嘘の螺旋

BACK NEXT 目次へ



 冬月とうげつ期最初の月である白銀の月の十六日。昨夜は珍しく夜空に月が昇っていたのだが、この日は冬月期らしく朝から大粒の雪が降り注いでいた。丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校も雪化粧をしているが、生徒が通る道はちゃんと除雪されている。炎の魔法によって必要な水分まで奪われてしまった乾いた土の上を、生徒達は校舎に向かって歩いていた。

「まだ怒っとるんか?」

 並んで歩いているクレア=ブルームフィールドが声をかけてきたので、考え事をしながら歩いていた宮島葵は顔を傾けた。少し考えた末にクレアが何を言っているのか察した葵は、胸中で「ああ……」と呟きを零す。

「怒ってる」

 葵がきっぱり答えると、クレアは仕方がないといった風に肩を竦めて見せた。

 葵は昨日、クレアに誘われて夜会に行った。そこでフロンティエールの王子であるジノクと諍いを起こし、一人で先に帰ってしまったのだ。夜会の途中で抜けてきたクレアに何があったのかと問われ、葵は単に「突然キスをされたから怒った」とだけ説明してあった。

「せやけどアオイ、前にキスくらいどーっちゅーこともないって言うてたやん」

「あれは……」

 確かに以前、クレアとはそういう話をしたことがある。しかしあれは相手が誰でもいいという意味ではなく、今はもう『キスくらい』などとは思っていない。

「そんなこと言ったらクレアだって……」

 なんとか話題を逸らそうとした葵はクレアと恋愛について語った夜のことを思い出し、結局は閉口してしまった。


『心に決めた男やなければ、ないなぁ』


 キスをする相手についての話をしていた時、クレアはそんなことを言っていた。あの時はミーハーなわりにストイックだと感心したものだが、今は受け止め方がまるで違う。

(本気、なんだよね)

 彼女の言葉を信じるなら、クレアは本気で惚れた相手としかキスをしない。その彼女が今や、日に一度はキスをしていると思われる相手がいるのだ。彼らは昨夜も、夜会で息の合ったダンスを披露していた。胸にモヤモヤとしたものが広がってどうにもならなくなってしまった葵はエントランスホールでクレアに作り笑いを向ける。

「先に行ってて」

「なんや? アルのとこか?」

「昨日、あんまり寝られなくてさ。ちょっと寝かせてもらう」

「せやったら家で寝とったらええのに」

 何しに来たんやというクレアの呆れた声に見送られ、葵は教室へと向かう生徒の流れから外れた。その足で校舎一階の北辺にある保健室を訪れ、魔法の鍵マジック・キーを使って扉を開ける。保健室風の窓のない部屋に入ると、葵はホッと息を吐いた。

「またさぼり?」

 壁際のデスクに座ったまま葵を迎えたのは、金髪にブルーの瞳といった容貌をしている青年。白衣を身につけている彼はこの学園の校医で、名をアルヴァ=アロースミスという。アルヴァから投げかけられた嫌味には反応せず、葵はさっそく簡易ベッドの一つに体を投げ出した。

「登校して早々、寝るのか」

 アルヴァから呆れた反応が返ってきたが、昨夜眠れていないのも事実だったので、掛け布団を頭までかぶった葵は「寝かせて」とくぐもった声を出した。アルヴァは席を立ったらしく、こちらに歩み寄って来る靴音が聞こえる。ベッドのスプリングが、軽く軋んだ。

「キスの余韻で興奮でもした?」

 抑揚のない声で囁かれた科白に、仰天した葵は掛け布団を跳ね除ける。

「何で知ってるの!?」

「何でって、見てたからね」

「見てた!?」

 驚きの連続で言葉を失った葵は開いた口も塞がらなくなってしまった。だらしなく呆けている葵を見て、アルヴァは「やれやれ」とでも言いたげに小さく首を振る。

「次の質問は『いつから見てた』か?」

「そ、それもそうだし、一体どこから……」

 あの時は確かに、テラスに余人の姿はなかったはずだ。葵が矢継ぎ早に問うとアルヴァはマイペースに紅茶を淹れてから本題を口にした。

「僕が見ていたのは、ミヤジマが一人でテラスに出て来たところから、ジノク王子を思いっきり引っぱたいて、さらには大嫌いと叫んで逃げ出したところまで、だね」

「……ホントに全部見てたんだね」

「覗き見したくてしてたわけじゃないから。あの時、ちょっと人と会って、あそこで話し込んでいたんだ」

「だって、いなかったじゃん」

「姿が見えなかった原理は模造世界イミテーション・ワールドと同じだよ。ミヤジマになら、これで分かるだろう?」

 イミテーション・ワールドとは魔法の卵マジック・エッグの中に創られる擬似世界のことである。この擬似世界を創る時、まずは魔力の卵の殻コースで外部と内部を隔絶するのだ。昨夜の場合、アルヴァは自分達の周囲を魔力で覆うことで外部との関わりを断ち切った。そのせいで自分からは姿が見えなかったのだと理解した葵は、それにしても……と嫌な表情を作る。

「だったら、そのままこっそりいなくなってくれれば良かったのに」

「言っただろう? 人といた、って。僕一人ならともかく、相手があることは難しいんだよ」

 どうやら本当に、覗き見をしたくてしていたわけではないらしい。アルヴァの嫌そうな表情からそう感じた葵は、過ぎたことは仕方がないと自分を慰めた。

「それで、何か言いたいことでもあるの?」

「僕が何を言いたいのか、ミヤジマももう分かってるんじゃないか?」

 何度も同じことを言わせるなと、アルヴァは言外に語りかけてくる。しかし分かっていても口に出せることではなく、葵はむっつりと閉口した。

「じゃあ、話題を変えようか」

 あっさりとした調子でそう言うと、アルヴァはジノクのことについて尋ねてきた。どうしても彼を男として受け入れることは出来ないのかと問われ、葵は怪訝な面持ちになってアルヴァを見る。

「昨日、私が言ったこと聞いてたんでしょ?」

「ジノク王子のことを本気で想ってる女性がいて、自分は彼女ほどに想えないから付き合えないってやつか?」

「……そう。それが全てだよ」

「でもそれじゃ、ジノク王子は納得出来ないよ」

 アルヴァがジノクの肩を持つので、何故そういうことになるのかと疑問に思った葵は眉根を寄せた。

「だって、はっきり無理だって断ってるじゃん」

「考えてもみなよ。ミヤジマは王子のことを好きだって言ってる人を直接に知ってるけど、ジノク王子はそれが誰かすらも知らないんだよ? 彼にしてみれば誰かも分からない女なんかより、目の前のミヤジマの方が大事に決まってるじゃないか。そんな理由で断られたんじゃ、諦められないのも当然のことだと思うけどね」

 アルヴァが説明したことを自分の経験に置き換えて考えてみた葵は一理ある、と思った。ハル=ヒューイットとステラ=カーティス、どちらも大切な存在だった二人を結果的には笑顔で送り出せたのは、きっと間近で彼らのことを見ていたからだ。もしもステラのことを知らないままハルが彼女のために去って行ったら、どうだっただろう。結果は同じではなかったのではないかと、葵は思ってしまったのだ。

(でも……)

 空を仰いだ葵の脳裏には、フロンティエールでジノクのことを好きだと言っていた女性の姿が蘇っていた。彼女の想いの強さには勝てそうもないし、何よりジノクのために闘おうという気も起こらない。やはり無理だと思った葵はやり場のない気持ちを吐き出したくて言葉を続けた。

「アル、リンさんのこと覚えてる?」

「リン……というと、フロンティエールの王宮にいた侍従長?」

「さすが。女の人のことはよく覚えてるね」

「それで褒めているつもりか?」

「褒めてなんかないよ。当たり前でしょ?」

「……話の続きを」

 アルヴァが呆れながら折れたので、初めて彼を言い負かした葵は少し笑ってから話を続けた。

「あの人さ、十年も前からジノクのこと好きなんだって。それも今のジノクじゃなくて、フロンティエールで『王子』だった時のジノクだよ? 私にはどこがいいのか全然分からなかった。そんな人を十年も好きでいられるんだから、すごいことだと思わない?」

「十年、か……」

 むしろ引きずりすぎだと、アルヴァは苦笑いをしながら言う。彼は奔放な恋愛を好んでいるようなので、そんなタイプからしてみるとリンのような一途さは重荷なのかもしれない。だが今はアルヴァの主観など関係がないので、葵は気にせずに話を続けた。







BACK NEXT 目次へ


Copyright(c) 2012 sadaka all rights reserved. inserted by FC2 system