嘘の螺旋

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「私、ジノクにはリンさんと幸せになってもらいたいと思ってる。そう思っても何も感じないってことはジノクのこと恋愛対象として見てないってことでしょ? だから好きとか言われても、私の方はどうしようもないんだってば」

 ジノクが何をしても今すぐ気持ちが変わるわけではないし、この先も有り得ない。葵がそこまで言い切ると、アルヴァも納得してくれたようだった。

「ジノク王子ならいいと思ってたんだけど、ミヤジマがそこまで言うなら仕方がないね」

「出た。アルの勝手な相手選び」

 アルヴァはいつも家柄やその人物の立場などを考慮して、葵の相手として相応しいかどうかを判断する。ジノクがアルヴァに『いい』と思われたのは、おそらく彼がフロンティエールという国の王子だからだろう。フロンティエールは魔法が使えない国なので、異世界からの来訪者である葵にはある意味安心出来る環境なのだ。

「それに私、アルの傍にいたいから」

「……それは、どういう意味?」

「別に変な意味じゃないから、そんな目で見ないでよ」

 アルヴァに怯えたような目を向けられた葵は失礼だと思いつつ言葉を重ねた。

「忘れられてそうだから言っておくけど、私は元の世界に帰りたいの。そのためには魔法のこと勉強しなくちゃいけない。教えてくれるのも、気兼ねなく色んなこと聞けるのもアルしかいないんだよ。それなのにフロンティエールなんかに行っちゃったらアルが遠くなる。着いて来てって言っても、アルは絶対に来てくれないでしょ?」

 フロンティエールからの帰り道、アルヴァはもう二度と彼の国には行かないと愚痴を零していた。だから着いて来てくれないだろうと葵は単純に思っていたのだが、アルヴァはもう少し複雑な捉え方をしたようだった。

「怖いな。もうミヤジマとは口を利きたくない」

「なに子供みたいなこと言ってんの? この前の絶交もそうだけど、アルって時々変なこと言うよね」

「最近のミヤジマは図太くて鋭くて、なんだか別人のようだ」

「成長したって言ってよ」

 アルヴァと話をしているうちに気分が晴れてしまい、眠気も吹き飛んでしまった葵はベッドから下りた。アルヴァはまだベッドの端に腰かけたまま、立ち上がった葵を見上げてくる。

「教室に行くのか?」

「ううん。ちょっと、電話してくる」

「ああ……。マジスターと鉢合わせにならないように気をつけて」

 学園内でマジスターと仲良くしていると、いつかのような目に遭う。アルヴァがそんなことを言うので、それが軽口に聞こえなかった葵は乾いた笑みを浮かべた。

「そうだ、ミヤジマ。最近、何か変わったことはあった?」

「変わったこと? 別に、ないけど?」

「そう。なら、いいよ」

 発言の真意を説明するでもなく、ベッドを去ったアルヴァは指定席のデスクへと向かう。もう話をするような雰囲気でもなかったので、葵は小首を傾げたまま『アルヴァの部屋』を後にした。

(あ、しまった。アルにどうすればジノクが諦めてくれるのか聞くの忘れた)

 後にしてきたばかりの扉を振り返って戻ろうか悩んだ葵はふと、アルヴァの姉であるレイチェル=アロースミスの顔を思い浮かべた。こういったことを相談するのなら、アルヴァより彼女の方がいいかもしれない。そう思った葵は結局、アルヴァの元に引き返すことはせずにその場を後にした。

 校舎一階にある保健室から立ち去った葵はその後、外へ出て東へと足を向けた。アステルダム分校の校舎は敷地内のほぼ中央にあって、そこから東のエリアはマジスター達の領域となっている。一般の生徒は足を踏み入れることを躊躇う場所なのだが、葵は気にせずに塔を目指した。用途がよく分からないこの塔は上方にぽっかりと穴が開いていて、そこに時計を嵌めこむと似合いそうなことから、葵は勝手に『時計塔』と呼んでいる。時計塔の足下に辿り着いた葵は一度足を止め、塔のてっぺんを仰いだ。

(……いない、よね?)

 そうそう何度も出くわすことはないだろうと、頭を振った葵は塔の二階を目指して歩き出した。しかし、まさかと思う時ほど偶然とは起こるもので、塔の二階には葵が危惧していた少年の姿があった。栗色の短髪にブラウンの瞳といった容貌をしている彼の名は、ハル=ヒューイット。昨夜ひっぱたいてしまったジノクを差し置いて、今一番に会いたくない人物だった。

「おジャマしました」

 壁に背を預けて座り込んでいたハルと目が合ってしまうなり、葵は急いで踵を返した。しかし階段に辿り着く前に、突如として目の前に現れた巨石が出入口を塞ぐ。葵があ然としていると、背後からハルの声が聞こえてきた。

「こっち来なよ」

 おそるおそる背後を振り返ってみると、ハルは元の位置から動かずに平然とこちらを見ていた。身動きが取れなくなってしまった葵は眉根を寄せ、言われた通りにする。

「あれやったの、ハル?」

「そう、俺。だってあんた、逃げるから」

 葵の問いに答えながら、ハルはパチンと指を鳴らした。背後で音がしたので振り返ってみると、先程まで階段を塞いでいた巨石が跡形もなく消え去っている。呪文も唱えずにどうしたらそんなことが出来るのかと、葵は呆れながらハルを振り向いた。

「座りなよ。地べたがイヤなら椅子でも出そうか?」

「……けっこうです」

「椅子がイヤならベッドにしようか? いつかみたいにさ」

「いらないよ!」

 抵抗を続けていると本当にベッドを召喚しそうだったので、葵は仕方なくハルから少し距離を置いて腰を下ろした。この距離感がまた、なんとも気まずい。

「それで、何? 何か話?」

 なるべくハルを見ないようにして言ったら、自然とつっけんどんな口調になった。さすがに冷たすぎるかと思ったのだが、ハルはまったく気にしていない様子で話を始める。

「あの王子さま……ジノク、だっけ? あいつに消えてくれないかって言われた」

「えっ」

 穏やかでない発言を聞かされて、ギョッとした葵は思わず素の表情でハルを振り向いた。目が合うと、ハルはニコリと笑って見せる。

「やっとこっち向いた」

 強力な破壊兵器であるハルの笑顔に絆されそうになった葵はなんとか自分を戒め、それから不愉快に眉根を寄せた。

「からかったの?」

「違うよ。さっき言ったことは、ほんと」

「本当、なんだ……」

「あの王子さま、よっぽどあんたのこと好きなんだな」

 誰の目から見てもそうかもしれないが、それをハルに言われると殊更複雑な気分になる。葵が何も言えないでいると、ハルは一人で先を続けた。

「キルもあんたに夢中みたいだ。あのキルを、どうやってたらしこんだの?」

「別に……たらしこんでなんかないし。あいつのアレは副作用みたいなもんだよ」

「副作用? 何の?」

「マジスターから聞いてないの?」

 ハルが頷いたので、葵は意外に思いながらキリル=エクランドがおかしくなった経緯を説明した。しかし話を聞き終えても、ハルは興味薄な様子で相槌だけを打つ。友人のことなのに気にならないのかと葵は訝ったのだが、それを言葉にすることはしなかった。

(友情の形は人それぞれ、だよね)

 顔には出さずとも、本当は気にしているかもしれない。だが、それもどうだろうと思うほど淡白に、ハルはキリルの話を終わらせた。

「キスされたくらいで叩くなんて、あんた初だよな」

 また脈絡もなく、ハルは一番触れて欲しくなかった話題を持ち出してきた。葵から反応が返ってこなくても、ハルは淡々と言葉を次ぐ。

「俺もあんたにキスしたけど叩かれなかった。何で?」

「あれは……見せ付けるためにキスなんてするから、だから怒ったんだよ」

「へぇ。分かってるんだな」

 ハルが零した独白の言い回しに、葵はギクリとした。分かっていることにしてはならなかったのに、失言だ。

「は、ハル! バイオリン、弾かないの?」

 なんとか話題を変えたかった葵はとっさの思いつきを口にしてみた。この塔はマジスターの練習場であり、彼はよく、この場所でバイオリンを弾いていた。自分の思いつきが懐かしい音色を呼び覚まし、目を輝かせた葵は気まずさも忘れてハルを見る。

「あの曲、聞かせてよ」

 葵の言う『あの曲』とは、パッフェルベルのカノンに酷似したヴァリア=ヴェーテという曲のことだ。曲名を言わなくてもハルには通じるはずなのだが、彼は無反応のままだった。

(あ……)

 奇妙な沈黙の末、膝を抱いたハルは自らの額をそこに押し付けた。その一瞬、彼の素顔を見てしまった葵は喜色をなくして閉口する。悲しげに眉宇を曇らせた、その表情の意味は……。

(……ステラ……)

 カノンでは同じ旋律が他のパートに受け渡されていく。この場所で一人カノンの練習をしていたハルは、きっとステラの音色を追いかけていたのだろう。彼がバイオリンを弾かないのはステラとの別離が辛すぎるからだ。彼らに何があったのかも知らないのに、そのことが分かってしまった葵は胸を締め付けられた。

「俺のバイオリンは有料。聞きたいなら、それなりのものをもらうよ」

 顔を上げた時、ハルの口調はずいぶんと軽いものに戻っていた。弾けないくせにと、葵は胸中で文句を言ってみる。

「皆にはナイショでさ、俺と付き合わない?」

 ハルが心にもないことを笑顔で言ってのけた時、頭の中で何かが弾けた葵は勢い良く立ち上がった。

「バカ!!」

 言ってやりたいことは色々とあったはずなのだが、それだけしか言葉が出なかった。一方的に別れを告げた葵は走って階段へと向かう。今度はもう、ハルも邪魔をしてはこなかった。






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