「てめっ! 逃げんじゃねー!!」
脱兎の如く逃げ出して行った葵の背をキリルが追いかけようとしたので、ウィルは彼の腕を掴んで次の動作を遮った。走り出そうとして足を止められたキリルは、鬼のような形相でウィルを振り返る。
「何だよ。文句でもあんのか!?」
「キル、どうどう」
「オレは馬じゃねーぞ!!」
「何言ってんの。暴れ馬みたいなものじゃない」
「誰が馬だっ!!」
「まったく、そんなにヤキモチ焼きだと女の子に嫌われるよ?」
具体的な名前は出さなかったのだが『嫌われる』という一言が効いたようで、キリルは言葉に詰まったような様子で口をつぐんだ。キリルを黙らせた後、ウィルは転がったテーブルを元に戻して紅茶を淹れ直す。紅茶を前に座ったものの、キリルはまだ不服そうな顔でウィルを睨んでいた。
「オレのいない所で密会なんかしやがって。お前、いつからそんなヤツになったんだ?」
「別に密会じゃないから。そんなこと言ってたら、いつも教室で一緒にいるジノク王子はどうなるの?」
どうやら余計なことを言ってしまったらしく、ハッとした表情になったキリルは席を立った。放っておけば葵のいる教室へ向かうことは目に見えていたので、ウィルは呆れながらキリルを制する。
「まったく、そんなんじゃいつかアオイの首に鎖でもつけそうな勢いだね」
「そうか。ペットにしちまえばあいつはオレのものになるのか」
「キル? そんなことしたら余計嫌われるよ?」
「なんだよ。いい加減なことばっか言ってんじゃねーぞ」
キリルに呆れたような表情を向けられたウィルは苦笑いを浮かべかけて、ふと表情を改めた。
「ペットか……うん、それもいいかもしれないね」
「なに言ってんだ?」
「そういう意味でなら女の子に興味が持てそうだと思って」
「……お前、変態だな」
「キルに言われたくないよ」
「オレのどこが変態だってんだ!」
「アオイをペットにしたがってるとこ。それよりさ、僕はキルがそこまでアオイのこと好きだってことの方が驚きなんだけど」
「ば……っ! 好きじゃねーよ、あんなヤツ!!」
熟れたトマトのように顔を赤くしてそっぽを向くキリルに、進歩がないなと思ったウィルは嘆息した。
「いつまでもそんなこと言ってると、アオイを誰かにとられちゃうよ?」
「……どういう意味だ、それ」
真顔に戻ったキリルが真剣に尋ねてきたところで、シエル・ガーデンにオリヴァーが姿を現した。いい加減、キリルの相手をするのが面倒になってきていたウィルはこれ幸いとオリヴァーに話を丸投げする。簡単な説明だけで状況を理解したオリヴァーはウィルの言い分に同調を示してみせた。
「確かにな。キルはジノク王子と張り合う以前の問題だ」
「だから! どーゆーことだって訊いてんだよ!!」
「それが分かってないからダメなんだよ」
「まあまあ」
キリルとウィルの間で諍いが勃発しそうになったのを仲裁し、オリヴァーは自分の分の紅茶を淹れてからキリルに語りかけた。
「キルはさ、アオイのことどう思う?」
「どーもこーもねーよ」
「そこがまず、ジノク王子に負けてるんだよな」
腕組みをしたオリヴァーが自分の発言に一人で頷いていると、いきり立ったキリルは彼の胸倉を掴み上げた。自分のどこが劣っているのだとがなっているキリルに、首を絞められて反論出来ずにいるオリヴァーに代わってウィルが明確な答えを示してみせる。
「あっちはアオイのことが好きだから付き合いたいって言ってるんだよ? それなのにキルはアオイのことどう思ってるのかって訊かれても『うるせー』とか『どーもこーもねー』とかしか言わないじゃない。これじゃ気持ちが伝わらないよ」
言葉の意味を掴み損ねたのか、オリヴァーを解放したキリルは妙な表情でウィルを見ている。その表情が何を意味するのか分からなかったウィルも首を傾げ、キリルからの反論を待った。しかしキリルは返す言葉に困っている様子で口を開かない。いつもならここでオリヴァーが仮定でも持ち出すところなのだが、今回ばかりは彼にも事態が呑み込めていないようだった。
「……ない」
どこからもフォローが出なかったこともあって、キリルは沈黙の後、自分で気持ちを言葉にした。しかし声が小さく、聞き取れなかったウィルとオリヴァーは首を傾げる。
「キル、もう一回言って」
「何が、ないんだ?」
「だから、思ったことがねぇって言ったんだよ」
二度言うのが恥ずかしかったのか、キリルはそれだけ言うとツンとそっぽを向いてしまった。それでもまだキリルの真意を汲めなかったウィルとオリヴァーは首をひねったままでいる。先に仮説に辿り着いたのは、オリヴァーの方だった。
「もしかしてキル、自分の気持ちを伝えようと思ったことがないって言ったのか?」
キリルが頷かなかったところをみると、それは肯定の意なのだろう。ウィルには話がよく見えなかったのだが、オリヴァーはそれで納得したように嘆息する。
「あー、分かった。なるほどな。どうしていいのか分からないからああいうことになってたのか」
「オリヴァー、意味が分からない。僕にも分かるようにちゃんと説明してよ」
「つまりさ、キルにはアオイに気持ちを伝えようとか、その後どうしたいとかって願望がないんだよ。ないっつーか、考えたことがない、の方が適切だな」
「ふうん。で?」
「だから、願望はないけどアオイのことは好きだ。他の男と仲良くするのは気に入らない。そういう嫉妬はあるからジノク王子の言動に腹が立つ。でも付き合いたいとか思ってるわけじゃないから、その後どうこうすることもない。堂々巡りってわけだ」
「傍迷惑な話だね」
「ちょっと待て! オレはあいつのこと好きだなんて言ってねーぞ!!」
「じゃあ嫌いなの?」
口を挟んできたキリルを一言で黙らせた後、ウィルはオリヴァーとの話を再開させた。
「さっきさ、キルがアオイの首に鎖つけたいとか言ってたんだけど、これってけっこうまずい段階まできてる?」
「ええっ!?」
ウィルの発言に仰天したオリヴァーが信じられないといった表情をキリルに向けると、キリルも慌てた様子でウィルを睨みつけた。
「ウィル!! てめぇ、いい加減なことばっか言ってんじゃねーぞ! 鎖はお前が……」
「でもさ、それくらい束縛したいってことでしょ?」
「う、ぐ……」
「キル……頼むから危ない道には走らないでくれよ」
「ぐ……がああ!!」
方々から色々なことを言われたため、思考回路がショートしたキリルは魔力を暴発させた。いつものように平然と暴走から逃れたウィルとオリヴァーは、炎が舐めているシエル・ガーデンを眼下に据えながら話を続ける。
「さっき言ってたこと、マジなのか?」
「鎖で繋ぎたいっていうのは僕が揶揄したんだけど、キルもそれに近いこと言ってたからね」
「それは……まずいな。キルみたいに免疫がない奴は暴走したら大変だぞ」
「このシエル・ガーデンがアオイの末路ってことだね」
「……笑えねぇ」
炎に蹂躙されている花園と同じ目に合わされては、一介の少女など跡形もないだろう。そうなる前に火加減を調節する術を教えてやらなければとオリヴァーが言うので、ウィルは顎に手を当てながら口を開いた。
「ハルはどうしてるの?」
「ハル? 起こしても起きなかったから置いてきた」
「昨夜、クレアと一緒にいたみたいだよ」
「へぇ……。だから、何だよ?」
「ハルに習わせてみたらいいんじゃないかって、思っただけ」
「キルを遊ばせろって? あいつが乗ってくるわけないだろ」
「ハルだってそういうタイプだったけど、変わったじゃない。キルだって、どう変わるか分からないよ?」
「それは、まあ……」
確かにそうかもしれないけどと、オリヴァーは言葉を濁す。少し考えていたようだったが、オリヴァーは首を振ってからウィルに向き直った。
「お前だって今のハルが普通じゃないことくらい分かってるだろ? 俺はハルだけで手一杯だ」
「分かってるよ。だから僕も協力する」
「……ウィル、今度は何を企んでるんだ?」
「別に。ただ、アオイがこのシエル・ガーデンみたいになったら困るだけだよ」
オリヴァーは根がお人好しな上、葵には特に情をかけている節がある。彼女のためになると聞けば強く出ることは出来ないようで、オリヴァーは黙って炎に焼かれている花園を見つめていた。
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