How to

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 校舎の五階にあるサンルームでクレアとの密談を終えた後、オリヴァーは昼休みで人気のない校内を一人で歩いていた。転移魔法を使わずに移動しているのは、校内に見知った者達がいることを感じ取ったからだ。

「てめぇ、いつまでも笑ってんじゃねーぞ!!」

 廊下を歩いて行くうちにキリルの怒声が聞こえてきたので、オリヴァーは「またか」と思いながら歩調を速めた。そのうちに見えてきたのは、ハルの胸倉を掴み上げているキリルの姿。キリルは些細なことですぐに機嫌を悪くするのだが、今はその矛先がハルに向いているらしい。

「何かあったのか?」

「ああ、オリヴァー。今、キルがね……」

「ウィル!!」

 それまでハルに絡んでいたキリルが、今度はすさまじい勢いでウィルに突進する。ウィルはヒラリと身を躱したが、キリルは諦めなかった。しかし何とかしてウィルの口を塞ごうとしているうちに、ハルがあっさりとキリルの隠し事を暴露する。

「キスがヘタクソだって」

「は?」

 ハルの発言には主語がなく、明らかに言葉も足りなかった。それを補うかのように、ウィルが横から口を出してくる。

「アオイにね、ヘタクソって言われちゃったんだよ」

「あれはキスっていうか、口撃こうげき

「ハル、うまいこと言うね」

「うまかねぇ!!」

 一人だけ現場を見ていないオリヴァーは傍からキリルの行動を観察していたハルとウィルの意見を聞き、彼らの言う『口撃』を想像してみた。おそらく勢い余って、前歯でもぶつけてしまったのだろう。普通にキスをする分にはまずしない失敗だが、経験があまりなく、力加減の分かっていないキリルならばやりそうだ。

「あれじゃダメだよ、キル。キスっていうのはただ口唇を重ねればいいってもんじゃないんだから」

 ひとしきりキリルをからかった後、ウィルは彼から怒りを殺ぐために真顔に戻って話を始めた。こういった話運びをされるといつまでも怒っているわけにもいかず、まんまと手玉に取られたキリルは真剣な表情でウィルに向き直る。

「そうなのか?」

「さっきのはまず、勢いつけすぎ。もっとそっと近付いて、初めはゆっくりと相手の口唇に触れる」

「それで? 次は?」

「次は、口唇を噛む」

「噛んだら痛いじゃねーか」

「もちろん、優しくだよ。いわゆる『甘噛み』ってやつだね」

「へぇ」

「そのうちに相手の口唇が開いたら、今度は舌を……」

「待て待て待て!!」

 キリルは至極真面目な表情でウィルから教えてを受けていたが、傍で聞いていたオリヴァーの方が耐えられなくなって制止の声を上げた。しかし動揺しているのはオリヴァーだけのようで、キョトンとしたような三人の視線が声を張り上げたオリヴァーに向けられる。何故そういった空気になるのかと、頭痛を覚えたオリヴァーはこめかみの辺りを指で押さえた。

「そういう、生々しい話はやめろよな」

「なに照れてるの? オリヴァーだってやってることじゃない」

 ウィルから平然と反論され、オリヴァーは不覚にも絶句してしまった。オリヴァーの反応を見て、ウィルは怪訝そうに眉根を寄せる。

「まさか、キスしたことないなんて言わないよね?」

「……っていうか、俺はウィルが平然とそういう話をしてることの方が意外だ」

「ああ、経験なさそうに見えるんだ?」

「というか、興味ないだろ?」

「まあ、確かに関心は薄いよね。でもさ、あいつ・・・が知ってることを僕が知らないなんて気分悪いじゃない」

 ウィルの刺々しい発言で何となく状況を理解したオリヴァーは、曖昧な調子で「ああ……」とだけ相槌を打った。ウィルは可愛らしい外見に似合わず毒舌だが、誰彼構わず他人を『あいつ』呼ばわりすることはない。彼が悪意をこめて他人のことを『あいつ』と言う時、その人代名詞が指している人物は一人に限定される。ウィルの双子の兄弟である、マシェル=ヴィンスだ。

 マシェルとウィルは双子だが、その外見から性格まで双生児とは思えないほど似ていない。そんな彼らは昔から仲が悪く、事ある毎に反発し合い、競っていた。それがどんな事柄であれ、ウィルはマシェルに劣りたくないのだ。だから男女交際に興味もないのに、そういう経験・・・・・・を積んだのだろう。ウィルにとってマシェルの話題はタブーに近いため、オリヴァーは下手に言及せずに話題を変えることにした。

「キスのやり方なんて口で言って分かるもんじゃないだろ」

「それはそうかもね。じゃあ、キル。練習する?」

「やる」

 ウィルの提案に即答すると、何を思ったのかキリルは突然歩き出した。嫌な予感がしたので、オリヴァーは慌ててキリルの腕を引く。

「どこ行くんだよ」

「決まってんだろ? あの女を捜すんだよ」

 あっさりと答えたキリルはやはり、葵を練習台にするつもりのようだ。そこで迷わず葵を思い浮かべるあたり一途と言えば一途なのだろうが、キリルの思考は方向性がズレている。これはもう経験がどうのという話ではなく、オリヴァーは苦笑いを浮かべた。

「アオイを練習台にするのはダメだよ。彼女にはテクニックを身につけてから再チャレンジするべきだね」

 ウィルが容喙してくると、キリルは大人しく動きを止めた。今のところ異議を唱える必要もなかったため、オリヴァーもキリルの腕を掴まえていた手を離す。自由になったキリルはウィルに向き直り、彼に次なる助言を求めた。

「じゃあ、どうすりゃいいんだ?」

「その道のプロに教授してもらえばいい」

「は?」

 キリルは首を傾げていたが、理解していないのは彼だけだった。詳しい説明は加えずにキリルとの話を終わらせると、ウィルはハルに視線を移す。

「ハルも行く?」

「行く」

 ハルが即答したため、オリヴァーは渋い表情を作った。以前の彼ならば即答で「行かない」と言っていただろうが、今の彼は病んでいる。どこへ連れて行かれるのか分かっていないキリルも心配だったが、こちらも放ってはおけない。そうしたオリヴァーの胸裏を見透かしているかのように、ウィルが薄い笑みを浮かべながら顔を傾けてきた。

「オリヴァーはどうするの?」

「……行くに決まってんだろ」

「あ、そ。じゃ、さっそく行こうか」

 発起人であるウィルはそう言うと、異次元から魔法書を取り出す。マジスターの姿が廊下から消えてしまうと、昼休みのアステルダム分校は静寂を取り戻したのだった。






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