「マジスターよ!」
キャーという甲高い声と共に、女子生徒達が校舎へと向かう流れから離脱して行く。また校舎からも女子生徒が溢れ出て、今度は裏門へと続く白い流れが出来上がった。しばらくするとその流れは真っ二つに割れ、たちまち女子生徒の花道が完成する。その道を、私服姿の四人の少年が歩いて来た。
私服姿の四人組はここアステルダム分校のエリート集団であるマジスターだ。黒髪に同色の瞳といった世界でも珍しい容貌をしている少年がキリル=エクランド、真っ赤な髪の華奢な少年がウィル=ヴィンス、スポーツマンタイプのがっちりとした体躯をしている茶髪の少年がオリヴァー=バベッジ、半分眠りながら歩いている栗色の髪をした少年がハル=ヒューイットである。彼らは後方にギャラリーを背負っていたが、誰一人として気にすることなく仲間内だけで会話を続けていた。
「う〜……気持ち悪ぃ」
朝からグロッキーな様子で、顔を青褪めさせているキリルが呻いている。猫背になっている彼を見て、ウィルが大袈裟なため息をついた。
「あれしきのことで参っちゃうなんて、キルって案外デリケートなんだね」
ウィルの言う「あれしきのこと」とは、ここ二日の間に行ったキスの練習を指している。それはウィルが言うほど生易しいものではなく、練習しすぎたキリルは若干口唇を腫らしているほどだ。そういった経験の浅いキリルにとってはこの練習がかなり衝撃的だったらしく、彼は夢にうなされて今朝は食事を取ることも出来なかったらしい。そして現在の「気持ち悪い」状態になっているのだった。
「でもさ、あれだけ練習したんだから今度こそうまくいくんじゃない?」
「お、おう……」
「キル、くれぐれも人目がある所ではやるなよな」
ウィルに応えたキリルの声には覇気がなかったが、それでも聞き捨てならないとばかりに容喙したのはオリヴァーだった。彼はキリルに付き纏われている宮島葵という少女の心配をしているのだが、立場上、積極的にキリルを制するわけにもいかない。ので、『人目のある所でキスをするな』というのがオリヴァーに出来る精一杯の心遣いだった。
「ったく、何でこんな当たり前のこと口うるさく言わなきゃならないんだか」
オリヴァー以外の三人は往来でキスをしようが何とも思わない類の人達である。そのため、マジスターの中では唯一常識的なオリヴァーの意見の方が浮いてしまう。ここ最近は特にそういったことが多く、今回もウィルがすかさず反論してきた。
「オリヴァーの意見が少数派なんだよ」
「いやいや、お前らの考え方がおかしいんだって」
「じゃあ、多数決採ってみようか」
オリヴァーにそう言い置くと、ウィルは女子生徒の群れを振り返った。キスをする時に周りの目を気にするかどうか。ウィルが群集に向かってそう問いかけると、マジスターが何の話をしていたのか知らされた女子生徒達からどよめきが起こった。
「あ、あの! キリル様!」
困惑している様子の群集の中から、ふと強い声が上がった。多数決には無関心でいたキリルはそこでようやく振り返って眉根を寄せ、おずおずと進み出て来た女子生徒を見る。
「何だ、てめぇは」
「し、失礼を承知で申し上げます。あの女はキリル様に相応しくありませんわ」
「……あ?」
この場合、少女の口にした『あの女』が誰を指しているのかは明白である。キリルにもすぐに分かったらしく、一生徒に過ぎない少女に意見された彼は激しく不機嫌なオーラをその身に纏わせた。キリルに睨まれた少女は、しかしそれでも、必死な形相で言葉を次ぐ。
「だって、あの女は魔法もろくに使えませんのよ? あんな女を傍に置いていたらキリル様の品格が損なわれてしまいますわ」
「……てめぇ、もういっぺん言ってみろ」
口調は静かだったがキリルの体から怒りの魔力が放出されたので、しばし静観していたオリヴァーが止めに入った。「ぶっ殺す」と喚いているキリルをオリヴァーが引きずって行くと、その場に残された少女にはウィルが声をかける。
「よっぽどキルのことが好きなのか、アオイのことがそんなに気に食わないのかは知らないけど、僕達に意見するなんて大した度胸だね」
「わ、わたくしは、キリル様のためを……」
「笑わせないでよ。自分のため、でしょ?」
ウィルが冷笑を浮かべると少女は絶句してしまった。キリルに意見した少女だけでなく、静まり返っている群衆も捨て置き、閉口したウィルは仲間の後を追う。すると女子生徒の群れから少し離れた所でハルが待っていたので、ウィルは意外に思いながら彼の横に並んだ。
「何? 気になるの?」
「ウィルが誰かを庇うなんて、珍しい」
「そう? 僕は言いたいことを言っただけのつもりだけど」
ハルが驚いているのはおそらく、『庇われた』人物がキリルではないと感じたからだろう。その辺りの事情は複雑なので、話すつもりのなかったウィルはさりげなく話題を転換する。
「ハルこそ珍しいんじゃない? 彼女のこと、気になるの?」
「誰のこと?」
すっとぼけているのか本当に分かっていないのか、ハルの無表情からは読み取ることが出来ない。長引かせるような話題でもなかったので、ウィルは薄笑みを浮かべただけで答えとした。
マジスターの姿が消えてしまうと、校舎前に取り残された女子生徒の群れから再びどよめきが起こった。ある者は宮島葵という少女に対する不平不満を並べ立て、ある者はキリルのあからさまな変化を嘆き、ある者は気分が悪そうに顔を青褪めさせている。キリルに意見した少女は絶望を滲ませながらすすり泣いていたが、この場の意見を代弁してくれたということで、彼女は英雄扱いされていた。やがて始業を告げる鐘が鳴り響くと、集っていた生徒達は一人また一人と自分の教室へ向かって行く。その流れに従って二年A一組へと向かっている女子生徒の中に、吊り目が見る者にきつい印象を与える少女の姿があった。彼女は名を、ココという。
「もう、あの女を追い出すしかありませんわね」
ココが静かな決意を口にすると、彼女の周りにいる少女達は一様に口をつぐんだ。ココを含め、ここにいる女子生徒達は葵のクラスメートである。平素から葵の近くにいて、彼女の言動に特に不満を募らせていたクラスメート達は、他のクラスの者達よりも強い感情を抱いていた。それ故にココの意見はみんなの気持ちを代弁したものだったのだが、それを成すには問題がある。
「ですが、ココさん。あの女はふてぶてしいですわ」
学園から出て行けと言って葵が出て行くものならば、彼女達はとっくに行動に移している。実際に、それに近いことをやったこともあるのだ。しかし葵は、それでも学園を去らなかった。精神的な攻撃が利かないのなら体を痛めつけてやるしかないが、それは出来ない。何故なら宮島葵という生徒はフロンティエールという特殊な国からの留学生で、バックに理事長がいるからだ。
「あの女を追い出せたとしても、わたくし達がやったのだと知れてしまえばお終いですわ」
「それならば、不可抗力にすればよろしいのではなくて?」
腰巾着であるサリーという少女の意見に、ココは微笑みでもって応えた。しかし誰一人ココの真意を汲めた者はおらず、みんな首を傾げている。手段さえあれば全員が話に乗ってくることは分かっていたので、ココは笑んだまま説明を始めた。
「授業が始まったら、全員で一斉に
メサージュは通信魔法の一種で、伝えたいメッセージを直接相手の頭に送りつける魔法である。その媒体となるのが生徒の証で、シリアルナンバーさえ知っていれば誰でもメッセージを送りつけることが出来るのだ。生徒の証を携帯している状態で不特定多数の人物から同時にメッセージを送り付けられては、魔法への対処法をよく知っているトリニスタン魔法学園の生徒でも辛いものがある。魔法のことをよく知らない人物がそんな目に遭えば、まず間違いなく頭がパンクしてしまうだろう。加えてメサージュは紙を媒体とする
「皆さん、わたくしの近くにいらして。あの女のシリアルナンバーをお教えしますわ」
ココの誘いを断る者は一人もおらず、その場にいた二年A一組の女子は進んで密談に参加した。
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