おかえり

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 冬月とうげつ期最初の月である白銀の月の五日。この時期らしく、その日の朝も外では雪が舞っていた。西洋風の屋敷の一室では紅茶の入ったティーカップを片手に、そんな代わり映えのない光景を眺めている者がいる。世界でも珍しい黒髪に黒い瞳といった容貌をしている彼女の名は宮島葵という。白く染まっている後庭からテラスへと視線を戻した葵は、そこで輪郭のおぼろげな雪だるまや羽根の生えた小人たちが遊んでいるのに目を留めて、小さく笑みを浮かべた。

(カワイイ)

 テラスでちょこまかと動いている人間ならざる者達は精霊と呼ばれる存在で、葵はある時から彼らの姿を見ることが出来るようになった。ふと、こちらに気がついた雪だるまの一体が窓に衝突してきたので、「なに見てんだよ」と言われたような気がした葵は苦笑いを浮かべながら窓辺を離れる。手にしていたティーカップをテーブルに置くと、どこからともなく鐘の音が聞こえてきた。トリニスタン魔法学園の生徒の証から届けられたこの鐘の音は間もなく授業が始まるという予鈴で、葵は登校の準備をするために勉強机へと向かう。

(あ、そうだ)

 ふと、あることを思いついた葵は机の下に置いてある鞄を取り出した。この鞄は葵が生まれ育った世界から持ち込んだもので、大切なものばかりがしまわれている。鞄から携帯電話を取り出すと、別の何かも手に引っかかって出て来た。久しぶりに目にしたそれに、葵は時間がないのも忘れて見入る。

(うわぁ、懐かしい)

 携帯電話と共に鞄から出て来たのは、初恋の人からもらったブレスレットだった。つい昨日、その人物のことが話題に上ったこともあって、記憶が鮮やかな色彩を伴って蘇ってくる。

(今思うと、あの時が一番恋してたなぁ)

 生まれ育った世界では縁がなかったものの、葵はこの世界に来てから幾度か恋愛というものを経験した。いずれもうまくはいかなかったのだが、苦いだけの経験ではないのは初恋の時だけだ。もう随分と前の出来事なだけに思い出を美化してもいるのだろう。しかしそのことを抜きにしても、やはり初恋は特別だった。

(そういえばこれ、魔法道具マジック・アイテムなんだよね)

 どのようなアイテムなのかは未だに分からないのだが、ある人が言うには、あまり葵にとって良くない物らしい。だからこそ身につけずにしまわれたままだったのだが、葵は久しぶりにブレスレットを腕にはめてみた。

(アルに聞いてみよう)

 良き相談相手であるアルヴァ=アロースミスという青年なら、これがどういった物なのか詳しい説明を加えてくれるはずだ。葵がそんなことを考えていると、外側から扉を叩く音が聞こえてきた。

「遅刻するで!」

 扉の外から聞こえてきたのは同居人であるクレア=ブルームフィールドという少女の声で、ハッとした葵は携帯電話をスカートのポケットにしまい、机の上の魔法書を手に取ると慌てて寝室を後にした。






 遅刻ギリギリにトリニスタン魔法学園アステルダム分校に登校した葵とクレアは午前中の授業を終えると、フロンティエールという国からの短期留学生であるジノク王子と、その付き人であるビノという青年と共に校内で昼食を済ませた。昼休憩の間に済ませておきたい用事があった葵はその後、着いて来ようとしたジノクをクレアに引き止めてもらい、一人で教室を出る。二つほど用事があった葵はどちらを先にするか少し迷った末、まずは校舎の東へと向かうことにした。

 アステルダム分校の校舎から東の区画は、学園のエリート集団であるマジスターの領域だ。彼らの専用とされている施設の中に塔があって、久しぶりにその足下に佇んだ葵は二階部分を見上げた。塔の二階には丸い空洞があって、そこにちょうど時計が嵌まりそうなことから、葵はこの塔を密かに『時計塔』と呼んでいる。

(電話するの、いつぶりだっけ)

 塔の内部に進入した葵はそんなことを考えながら二階へと通じる螺旋階段を上った。本来ならば通じるはずのない携帯電話が、何故かこの塔の二階ではよく繋がるのだ。しかし世界を隔てていても通信が出来るからといって、いつでも連絡を取れるというわけではない。二つの世界には時間の感覚に大幅なズレがあるため、葵はそのことを考慮しながら電話をかけていた。

(出るかな?)

 携帯電話のリダイヤル機能を利用して発信してみると、コール音は聞こえてきた。しかしあちらの世界が昼なのか夜なのかも分からないため、友人が電話に出てくれるかどうかは定かではない。だが葵の心配をよそに、二コール目で電話は繋がった。

『もしもし? 葵?』

 携帯電話の向こうから聞こえてきたのは友人の弥也ややという少女の声で、彼女の声に癒された葵は自然と笑みを浮かべながら応える。すると弥也は、いつになく気忙しい調子で言葉を次いできた。

『こっちからかけ直すから、そのまま待ってて』

 早口でそれだけ言うと、弥也は一方的に通話を打ち切った。反応しなくなった携帯電話を耳から遠ざけた葵は、それを見つめながら眉根を寄せる。

(かけ直すって言われても)

 弥也にとっては少しの間でも、それがこちらにとってはどれくらいの長さになるのか分からない。こちらでの一ヶ月があちらでの一日なので、その微調整は限りなく無理に等しいだろう。

(まあ、いっか。またこっちからかけ直せば)

 忙しかったのだろうと結論づけ、葵は電源を落とした携帯電話をスカートのポケットにしまった。電話がダメとなるともうここには用がないので、立ち上がった葵はスカートの汚れを払う。次の用事を済ませるために歩き出そうとしたのだが、ふと、背後に違和感を覚えた葵は何気なく振り返った。そこで目にしたものに、言葉を失う。

「あんたか」

 幻かと思った人物が喋ったので、驚いて後退した葵は勢いよく壁に背中をぶつけた。それでも目は、眼前の少年に釘付けになっている。栗色の短髪にブラウンの瞳、下手な芸能人よりもよっぽどカッコイイ、その私服の少年は……。

「は……ハル、」

 葵の初恋の人であるハル=ヒューイットは、葵が声を震わせていることにキョトンとしたような表情をした後、にこやかな笑みを浮かべて見せた。

「ただいま」

「お、おかえり!」

 ハルの笑顔に応えた時、体にも声にも妙な力がこもっていたことに葵は自分で気付いていた。それは突然のことに対する驚きと、彼と再会することが出来た嬉しさからきているもので、ハッとした葵は緩みきった顔を隠すために口元を手で覆う。しかし混乱しながら浮かれていたのも束の間、葵はすぐに眉根を寄せた。

「何でハルがここにいるの?」

 彼はステラ=カーティスという少女を追いかけて、王都にあるトリニスタン魔法学園の本校に編入したのだ。本校の生徒は卒業するまで学園を出られないため、葵は彼が編入を決めた時に二度と会えなくなることを惜しんだ。その彼が何故、またアステルダム分校に舞い降りたのだろう。ハルがなかなか答えなかったので、葵はさらに疑問を重ねた。

「ただいまって言ってたけど、戻って来たってこと? ステラも一緒に?」

 ハルが歩み寄って来たので、葵は言葉を紡ぎながら彼を見上げた。かなり接近した所で歩みを止めるなり、ハルはいきなりキスを落としてくる。額に触れた唇の感触が信じられなくて、葵は放心してしまった。

「何で戻って来たかって? あんたを口説くために決まってんじゃん」

 間近にある美貌がニヒルに歪んだのを機に我に返った葵は、絶叫しながらハルから遠ざかった。何が何だか分からなくなってしまっている葵を見て、ハルは軽い笑い声を上げている。その様はもはや別人のようで、葵は目の前の現実を受け入れることが出来なかった。

(ななな、なに? なんなのこれ? この人だれ? ハルのそっくりさん?)

 葵の知っているハル=ヒューイットという少年は色仕掛けで迫って相手の反応を楽しむようなことなどしないし、それ以前に口説き文句などとは縁遠い人物だった。これはきっと夢か、そうでなければ目の前にいる人物は偽物だ。なんとか自分が納得の出来る理由を探そうと、葵はハルの偽物らしき人物に焦点を合わせた。するとハルらしき人物も、真っ直ぐにこちらを見据えてくる。

「あんた、俺のこと好きなんだろ?」

「好きじゃないよ!!」

「じゃあ、嫌いなのか?」

「そんなわけない!!」

「だったら好きなんじゃん」

「いや……あの……って、あなた、ホントにハル?」

 やはり別人なのではないかと疑いを深めた葵が真面目に問いかけても、ハルらしき人物は肯定も否定もしなかった。黙っていれば、目の前の少年は記憶にあるハル=ヒューイットそのままである。もう何を信じていいのか分からなくなった葵が頭を抱えていると、賑やかな声が沈黙を打ち破った。






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