告白

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「帰って来ないじゃねーかよ!!」

 静かな室内に怒りを孕んだ声が響き渡った。怒声の主は黒髪の少年で、切れ長の目がクールな印象を与えると評判の彼は名をキリル=エクランドという。その室内にはキリルの他にも二人の少年がいて、彼らは怒り出したキリルを見るなり「またか」といった風に肩を竦めた。

「キル、頼むからひとの家で暴れないでくれよ?」

 切実さを声音に滲ませながらキリルを諌めたのは、この屋敷の主である茶髪の少年。スポーツマンタイプのがっしりとした体躯をしている彼の名は、オリヴァー=バベッジという。ここはオリヴァーの家がアステルダム公国に持っている別邸で、屋敷一つが彼の寝所である。雪が深々と降りしきる夜、少年達がその場所に集っているのにはある理由があった。

 オリヴァーが拠点としているこの屋敷には現在、ハルが居候をしている。キリルはハルに会うためにこの場所を訪れたのだが、出会い頭に怒鳴りつけたため、それを煙たがったハルが出て行ってしまったのだ。まだ話が済んでいないと、キリルはオリヴァーの家でハルの帰りを待ち構えている。しかしハルが出て行ってからすでにかなりの時間が経過していて、今夜はもう戻って来るとは思えなかった。

「キルはハルに何を言うつもりなの?」

 オリヴァーと共にテーブルに着いている赤い髪の少年が、至って冷静な口調でキリルに話しかけた。細身で、おそろしいまでの女顔をしている彼は名をウィル=ヴィンスという。キリルに付き合って夜更かしをしているウィルとオリヴァーはすでに待ちくたびれていて、彼らの前には乳白色の液体が入ったグラスが置かれていた。

「確かめる」

 キリルが意外にはっきりとした答えを寄越してきたため、オリヴァーとウィルは同時に首を傾げた。

「確かめるって、何を?」

「ハルがあの女のことをどう思ってるかだ」

 キリルの言う「あの女」とは、宮島葵という少女のことを指している。彼女のことを好きなくせに、その気持ちを認めたがらないキリルは、葵がハルを好きだと知ったことで焦っているのだ。そのため彼はハルに会いに来たわけなのだが、確かめた後はどうするのだろう。ウィルが問いを重ねると、キリルは「確かめた後に考える」といった、行き当たりばったりの答えを返してきた。

「要は、ハルの口から『アオイのことは何とも思ってない』っていう科白を聞きたいんでしょ? でもさ、もしハルがそれとは正反対のこと言ったらどうするつもり?」

 ウィルがからかい混じりに問いかけると、目つきを鋭くしたキリルは一気に気色ばんだ。ここで口論が勃発すると頭に血が上ったキリルが屋敷を破壊しかねかったため、オリヴァーは嘆息してから容喙する。

「ハルがそんなこと言い出したら俺が止めるから。キルは余計な心配しなくていいって」

 発言をした刹那、キリルとウィルの視線は一斉にオリヴァーへと注がれた。どうやら彼らは、オリヴァーが自ら「ハルを止める」と言ったのが意外だったらしい。

「オリヴァーってさ、やっぱりちょっとアオイのこと気にしすぎじゃない?」

「まさかお前まで……」

 葵のことが好きだと言い出すのではないかと、キリルの怒ったような顔が言外に言葉を次いでいる。二人から一気に詰問されたオリヴァーは苦笑いを浮かべて首を振った。

「ハルはまだステラのこと引きずってる。そんな状態で別の誰かと付き合ったところで、お互いに傷つくのは目に見えてるからな」

「オリヴァーってさ、実は恋人いるんでしょ?」

 ハルを擁護していたはずが、いつの間にか自身の話題に言及されている。ウィルの意図が分からなくて、オリヴァーは眉根を寄せた。

「何でそんな話になるんだ?」

「だって、明らかに経験者の物言いじゃない。それって、僕達の知らないところで恋愛とかしてるってことでしょ?」

「そうなのか?」

 自身が窮地にあるはずのキリルまでもが関心を向けてきたため、まずい流れになったと思ったオリヴァーは話題を変えようとした。しかし一度話が及んでしまうと、ウィルよりもむしろキリルの方が真相を明かそうとしてくる。恋人などいないと言っているにもかかわらず何度も念を押されたオリヴァーはげんなりしながら再度首を振った。

「だから、いないって言ってんだろ。俺のことより、キルは自分をどうにかするべきだぜ」

「どうにか? どういうことだよ」

「ハルとアオイがどうこうなることはないけど、アオイの心はそれでもハルの方を向いたままなんだ。悔しくないのか?」

 考えてもみなかったことらしく、キリルは驚いたように瞬きを繰り返した。それから何事かを考え出したらしいキリルは眉根を寄せて空を仰ぎ、しばらくするとおもむろに不機嫌な表情になって目線を戻す。向かう先の間違っている矛先をキリルに向けられたオリヴァーは、葵に対する罪悪感を抱きながらも言葉を重ねた。

「キルはさ、アオイが自分の方を向かないと満足出来ない状態なんだよ。世間一般ではそういうのを恋愛感情と呼ぶ」

「オレは惚れてねぇ!!」

「分かった、分かった。俺達に何かを言おうって思わなくていいから、ちょっと目を閉じてアオイのことを思い浮かべてみろよ」

「何でオレがそんなことしなくちゃならねーんだ!」

「キルはもう自由だ。何かを思うのに、束縛も抑圧もない」

 キリルはついこの間まで、実兄であるハーヴェイ=エクランドに人格を矯正させられるような魔法をかけられていた。葵のことを強烈に意識し始めたのはその魔法が狂ったせいで、キリルが葵のことを好きになったのは完全な自由意志とは言えないのだ。キリルはすでに魔法の呪縛から解き放たれているが、キッカケがキッカケだっただけに、なかなか自分の気持ちを認めることが出来ないのだろう。だが彼はすでに、自由なのである。今何かを思うことは誰に強制されたものでもない。内なる呟きで留めるのならば冷やかされる心配もないとオリヴァーが説得すると、キリルは渋々納得した。

 瞑想を見られるのが恥ずかしいとの理由でキリルが部屋の隅に行ってしまうと、そこでようやくオリヴァーは一息ついた。しかし同じテーブルに着いているウィルが、そのタイミングを見計らっていたかのように小声で囁いてくる。

「うまく逃げたね?」

「お前が余計なこと言うから話が逸れるんだろ、いつも」

「オリヴァーのプライベートにもちょっと興味あったのになぁ。残念」

「そうやって何でもかんでも暴き立てようとするから、お前らには言いたくないんだよ」

「言いたくないってことは、やっぱり恋人いるんでしょ?」

「だから……」

「……好きだ」

 オリヴァーとウィルが小声で会話をしていると、室内にキリルの声が響き渡った。それはきっと呟きだったのだろうが、いやにはっきりと聞こえてしまったのは、ちょうど会話の合間に零れてしまったせいだろうか。驚いたオリヴァーとウィルが部屋の隅へと顔を傾けると、こちらに背を向けてしゃがみ込んでいるキリルが頭を抱えていた。

「オレがあいつを好きだって? いや、そんなはずは……いや、やっぱり……いや、そんな……」

 どうやら声が出ていることには気がついていないようで、キリルは悶々と自問自答を続けている。やがて思考回路がオーバーヒートを起こしてしまったようで、髪の毛を掻き毟ったキリルは勢いよく立ち上がった。

「ムカつく!!」

「き、キル! 待て!!」

 キリルが壁を蹴り出したので、焦ったオリヴァーは慌てて席を立った。ウィルは笑いながら、オリヴァーがキリルを羽交い絞めにしている様を眺めている。

「キルにはまだ恋愛は早いみたいだね」

 ウィルが零した独白は格闘しているオリヴァーとキリルの耳には届かず、その的を射た指摘は誰にも汲まれることのないまま流れていった。






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