嘘の螺旋

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 丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校では校舎より東の区域がマジスターの領域とされていて、そこには彼ら専用の様々な施設がある。その中でも一際広大な敷地面積を誇るのが大空の庭シエル・ガーデンと呼ばれる花園で、全面ガラス張りのこのドームでは、季節を問わず色とりどりの花が咲き乱れていた。シエル・ガーデンの中央部には花を愛でるための場所が設けられていて、そこでは今日もアステルダム分校のマジスター達が優雅にお茶を楽しんでいる。

「ハルは?」

 声を発したのは赤髪の少年。おそろしく女顔をしている彼の名は、ウィル=ヴィンスという。ウィルが話しかけたのは隣に座っている茶髪の少年で、スポーツマンタイプのがっちりした体躯をしている彼は名をオリヴァー=バベッジといった。

「うちで寝てる。起きなかったから置いてきた」

「また? 昨夜も女の子と遊んでたの?」

「たぶん、そうなんだろ」

「なあ、何でハルは知らねー奴と遊びたがるんだ?」

 オリヴァーとウィルの会話に口を挟んできたのは、黒髪に同色の瞳といった世界でも珍しい容姿をしている少年。切れ長の目がクールな印象を醸し出している彼の名は、キリル=エクランドという。キリルが発した初な質問に、オリヴァーとウィルはそれぞれに種類の異なった息を吐いた。

「知らない女の子だから都合がいい、ってことだろ」

「オリヴァー、それじゃ理屈に合わないよ。ハルはクレアにも手を出してるんだから」

「ああ、そうか……」

 オリヴァーとウィルの間では話が通じていたが、質問を投げかけたキリルは理解が及ばなかったようで眉根を寄せている。

「お前らの話は意味が分からねぇ」

「それはキルがお子様だからだよ」

「何だと!? てめぇ、」

 いつものように口喧嘩が始まりそうになったが、キリルとウィルは同時に動きを止めた。オリヴァーも彼らと同じタイミングで異変を察知していて、侵入者が現れた方角に顔を傾ける。

「今更だけど、クレアやアオイはどうやってここに入って来てるんだ?」

 シエル・ガーデンには扉や窓といった出入口がなく、ここへ来るには転移魔法を使うしかない。だがクレアや葵は、それとはまた別の方法でシエル・ガーデンに入って来ることが出来るようなのだ。すでにそれが慣習化してしまっているのだが、改めて疑問に思ったオリヴァーは誰にともなく独白を零す。するとそれに、ウィルが応えた。

「来たら訊いてみれば?」

 ウィルがそう言ったこともあって、オリヴァーはクレアが姿を見せると質問を投げかけようとした。しかしそれよりも早く、クレアが口火を切る。

「おたくに話がある」

 そう言ってクレアが視線を向けたのはキリルだった。彼らは別段親しくしているという風でもなく、行動を共にしていてもそれほど会話をするわけでもない。そんな人物に名指しされたため、キリルは奇妙に感じたようだった。

「オレは話なんかねぇ」

「せやから、うちの方にある言うてるやん」

「ここで言えばいいよ。どうせキルは後で僕達に話すだろうから」

 手間が省けていいとウィルが容喙すると、クレアとキリルは揃って微妙な表情になった。二人が同じような表情をしていたので、オリヴァーは顔を背けて小さく吹き出す。わしゃわしゃと髪を掻いた後、クレアは嘆息してからキリルに向き直った。

「ジノクから伝言や」

 クレアの口からジノクの名前が出ると、キリルはピクリと頬を動かした。嫌そうな表情をしたキリルには構わず、クレアは『伝言』の内容を口にする。

「ミヤジマの気持ちが分かったので余はもう諦めることにする。そなたはどうするのだ? って、言うてたで」

「はあ?」

 伝言を聞いてもまったく意味が分からなかったようで、キリルは首を傾げている。しかし意味を汲めなかったのはキリルだけであり、オリヴァーとウィルは真顔でクレアを見た。

「頑張ってたけど、ダメだったか」

「でも何で、敵に塩を送るような真似をするんだろう?」

 ライバルだったはずなんじゃないのと言いながら、ウィルがキリルを見る。それを機に視線が集中したため、ただでさえ話に入れていなかったキリルはさらに困惑してしまったようだった。

「何なんだよ、お前ら」

「分からんのやったら皆で考えたらええんとちゃう? ほな、確かに伝えたで」

 言いたいことだけを言うとクレアは踵を返した。しかしすぐに足を止め、彼女はマジスターを振り返る。

「そうや、ハルにうたら別れましょー言うといてや」

 至極軽い口調で恋人との別れを宣言すると、クレアは今度こそ去って行った。マジスター達は一様にあ然としてクレアの背中を見送っていたが、真っ先に我に返ったウィルがやがて話を再開させる。

「オリヴァー、どうやって出入りしてるのかクレアに訊くんじゃなかったの?」

「いや、それどころじゃないだろ。何か今、サラッとすごいこと言わなかったか?」

「ハルと別れるってやつ? もともと、本当に付き合ってるのかも怪しかったじゃない」

「それは……うーん……」

 納得がいくようないかないようなウィルの言い分に、オリヴァーはひたすら首を傾げることしか出来なかった。反論するほどの言い分はないのだが、かといって納得するには何かが足りない。そんな曖昧な気持ちを抱えたオリヴァーが悩んでいると、キリルがその流れをぶった切った。

「説明しろよ」

 主語のない命令を下すと、キリルは拳でテーブルを叩いた。何を説明してほしいのかとウィルが問うと、キリルは全てだと言う。オリヴァーには何をどこから説明していいのか分からなかったのだが、キリルとの問答に見切りをつけたウィルが適当に話を始めた。

「ジノク王子のメッセージはたぶん、自分は諦めるけどキルには頑張って欲しいって意味なんじゃないの?」

「何でオレが、あいつに頑張れなんて言われなきゃならねーんだよ?」

「キルがそんなだからだと思うよ」

 さらりと厳しいことを言うと、ウィルはキリルが気付いて怒り出す前にオリヴァーに話を振った。同意を求められたので、オリヴァーは考えを巡らせながら頷く。

「俺にもそう言ってるように聞こえたな」

「でもジノク王子はキルのこと敵視してたよね? 自分が諦めるからって、何で応援なんかするんだろう?」

「敵視……は、してなかったように思うけどな。どっちかって言うとアレは高みの見物って感じだっただろ」

「ああ、なるほど」

 ジノクとキリルは一人の少女を奪い合う仲だった。しかしキリルの愛情表現があまりにも稚拙なので、ジノクの方は余裕たっぷりにキリルの言動を観察していたのだ。それもこれも、キリルが未だに自分の気持ちを認めないことに原因がある。そう思ったのはウィルも同じだったようで、彼はオリヴァーから外した視線をキリルへと向けた。

「キル、いい加減素直に認めたら? アオイのこと好きなんでしょ?」

「好きじゃねーよ!!」

「だったら、アオイをハルにられちゃってもいいの?」

「ハル?」

 何故そこでハルの名前が出てくるのかと、キリルは怪訝そうに眉をひそめる。頭の中で何かが繋がったような気がしたオリヴァーはポンと手を打った。

「それじゃないか?」

「それって?」

「ジノク王子がキルにメッセージを残した真意だよ」

 ジノクはキリルに対しては高みの見物を決め込んでいたが、ハルのことは明らかに敵視していた。自分が諦めるにしてもハルにだけは葵を渡したくなくて、キリルを炊き付けたのではないだろうか。オリヴァーがそうした憶測を述べると、ウィルもそれに同意を示した。

「アオイへのイヤガラセかな?」

「いや、たぶんそういうのじゃないと思うぜ」

「フラれた腹癒せじゃなければ、何?」

「ジノク王子はハルが不誠実なことしてるのを見てたからな。キルよりもハルの方が心象悪いんだろ」

「ああ……キルがどうこうっていうより、ハルとだけは付き合って欲しくないって思ったわけね」

「たぶん、な」

「もしかして、さっきクレアがハルと別れるとか言ってたのもアオイのため? 至れり尽くせりだね」

「ああ、そうか……。なんか、納得いった」

 当人達がいないので真偽の程は分からないが、オリヴァーとウィルはひとまず納得のいく答えに辿り着いた。だがキリルは、相変わらず話について行けずに苛立ちを募らせている。室温が微妙に変化したことを敏感にキャッチしたオリヴァーは、ウィルとの会話を切り上げるとキリルに向き直った。

「何が訊きたいんだ?」

「さっきの、どういう意味だよ」

 助け船を出したオリヴァーにではなく、キリルはウィルに向かって言葉を紡いだ。オリヴァーが首を傾げながら視線を移すと、ウィルも何のことを言われたのか分からなかった様子でキョトンとしている。

「さっきのって何?」

「あの女とハルがどうとか、言ってただろ」

「アオイをハルにられてもいいの、ってやつ?」

 キリルが堂々と「そうだ」と言うので、ウィルは呆れ顔になって言葉を重ねた。

「もしかしてキル、アオイがハルのこと好きだって気付いてなかった?」

「あの女が……?」

「見てれば分かるじゃない」

「それは昔の話だろ? 大体、ハルはステラと……」

「えっ、そこからなの?」

 キリルの科白は皆まで言わせてもらえず、ウィルが呆れよりも驚きの方が勝っているといった口調で容喙した。これにはオリヴァーも驚いたが、キリルが本当に分かっていなさそうだったため、ハルとステラの関係がもう終わっているだろうということを憶測を交えながら説明してやる。キリルが理解出来たのかどうかは定かではなかったが、ウィルの一言が彼にとどめを刺した。

「アオイは今でもハルのこと好きだよ。いい? アオイの方が、ハルのことを、好きなんだよ?」

 持って回った言い方をしたウィルは、ハルがジノクとは根本的に違うのだということをキリルに分からせたかったようだった。ここまで言われればさすがに理解したのか、キリルの顔から表情が消えていく。少し可哀相な気もしたが、オリヴァーもウィルの発言に便乗した。

「キル、アオイのことを本当に好きじゃないんだったらもう放っておいてやれよ」

「なに言ってんの? これだけ動揺してるんだから好きに決まってるじゃない」

 余計なことを言い出したウィルに黙ってろと告げた後、オリヴァーは再びキリルに向かって語りかけた。

「今のハルは普通じゃない。だからアオイには近付くなって言っておいたけど、アオイの方がハルのこと好きなんじゃ止められないだろ?」

「ハルは……、ハルはどうなんだよ? あの女のこと好きなのか!?」

「それはハルに訊いてみないと分からない。だけど今のハルからはまともな答えなんか返ってこないだろ。アオイのことまで弄ぶような奴だとは思わないけど、さっきも言ったように今のハルは普通じゃないからな」

「どっちにしても、悠長なことを言ってる暇はないってことだね」

 葵とハルの関係は今、一本の細い糸の上でギリギリの均衡を保っている。何かの拍子でこの糸が切れた時には、葵もハルも今のままではいられないだろう。葵がハルに遊ばれて終わるのか、ハルと葵が付き合い出して終わるのかは分からないが、どちらに転んでもキリルにとっては最悪の事態だ。ウィルの一言をキッカケに自分の置かれている状況を認識したようで、キリルは小刻みに体を震わせ出した。

「ハルはどこだ!!」

 興奮したキリルの叫びが、静かなシエル・ガーデンに響き渡る。キリルがハルに会いに行くと言ってきかなかったため、オリヴァーとウィルも共にシエル・ガーデンを後にした。






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