アステルダム分校の図書室は校舎の最上階にあたる五階にあった。整列した本棚には厚手の魔法書がぎっちりと詰まっていて、その眺めは葵が生まれ育った世界で利用していた高等学校の図書室と大差ない。だが『どうやって利用するか』という点においては、やはりずいぶんと違っていた。
図書室に進入した後、アルヴァはまず『植物』に分類される本が置いてあるコーナーに向かった。そこで一冊の本を手に取ると、葵とクレアを促して席に着く。アルヴァとは机を挟んで向かい合った葵とクレアは、彼が何をするのか注目した。
「ミヤジマ、種の大きさはどのくらいですか?」
「このくらい、かな?」
葵が親指と人差し指を使って大きさを示して見せると、そのあまりの小ささにアルヴァとクレアが眉根を寄せた。
「そないに小さいもんなんか」
「一粒は小さいけど、それをいっぱい食べるんだよ」
「まずは、その情報を元に検索してみましょう」
そう言い置くと、アルヴァは開いた魔法書の上に手をかざした。そして彼が何やら呪文を唱えると、魔法書の真上に四角い画面のような物が出現する。半透明のそれに植物の姿が映し出されたので、葵は食い入るように見つめた。
「下の方にある矢印に触れると次の植物が見られますよ」
アルヴァの声に導かれて視線を落としてみると、画面の下方に数字と矢印が表示されていた。数字はおそらくページ数を表しているのだろう。インターネットを使うような感覚で、葵は次々と植物を閲覧していった。
「あ、これ。近い」
「では、形が類似しているものを絞り込みます」
稲に似た植物の向こう側からアルヴァの声が聞こえてきて、しばらくすると画面が三つに分割された。三つの植物はどれも形が似通っていて、稲のように穂を垂れている。
「残念ですが、この植物はラルフウッド島にしか自生していないようです」
ラルフウッドは大陸の遥か北に位置する辺鄙な島である。ゼロ大陸では入手することが難しいと聞き、葵はがっくりと肩を落とした。
「その『おこめ』っちゅーもんの他には何かないんか?」
「うーん……」
クレアに発想の転換を求められた葵は色々と考えてみたのだが、そのどれもが実現は難しそうだった。その理由は思い浮かべた料理の多くに醤油が使われていて、葵が醤油の製法を説明出来ないからだ。
「あ、そうだ」
「何か思いついたんか?」
「闇鍋しよう」
葵がそう提案するとクレアは奇妙そうな表情をし、魔法書を閉ざしたアルヴァは首を傾げた。この世界へ来てから鍋料理にお目にかかったことがないので、二人はきっと『鍋』というもの自体を知らないのだろう。そう察した葵はまず、野菜や肉などを煮た鍋を皆で囲んで食べるものだと説明した。
「でね、闇鍋っていうのは、何が入ってるか分からない鍋を暗いところで食べるの」
「……意味が分からん」
理解に苦しんでいる様子のクレアがそう呟いたきり頭を抱えてしまうと、それまで黙って話を聞いていたアルヴァが口を開いた。
「調理をする者には何が入っているのか分かってしまうのではないですか?」
「買物はそれぞれでして、何を入れたかは他の人には秘密にしておくの。だから自分が持ってきた物しか分からないってわけ」
「はあ……そういうことですか」
「やってみると楽しいよ。アルもやらない?」
「せや! 今夜は皆で、その『鍋』っちゅーのをやってみようや!」
アルヴァはおそらく、何かと理由をつけて断るつもりだったのだろう。しかしクレアが介入してきてしまったため、断り辛くなってしまったらしい。アルヴァは無表情を保ちつつクレアに頷いていたが、今にも苦笑しそうな表情だと思った葵は彼の代わりに苦笑いを浮かべておいた。
「決まりや! ほな、うちは準備があるさかい、食材買ったら保健室に集合やで」
闇鍋をやる場所に何故か保健室を指定すると、すっかり乗り気になってしまったクレアは喜々として姿を消した。何か言われるだろうと思った葵はその場に残り、アルヴァに視線を傾ける。するとアルヴァは話があると言って、葵をいつもの場所に誘ったのだった。
「最近、何か変わったことはあった?」
保健室によく似た窓のない部屋で壁際のデスクに腰を落ち着けるなり、アルヴァは整えられていた服装を自ら乱しながら口火を切った。てっきり闇鍋のことで文句を言われるのだと思っていた葵は予想外の問いかけに首を傾げる。
「さっきアリーシャさんに会ったくらいかな」
「アリーシャに?」
この回答はアルヴァにとって予想外なものだったらしく、彼は眉をひそめた。その表情は怪訝というよりは都合が悪いといった時のようで、偽名のことを思い出した葵も眉根を寄せる。
「アルフォンスって何?」
「……アリーシャから聞いたのか」
小さく息を吐くとアルヴァはデスクの引き出しから煙草を取り出した。ゆっくりと煙をくゆらせてから、彼は言葉を次ぐ。
「その様子だと、僕から答えを聞くまでもないんじゃないか?」
口が「への字」に曲っていると、アルヴァは葵を指して言う。そんなアルヴァの反応は憶測を肯定するもので、葵は改めて顔をしかめた。
「そんなに、自分のこと知られるのがイヤ?」
恋人に偽名まで使って自分を偽っているアルヴァは、とにかくレイチェルとの繋がりが露見することを何よりも嫌っている。それは彼が不測の事態に備えて『隠れて』いるからなのだが、それにしても、自分の他にも十数名の『恋人』がいて、さらには本名すらも明かしてもらえないのではアリーシャが不憫すぎる。
「どうせ他の『恋人』達にも偽名使ってるんでしょ? みんな大人だから大丈夫とか前に言ってたけど、そういう問題じゃないよ」
彼女達に失礼すぎる。葵がそう非難すると、煙草を揉み消したアルヴァは大袈裟にため息をついて見せた。
「勘違いをしないでもらいたいね」
「……え?」
「確かに僕は君の協力者だ。何かあれば話を聞くし、力も貸す。だけどプライベートに踏み込まれる謂われはないよ」
「あ、ご、ごめん……」
「分かってくれれば、いい」
そこで一度話を切ると、アルヴァは冷ややかな態度を崩さずに言葉を重ねた。
「それと、あまりクレア=ブルームフィールドを伴って来ないでくれ。前にも言ったと思うけど、レイチェルと直接の関わりがある人間と話をするのは疲れるんだ。仕方がないから、ヤミナベとやらには付き合うけどね」
「……ごめん」
「分かってくれたなら、もう行きなよ。僕も食材を買いに出るから」
邪険に追い払われて、葵はショックを受けながら『アルヴァの部屋』を後にした。廊下に出て『保健室』の扉を後ろ手に閉めるなり、葵は胸に手を当てる。おそらくは緊張から、心臓が早鐘を打っていた。
葵がこの世界に召喚されてから、一番長く時間を共有してきたのがアルヴァだ。出会ってからしばらくは微妙な関係で、時には険悪になったこともあったが、それもお互いが譲歩したことで関係は改善されたのである。特に
(私……アルと友達になれたって思ってたのかな)
アルヴァには誰にも話せなかった悩みを聞いてもらい、失恋した時には慰めてもらった。だから意識はしていなくても、きっと友情に近い感情を抱き始めていたのだろう。それを察してすぐに態度を変え、しっかりと釘まで刺してくるアルヴァは性格が悪いとしか言いようがない。
(うっかり謝っちゃったけど、アルだって私の
それこそ謂われなき侵害だと今更ながらに憤った葵はモヤモヤした気分を払うべく、大股で廊下を歩きだした。
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