黒髪に黒い瞳といった、世界でも珍しい容貌をしている少女の名は宮島葵。昼休憩の真っ最中で人気のない二年A一組の教室には彼女の他にも人影があって、思い思いに話に花を咲かせている。そのうちに見知った少女の顔が視界に割り込んできたので、ボーッとしていた葵は我に返った。
「話、聞いとったか?」
訝しげに眉根を寄せて尋ねてきたのは、クレア=ブルームフィールド。友人からの問いかけに、話をまったく聞いていなかった葵は苦笑いを浮かべた。
「ごめん、聞いてなかった」
「そーやろうと思ったわ。おたく、最近変やで? いつもボーッとしとるし、顔色も良くないわ」
ぼんやりしているのも顔色が悪いのも、すべては寝不足のせいだろう。しかしその原因がクレアにあるとは言えず、葵は曖昧に笑うことで話を終わらせた。
「何の話してたの?」
やや強引な話題転換にも別段不審を抱いた風もなく、クレアは話に乗ってきた。
「夜会や、夜会。明日の夜、皆で行かへん?」
「夜会……」
嫌な単語を聞かされたと思った葵が返事に躊躇していると、クレアは傍にいる黒髪の少年を振り向いた。
「ジノクも行ってみたいやろ?」
「そうだな、この国の貴族と親交を深めておくのは悪いことではない」
立場上の理由からクレアの誘いに乗ったジノクは、フロンティエールという国の王子だ。彼は一ヶ月の間だけこの国に滞在することを許された身なので、その間に様々なことを経験したいのだろう。
「この国ではパーティーの時、どのような服装をするのだ?」
「せやなぁ、男はダークスーツやタキシード、女はもっぱらイブニングドレスやな。夜の会やから」
「いぶにんぐどれす、とはどういった物だ?」
「袖なしで、胸や背中を大きく開けたドレスや」
「よし。ミヤジマ、行こう」
顔の向きをくるりと変えて葵を誘ってきたジノクには、どうやらパーティーそのものよりも女子の服装の方が魅力的に映ったらしい。ジノクの目的があまりに一直線だったためクレアは吹き出していたが、葵は頬を引きつらせるに留めた。
「考えとく」
夜会というものがどういった物なのか分からないが、これは『ちょっと街へ出てショッピング』とは一緒くたに出来ない類の誘いだ。ある人物の許可を得る必要があると思ったのと同時に、他にも気がかりがあった葵はクレアに向かって言葉を重ねる。
「皆でって、他にも誰か行くの?」
「マジスターがみんな行く言うてたで」
マジスターが全員参加と聞き、憂慮が現実のものになったことを知った葵は顔を曇らせそうになった。しかし今そんな反応をしてしまってはあからさまなので、無理矢理に笑みを作る。
「そうなんだ。マジスターがダンスとかって、想像すると笑える」
「一応、貴族の坊ちゃんやで? ナメとったらあかん」
すでにマジスターと共に夜会に行ったことがあるらしいクレアは、彼らのダンスがそこそこであったことを明かした。しかしそれは、キリル=エクランドという少年を除いて、の話のようだ。
「アレはあかん。女を誘うんにもオリヴァーやウィルの手ぇ借りとるし、ステップも満足に踏めてへん。挙句の果てにはダンスの途中でパートナーをほっぽり出すんやから、何しに夜会に来たんやって感じや」
キリルのダンスがよっぽど酷かったのか、クレアは自身の顔の前で「ないない」と言うように手を振って見せる。するとタイミング良くマジスターが姿を現したので、キリルの悪口を言っていたクレアは途端に慌て出した。
「なに小躍りしてるの?」
クレアの狼狽ぶりにツッコミを入れたのは赤い髪の少年。おそろしく女顔の彼は名を、ウィル=ヴィンスという。ウィルに続いて茶髪の少年もクレアの妙な動きを笑った。スポーツマンタイプのがっちりした体格をしている彼は、名をオリヴァー=バベッジという。
「夜会の話、聞いた?」
ウィルに話しかけられたため、葵は無言で頷いて見せる。するとウィルは、仏頂面をしている黒髪の少年を振り返った。世界でも珍しい、黒髪に同色の瞳といった容貌をしている彼はキリル=エクランドという。
「良かったね。アオイ、行くって」
「ちょっと! まだ行くなんて……」
勝手なことを言い出したウィルに反論しようとした葵は、しかし途中で言葉を途切れさせてしまった。その理由は栗色の髪の少年が進み出て来たからで、彼はクレアの傍に行くと無言で彼女の腰を抱く。人目も気にせず大胆なことをやってのけた少年の名は、ハル=ヒューイット。見ていられなくて、葵はさりげなく彼らから目を逸らした。
「ハールー、ちょっとは人目も気にしろ?」
「ええねん。うちが気にしてへんから」
「クレアはもうちょっと恥じらいってものを持った方がいいよね。昨日の私服も露出しすぎてて品がなかったし」
「ウィルに理解されんでもええわ。ハルが好き言うてくれるんなら、それでええ」
クレアは最近学園外でもマジスターと行動を共にすることが多いらしく、オリヴァーやウィルとのやり取りもどことなく『仲間』を感じさせるものになっていた。疎外感を覚えないでもなかったが、楽しげな輪の中に入りたいとも思えず、葵はそっと席を立つ。しかしそれをキリルに見咎められ、教室を出ようとしたのを阻まれてしまった。
「行くのかよ? 行かねーのかよ?」
キリルが唐突に尋ねてきたので、葵は一瞬言葉の意味を掴み損ねた。しかしすぐに夜会のことを言っているのだと気がつき、困りながら視線を外す。
「相談してくる」
一刻も早く教室を出たかった葵はそれだけを言うと、再び歩き出した。だがすぐに、キリルに腕を掴まれて動きを止められる。
「誰に何を相談すんだよ」
「は?」
「言えよ。誰に、何を、相談しようってんだ」
「そんなの、関係ないでしょ」
「てめぇは一人じゃ何も決められないのかよ!」
予想外のことでキリルが激昂したので、怒鳴られた葵はビクリと体を震わせた。恐怖に首を縮ませた葵が無抵抗でいると、どこからか伸びてきた腕がキリルの胸倉を掴み上げる。あ然としているキリルに険しい顔を突き付けたのはジノクだった。
「ストップ、ストップ!!」
キリルとジノクが険悪な雰囲気になった刹那、オリヴァーが彼らの間に割って入った。後方から、ウィルの冷ややかな声も聞こえてくる。
「今のはキルが悪いね」
「せや。そのブスイなところ、直した方がええで?」
「なま修羅場」
ウィルの意見に賛同したクレアの科白の後にハルが空気の読めない発言をしたおかげで、勃発しそうになっていたキリルとジノクの諍いは曖昧になった。一連の出来事すべてに息が詰まりそうになった葵は誰にともなく暇を告げ、一人で廊下に出る。のんびりしているとジノクあたりが追って来ることが分かっていたため、葵はそのまま全力疾走で教室から遠ざかった。
(もうやだ)
家でも学園でも、どこに居ても気の休まる時がない。毎日毎日、何故こんなにも窮屈な思いをしなければならないのか。とにかくそれから逃れたかった葵は飛ぶように階段を下り、校舎一階の北辺にある保健室に駆け込んだ。
「助けて、アル」
「しばらく顔を見せなかったと思ったら第一声がそれか」
「ちょっと、色々あってね」
「まあ、詳しい話を聞かなくても大体のところは分かるけどね」
仕事をしている気配はないがアルヴァは一応、アステルダム分校の校医である。学園で起こった出来事には精通しているようで、葵が何を話さなくても、彼はそのまま言葉を重ねた。
「ミヤジマはどうしたいの?」
「どうって……」
「分からない?」
「……うん。急に訊かれても、分からない」
「でも、今のままは嫌なんだろう?」
顔にそう書いてあるとアルヴァに言われ、返す言葉に詰まった葵は口をつぐんでしまった。
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