嘘の螺旋

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 冬月とうげつ期最初の月である白銀の月の十七日。トリニスタン魔法学園アステルダム分校に登校した葵はクレアと共に教室へ行き、そこで窓際の席に座っているジノクに目を留めると、同時に動きも止めた。

「何や? まだ気まずいんか?」

 教室の入口で立ち止まっていると、クレアが顔を覗き込んできた。昨日あんなことがあったにもかかわらず、彼女はもう何事もなかったかのように振る舞ってくれている。その強さを見習わなければと思っている葵はクレアと目を合わせてから首を横に振った。

「おはよう」

 葵から声をかけると、ジノクは少し驚いたようだった。決心が鈍らないうちに、葵は言葉を次ぐ。

「ちょっと話があるんだけど、今いい?」

 すでに他の生徒も登校してきているので、教室では話せない。そうした葵の意図を察したようで、ジノクは硬い表情のまま頷く。連れ立って教室を出ようとしたらジノクの付き人であるビノが着いて来たので、歩みを止めた葵は彼を振り返った。

「すいません、ジノクと二人で話させて下さい」

「ビノさんはお呼びやないってことや。うちと二人で世間話でもせーへん?」

 クレアの誘いにビノは困惑していたが、ジノクが頷いて見せると彼は王子の意に従った。人気のない場所で話をしたかった葵はジノクを連れ、階段を上る。教室のない五階まで来るとサンルームが目についたので、葵はマジスターの専用とされているその場所を借りることにした。いつかのようにマジスターが突然現れることはあるかもしれないが、ここならば一般の生徒は立ち入って来ない。

「この前は、叩いてごめんね」

 葵が頭を下げると、ジノクはすぐに反応を示した。

「いや、あれは余が悪かった。あの男の顔を見たら頭に血が上ってしまったのだ」

「叩いたことは謝るけど、ジノクがやったことは許してないよ」

 ジノクが苦い笑みを浮かべたことで少しだけ緩んでいた空気を、葵はすぐに払拭した。ジノクの表情は凍り付いていて、真っ直ぐにこちらを見ている瞳の奥には微かな怯えの色がある。彼にはもう、話の内容が分かっているのかもしれない。そう思った葵は淡々と、話を続けた。

「でも、謝らなくていいから。私もサイテーだったから、お互い様ってことで」

「ミヤジマ……」

「私、好きな人がいる」

 自分に禁じてきた本心を吐露してしまうと、葵は短く息を吐いた。今まではこの想いを認められなかったがために辛かったのだが、苦しかったのは自分だけではない。クレアにしろジノクにしろ、嘘に巻き込まれた者達にとってはいい迷惑だったことだろう。その贖罪のためにも、葵は素直な気持ちをジノクに語った。

「その人のこと、ずっと好きだった。最初から望みなんてなかったけど、それでも好きだったの。一度は終わったことにしようとしたけど出来なかった。今でも好きなの。だからジノクの気持ちには、応えられない」

 言葉を紡いでいる間、葵は目線を外すことなくジノクを見ていた。話を終えた葵が閉口すると、ジノクは気の抜けたような笑みを浮かべてみせる。そこで何故、笑みが零れたのか。ジノクの胸中が分からなかった葵は眉をひそめた。

「それ、なに笑い?」

「嘲笑だ。余自身に対する、な」

「…………」

「もしまた閉じ込めても、心は変わりそうにないな?」

「そんなことしたら絶交だよ」

 アルヴァに倣って軽口を叩いてみると、ジノクは朗らかに笑い出した。ひとしきり笑った後、彼は穏やかな表情を浮かべた面を葵に向ける。

「あの男の話を聞いた時から、ミヤジマの気持ちは分かっておった。だが、認めたくなかったのだ」

「それなら、あんなことしなきゃいいのに」

 夜会に行った時、ジノクは偶然テラスに出て来たハルに見せ付けるためにキスをしてきた。キスをされたこと自体にではなく、葵はハルに見せ付けるための行為だったことに怒りを露わにしたのだ。そのことは、彼もすぐ気がついたのだろう。その証拠にジノクは、叩かれても驚いていなかった。

「あれは失敗したと、あの後すぐに後悔をした。自分の首を絞めるというのは、ああいうことを言うのだな」

「そういえばジノク、ハルに消えろとか言ったんだって? ダメだよ、そんなこと言っちゃ」

「余は、あの男が嫌いだ」

 不意に表情を険しくすると、ジノクは吐き捨てるように言った。語気の厳しさに驚いた葵は目を丸くする。

「好きじゃないのは分かるけど……そこまで?」

「あの男は女になら誰にでもいい顔をするではないか。キリルも気に入らぬが、彼は余所見をしないだけまだいい」

 そんな風に思っていたのかと、ジノクの本心を初めて聞いた葵は驚いた。しかしジノクの発言には色々と、自分を顧みていない部分がある。どうしても突っ込まずにいられなかった葵は思ったことを口にした。

「ジノクだってフロンティエールでは、女はみんな自分の物的な感じだったじゃない」

「そうだな。だから今の余は、過去の己も好きではない」

「……変わったね」

「変わったのだ。その自覚は余にもある。今の余であればミヤジマも好きになってくれるのではないかと奢っていたが、そううまくはいかないものらしい。うまくいかないことが多い方が、自然なのだな」

 フロンティエールの王子であるジノクには、今まで思い通りにならなかったことの方が少なかったのだろう。だが彼は、我慢をすることやうまくいかないことを受け入れる術を覚えた。出会った時に今の彼だったら、ひょっとすると好きになっていたかもしれない。胸中でそんな呟きが零れたが、今更そんなことを言っても不毛なだけだ。ジノクが言うようにうまくいかないことは多いと、葵は無言で小さく首を振った。






 他にも用があるからと言って葵がサンルームを出て行くと、ジノクはそれまで溜めていた息を吐き出した。その後、しばらく一人で感情の整理をしてから、サンルームを後にする。すると廊下へ出てすぐの所にクレアとビノの姿があったので、ジノクは彼らに呆れ顔を向けた。

「其の方ら……」

 盗み聞きをしていたのかというジノクの疑いは、ビノよりも先にクレアが否定してみせた。

「確かにうちらはここにおったけど、あないに広い部屋で会話しとる声なんて聞こえるわけないやろ。疑りすぎや」

「だが余は、ビノに着いて来るなと命じたのだ」

「ちっとはビノさんの立場も分かってやりぃ。命令されたからってほいほい傍を離れとったら護衛の意味がないやんか」

「クレア殿……」

 庇われたことに感激しているらしく、ビノは潤んだ瞳でクレアを見ている。いつの間にか、随分と仲良くなったものだ。ジノクがそんなことを考えながら仲睦まじい二人を見ていると、やがてビノが顔を傾けてきた。

「王子、お許しはいただけたのですか?」

「ビノ、帰り支度をしろ」

 問いを受け流して別のことを口にすると、ビノは目を剥いた。それから自分のことのように痛ましい表情を作り、彼は問いを重ねてくる。

「お許しをいただけなかったのですか?」

「そういうことではない」

 もういいのだとジノクが告げると、ビノは言葉を失った。しかし沈黙は流れず、会話が途切れたところでクレアが口を挟んでくる。

「ええんか?」

「ああ。ミヤジマから本当の気持ちを聞いた。あの気持ちを変えることは、余には出来そうもないからな」

 一人を愛するということがどういうことなのか、教えてくれたのは葵だった。彼女がそのことを教えてくれたからこそ、ジノクには葵の気持ちが解ってしまうのだ。他の女がどうのという口実で断られたのでは納得がいかないが、一人の男しか愛せないという本音で断られるのならば、もう諦めるしかないだろう。

「時にクレア、そなたはあの男と別れた方が良いと思うぞ?」

「諦めるって決めた途端に応援するんか? おたくもお人好しやなぁ」

「何だ、知っていたのか」

 葵のことには触れないつもりだったのだが、クレアがすでに知っていたのでジノクは言葉を選ばずに話をすることにした。

「ミヤジマのためではない、そなたを思ってのことだ。あのようないい加減な男は全ての女に愛想を尽かされればいいのだ」

「愛想なら、もうとっくに尽かしとる。心配無用や」

「そうか。そなたは賢いな」

 賢いと褒められてクレアがニヤリと笑ったので、それに応えてジノクもニヒルな笑みを浮かべた。

「余は愚かな女の末路まで見届けるつもりはない。このままフロンティエールへ帰ることにする」

「何や、もう行ってまうんか?」

「ああ。伝言を頼みたいのだが、引き受けてもらえるか?」

「ええで。アオイにか?」

「いや、キリルにだ」

 意外そうな顔をしたクレアの耳元に唇を寄せ、ジノクは伝言の内容を囁いた。その内容にキョトンとしているクレアに笑みで別れを告げると、ジノクはビノを振り返る。

「帰るぞ、ビノ」

「は、はい」

 一人だけ事情が呑みこめていないビノは不可解そうな顔つきをしていたが、ジノクは説明を加えることなく彼を促した。背後からクレアの、「任せときぃ〜!」という元気な声が聞こえてくる。振り返らずに笑みを浮かべたジノクはそのまま、従者のビノと共にトリニスタン魔法学園を後にした。






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