーデンに置いてもらえないかな? 多すぎて困ってるの」

 シエル・ガーデンとは学園内にある、マジスターが管轄する広大な花園だ。そこに移植して欲しいという葵の頼みに、ウィルは少し間を置いてから「いいよ」と答えた。『間』のあいだ、やけに注視されたような気がした葵は違和感を覚えて眉をひそめる。しかしウィルはもう葵から視線を外していて、遠巻きにこちらを見ていたジノクの従者達に何かを指示している。その様子はいつもと変わりがなく、気のせいかと思った葵は何となくモヤモヤした気分を残したまま疑問を自己完結させた。

「屋敷に持って帰るんは一株でええんか?」

「あ、うん」

「せやったら、昼休みの間に片付けてくるわ」

 葵にそう言い置くと、クレアは鉢植え一つを持って屋敷へと帰って行った。残りのハインドランジアは裏門付近に描かれている魔法陣の上に集められている。人力によるその作業が終了すると、ウィルは異次元から魔法書を取り寄せた。

「シエル・ガーデンに行くから、来たい人は魔法陣に乗って」

 ウィルが不特定の者にそう呼びかけると、まずはジノクが魔法陣の中に入り、彼の従者であるビノが後に続いた。王子が行くのだから伴をしなければならないと思ったのだろう、ハインドランジアを運んで来た男達も続々と魔法陣の上へ集って行く。ただでさえ花で埋め尽くされていた魔法陣はもう鮨詰め状態で、まだ外円の外にいる葵とウィルは渇いた笑みを浮かべた。

「ジノク王子、もう人手はいらないから彼らには帰ってもらってよ」

「そうなのか?」

 ウィルに言われたジノクが従者達に退去を命じると、何も分からずに王子の後に従っていた男達はトリニスタン魔法学園から去って行った。その後、ウィル・葵・ジノク・ビノの四人は大量のハインドランジアと共にシエル・ガーデンへと移動する。全面ガラス張りの広大な花園に出現すると、初めてこの場所を訪れたジノクとビノが感嘆の息を漏らした。

「ミヤジマ、ここはずいぶんと暖かいのだな」

「ああ……ここ、室内だから」

「何!? 屋根も壁もないではないか!」

「そう見えるけど、室内なんだよね」

 葵とジノクがそんな会話をしていると、ウィルが呪文を唱え出した。それを機に、ジノクとビノの視線は彼に釘付けとなる。ウィルが魔法書を手にしながら魔法を使う姿は珍しかったので、葵も口をつぐんで彼に注目した。

 ウィルはまず、魔法陣がある近辺で咲き誇っていた花々を消し、その周囲を更地にした。そこに大量のハインドランジアを植えたのだが、その作業は全て魔法によって行われたため、ウィルは一歩たりとも動いていない。ひとりでに植わっていく花々をポカンと眺めていたジノクとビノは、ウィルが魔法書を閉じると再び感嘆の息を吐いた。

「すごいな、ビノ」

「魔法とは便利なものなのですね」

 しきりに感心しているジノクとビノを一瞥した後、葵は魔法書を異次元に消し去ったウィルに顔を向けた。

「ありがと」

「こういうの、僕はあんまり得意じゃないんだよね。次からはオリヴァーに頼んでよ」

「あ、それ。『水は土を押し流して削り、水は木に潤いを与えて花を咲かせる』ってやつだね?」

 葵が口にしたのはコンバーツというボードゲームのルールである。このゲームでは水の駒は土の駒に強く、木の駒が近くにいると援けを得られるのだ。これはそのまま魔法の相性を表していて、知識が実感を伴ったことで気持ちが昂った葵は目を輝かせた。葵を見据えた後、ウィルはまたしても少し間を置いてから頷いて見せる。






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