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「まあ、こういうのが一番得意なのはハルなんだけどね」

 ウィルの口から久しぶりに聞く名前が飛び出したので、葵は突然のことにドキリとしてしまった。きっと微々たる変化だっただろうに、葵の異変を敏感に察知したウィルはいやらしい笑みを浮かべる。

「今、ドキッとしたでしょ?」

「な、何で? してないよ」

「動揺しちゃって、カワイイね」

「動揺なんかしてないって!」

 しかし葵が何を言っても、ウィルのしたり顔が崩れることはなかった。ハル=ヒューイットという少年を好きだったことは紛れもない事実なので、葵も強くは出られずに口をつぐむ。

(何で知ってるのよ)

 弱味を握られたような気がした葵が悔し紛れにウィルを睨んでいると、話を聞いていたらしいジノクが横から口を出してきた。

「誰の話だ?」

「ハル=ヒューイットっていう、僕の友達の話だよ。ちなみに、アオイにとっては昔の男ってところかな」

「ウィル!!」

 嘘八百を並べるウィルに葵が非難の声を発すると、同時にジノクから驚きの声が上がった。

「その男のことを好きだったのか!? 今はもう好きではないか!?」

「もうその話はいいってば!」

 必死の表情をしているジノクが詰め寄ってくるので、葵も必死で逃げながらなんとか話題を逸らそうと苦心した。しかし結局は捕まってジノクに抱きつかれている葵を見て、ウィルがクスクスと笑い声を漏らす。

「昨日はあんなに落ち込んでいたのに、もう仲直りしてるんだね」

「ミヤジマは寛大な心でもって余の過ちを許してくれたのだ」

「じゃあさ、その寛大な心とやらでキルのことも許してあげてよ」

 ウィルが名前を持ち出してきたキリル=エクランドは、ジノクと同じく葵がハント場で暴言を吐いた者の一人だ。彼がひどく気落ちしていると聞き、葵は眉根を寄せる。

「そんなに、落ち込んでた?」

「そりゃあね。好きな人から暴言吐かれれば、キルじゃなくても落ち込むんじゃない?」

 魂が抜けたようだったとウィルが言うので、葵はキリルに対しても罪悪感を抱いた。ゲームハントは相変わらず容認出来ないが、昨日の出来事に関しては葵の勘違いも多分に含まれている。葵がキリルに謝りたいと零すと、ウィルは「ちょっと待ってて」と言い置いて姿を消した。

 ウィルが転移魔法によってどこかへ行ってしまうと、葵はジノクによって体を回転させられた。向き合ってみるとジノクがひどく真剣な面持ちをしていたので、葵は首を傾げる。

「何? どうしたの?」

「ミヤジマ、本当の気持ちを聞かせてくれ」

「何の気持ち?」

「ハルとかいう男のことをどう思っているのだ?」

 その話をまた蒸し返すのかと、葵はうんざりしてしまった。だがジノクは、至って真剣な顔つきで葵の答えを待っている。両肩をがっちりと掴まれているので逃げ出すことも出来ず、葵は仕方なくジノクの問いに答えることにした。

「あのね、ハルには恋人がいるの」

「恋人?」

「そう。私の、友達。だからどうにもならないし、どうもしない」

「そうか……」

 葵の答えに満足したのか、ジノクは表情を緩めると大きく息を吐いた。

「ミヤジマの心に余以外の男がいるのだと思ったら、とても悔しかった。この気持ちが嫉妬というものか。一人を愛するとは、こういうことなのだな」

 ジノクが不意に真面目なことを言うので、対応に困った葵は顔をしかめた。葵の表情を見たジノクは弱ったような笑みを浮かべる。

「本音を言えば今すぐにでもミヤジマを余のものにしてしまいたいが、そのようなことはせぬので安心しろ。今は……これで十分だ」

 そう言うと、ジノクは包み込むように葵の体を抱いた。彼の言う通り、その腕には確かに『奪ってやろう』という荒々しさがない。少しは変わったのかなと思った葵は腕を伸ばし、ジノクの背中をぽんぽんと叩いた。

「人目がある所じゃなきゃダメって言ったでしょ?」

「ビノが見ておる」

「ダメだよ。身内じゃん」

 居合わせているのが従者ではいざという時、主を制することは出来ないだろう。しかしジノクはちゃんと言い含めてあるからと言って、なかなか離そうとしない。葵がため息をついていると不意に、シエル・ガーデン内の温度が上昇した。

「……てめーら、何してやがる」

 どこからか静かな怒りを孕んだ声が聞こえてきたため、葵は力任せにジノクの胸を押し返した。ジノクから体を離してみると、黒髪に同色の瞳といった容貌をしている少年の姿が視界に飛び込んでくる。少年の名は、キリル=エクランド。キリルの瞳には怒りの炎が燃え滾っていたため、葵は瞬間的に「まずい」と思った。

「離れろ!!」

 キリルが怒声を発した刹那、彼の体から炎に似た魔力が迸った。それは葵とジノクをめがけて飛んで来たのだが、炎が達する前にウィルが体を割り込ませてくる。風の魔法でキリルの魔力を散らせた後、ウィルは嘆息してから怒りっぽい友人に話しかけた。

「キル、それはダメだって何度言えば分かるの?」

「うるせぇ!」

 ウィルの言葉では説得にならなかったらしく、怒りを収めきれていないキリルはジノクに鋭いまなざしを向けた。睨みつけた直後にキリルがジノクに向かって行ったので、彼が何をする気なのかを察した葵は慌てて走り出す。ジノクに拳が振り下ろされる前にキリルの元へ辿り着けた葵は、タックルという荒業によって彼の暴走を食い止めた。

「ごめん!!」

 勢いで謝罪も口にした葵は、とにかく暴走を止めようとキリルの腹を抱く腕に力をこめた。その直後、力の抜けたキリルの体がぐにゃりと折れる。脱力したキリルに引きずられる形で座り込んだ葵は、そこで彼の体を解放した。しかし顔を見ることは出来ず、葵は目を伏せたまま謝罪の続きを口にする。だが暴言を吐いたことを謝ってみても、シエル・ガーデンは静まったままだった。やがて頭上から笑い声が降ってきたため、訝しく思った葵は顔を上げてみる。

(……うわっ)

 キリルの顔を目の当たりにしてしまった時、葵は胸中で呟きを零していた。怒りを露わにしている時よりも顔を赤くしているキリルはマジスターをアイドル視している女子生徒が見たら幻滅しそうなほど情けない表情をしていて、そんな彼を見たのが初めてだった葵は面食らってしまったのだ。葵が言葉を次げずにいると、先程から笑い声を発しているウィルが容喙してくる。

「キル、アオイが謝ってるんだから何か言わないと」

 ウィルの介入によって我に返ったらしいキリルは、表情を改めると勢いよく立ち上がった。しかし葵の謝罪に対する言葉は何もなく、まだ顔を赤らめたままでいる彼はそっぽを向く。強情なのか幼稚なのか分からない態度に葵が呆れていると、ジノクまでもが呆れた声を発した。

「照れ屋なのだな」

「うるせーな! てめーは黙ってろ!!」

「そなた、その口のきき方はどうにかした方が良いと思うぞ」

「てめーには関係ねーだろ!」

 ジノクとキリルがぎゃあぎゃあと不毛な言い争いを続けるので、そのあまりの煩さに耐えかねた葵は耳を塞いでみた。そうしてみても騒音が完全に遮断出来るわけではないのだが、気休めくらいにはなる。そのまま静かに立ち去ろうとしたのだが、それはウィルに止められてしまった。

「どこ行くの?」

「どこって……教室」

「帰るのか?」

 葵の声が耳に入ったようで、キリルとの言い争いを一方的に切り上げたジノクが寄って来た。まだ文句を言い足りないらしく、キリルが不満顔でこちらを見ている。またケンカになる前に引き上げた方が良さそうだと思った葵はジノクに頷いて見せたのだが、教室へ戻ろうとした二人を再びウィルが引き止めた。

「ゆっくりしていけば? クレアも来たことだし」

「え? クレア?」

 ウィルが指差した方向を振り向くと、そこには確かにクレアの姿が見えた。転移魔法を使わずにシエル・ガーデンに入って来たらしい彼女は、ゆっくりとした足取りでこちらへ向かって来る。傍へ来て歩みを止めると、クレアは真顔のまま葵に向かって口火を切った。

「裏門で人が待っとる」

 藪から棒なクレアの発言は、明らかに説明が足りないものだった。しかし誰が待っているのかと尋ねてみても、クレアは「行けば分かる」としか答えない。着いて来ようとしたジノクを制しているクレアの行動に違和感を抱きながらも葵は言われた通り、一人で裏門へと向かった。






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