「何で、そうなるの?」
恋人と同じ志を持つことが、恋愛に不可欠なことなのだとは思えない。そんなものがなくとも、お互いに好きだと思う気持ちがあればそれで十分だ。ハルとステラはお互いに、相手のことを深く愛している。相手のことを思うあまりすれ違ってしまっていたのが、その何よりの証拠だ。それなのに何故、愛だけでは駄目なのか。相手の気持ちを得ることさえ出来ない葵には贅沢な悩みのように聞こえたが、ハルにとってはそれが愛よりも重要らしい。
「本校に行って、分かったんだ。俺にはステラの理想を理解出来ないし、興味もないんだって。だけど本校には、ステラのことを解ってやれる奴が大勢いる」
ハルの気持ちを聞いた葵は昔、アルヴァ=アロースミスという青年が言っていたことを思い出していた。ハル=ヒューイットは才能に恵まれているが、魔法に関心がない。だから彼には、ステラの『世界の理を知りたい』という望みが理解出来ないのだろう。高みへと上っていく彼女を、追いかけることすら出来ない寂しさ。それはかつて、葵もステラに対して抱いたことのある感情だった。
(ハルも私と同じ、なんだ)
人の興味や関心がどこへ向かうのかは、個人の性格に因るところが大きい。同じ道を歩めるのはそれだけで奇跡的で、普遍のことではないのだ。ハルもきっと、ステラに近付こうと努力はしたのだろう。それが報われなかったからこそ、彼は打ち拉がれている。
「ステラの傍にはお互いを高め合えるような相手がいた方がいい。俺が隣にいると、ステラの邪魔になる」
「で、でも、ステラがそう言ったわけじゃないんでしょ?」
「ステラは、俺は俺のままでいいって言ってくれた。でも俺が、そうは思えないんだ。俺もそのままのステラが好きだから」
もう、どうにもならない。ハルがはっきりとそう言っていたので、葵は言葉をなくした。恋愛にはそんな終わりの形があるのと、ショックを受けると同時に絶望が芽生えてくる。この世界で恋人ができたとしても、元の世界へ帰る時には別れなければならない。その意味を、自分は本当に理解していたのだろうか。
(好きなだけじゃダメ……なんだ)
戦慄は次第に胸苦しさに変わってきて、うまく息が出来ない。しかし葵を見ていないハルは、そのまま淡々と話を続けた。
「あんた、ステラに似てるよな。顔も性格もぜんぜん違うのに何でか、そう思う」
「……え?」
葵が伏せていた顔を上げてみると、ハルは口元に笑みを浮かべていた。だがブラウンの瞳は、相変わらず遠くを見つめている。そのまま目を合わさずに、ハルは立ち上がった。
「あんたのこと口説けるくらいになれば大丈夫だって思ってたけど、やっぱりまだダメみたいだ。あんた見てるとステラを思い出す。辛いんだ、」
傍に、いると。背中でそう語ると、ハルは壁面の穴から姿を消してしまった。ハルが去って行くのを目で追っていた葵は、その姿が見えなくなると目を伏せる。涙は、出なかった。ただ暗く黒い流れが、胸の中で渦を巻いているだけだ。
(……行こう)
とにかく『この場所』に居たくなくて、葵は足早に階段を下りると時計塔を後にした。帰還の呪文を唱えればすぐにでも屋敷に帰ることが出来るが、真っ直ぐに帰る気分ではない。西の方へ顔を傾けるとアステルダム分校の校舎が見えたので、葵は新雪を踏み荒らしながらそちらへと向かった。
夜の校舎には人気がなく、冷えた廊下はシンとしていた。静寂に一人分の靴音を響かせながら校内を移動した葵は、一階の北辺にある保健室の前で足を止める。さすがにこの時分だと、いないかもしれない。頭の隅でそう考えながらも、ポケットから
「こんな時分にどうした?」
白衣を着用している青年はこの学園の校医で、名をアルヴァ=アロースミスという。電話をかけに来たと告げると、葵は簡易ベッドの一つに腰を落ち着けた。
「アルは? 何してたの?」
「いろいろ」
「例えば?」
「例えば? 魔法書を読んだり、実験したり、まあ、主に研究だね」
「何の研究してるの?」
「……何かあったのか?」
普通にしていたつもりが不意に図星を突かれ、葵は返す言葉に詰まってしまった。あからさまな葵の反応を見て、アルヴァは深々と嘆息する。
「ジノク王子がフロンティエールに帰った」
「え?」
てっきり詮索されると思って俯いていた葵は、アルヴァが予想外のことを言い出したので驚いて顔を上げた。アルヴァの話によればジノクが祖国へ帰ったのは急なことで、彼も人伝にそのことを聞いたらしい。
「ミヤジマのことは諦めると言っていたそうだ。本心を聞くことが出来たから、もういいんだって」
無表情のアルヴァは言外に、葵が沈んでいるのにはそのことも関わりがあるのではないかと言っていた。それは『問いかけ』よりも『確認』に近く、そこまで知られているのならばと葵も話に応じる。
「そっか。帰っちゃったんだ」
「ジノク王子に言ったのか? ハル=ヒューイットが好きだって」
「言った。そしたら意外とあっさり、諦めてくれたよ」
「否定、しないんだね」
「何を?」
「ハル=ヒューイットが好きだってこと」
「ああ……」
気になったのはそこかと、葵はアルヴァの反応に渇いた笑みで応えた。ふと、同居人であるクレア=ブルームフィールドの姿を思い浮かべた葵はアルヴァに聞きたかったことがあったのを思い出して言葉を次ぐ。
「クレアに何か言ったの、アル?」
「彼女に何か言われて、自分の気持ちを認める気になったのか?」
質問に問いかけで返されてしまったが、これは肯定の意だろう。余計なことをしてくれたと思ったが、今の葵にはアルヴァの勝手な行動に腹を立てるだけの気力もなかった。
「ハリセンでどつかれた」
「はりせん?」
「こんな形のやつ」
葵が空中に図を描いて説明すると、アルヴァは妙な表情をした。最近、表情が意味するところを読めないことが多いと思った葵は再び苦笑を浮かべる。
「それ、どんな時の顔?」
「……いや、説明はもういい。話を続けて」
「うん……」
続けろと言われても何を話せばいいのか分からず、葵は自分が何を言おうとしていたのか思い出そうとした。頭がボーッとしていて考えがまとまらなかったが、とりあえずクレアの話を続けてみる。
「クレア、ハルと別れるんだって」
「そう。ミヤジマにとっては、良かったじゃないか」
「良かった……のかな? よく分からない」
「障害はなくなったんだし、もう告白でもすれば? 一人で戻って来たってことはステラ=カーティスとも別れたんだろうし、何も問題はないじゃないか」
アルヴァはよく葵が恋愛をする相手を選ぼうとするが、彼の基準で言えば、ハルは『問題なし』なのである。だが告白という言葉が今の自分にひどく縁遠いものであるように感じられた葵は皮肉に唇を歪めた。昏い笑みを浮かべたまま閉口している葵を見て、アルヴァは怪訝そうに眉根を寄せる。
「ミヤジマ?」
「なんか、笑いたくなってきた」
「不気味だからやめてくれ」
そこで一度言葉を切ると、アルヴァは魔法で紅茶を淹れた。葵が渡されたティーカップに目を落としたまま動かずにいると、彼は小さく息を吐いてから言葉を重ねる。
「黙ってないで、胸に溜めているものを吐き出してみたら?」
「……聞いてくれるの?」
「ミヤジマが僕でいいならね」
「ありがとう……」
胸に溜まっているものを吐き出すと、きっと懺悔になる。聞かせていいのは関わりのないアルヴァだけのような気がして、葵は重い口を開いた。
Copyright(c) 2012 sadaka all rights reserved.