エスカレーション

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 校舎一階の北辺にある保健室を出た後、葵はマジスターが溜まり場としている『大空の庭シエル・ガーデン』に向かった。この花園は校舎の東にあって、一般人は立入禁止のマジスター専用施設となっている。扉や窓といった出入口が設置されていないため花園内部にある魔法陣を知らなければ入れないのだが、秘密の通路を知っている葵は転移魔法を使わずに徒歩でシエル・ガーデンへと進入した。

 外では雪が舞っていたが、シエル・ガーデン内では色とりどりの花が咲き乱れている。花園の中央部には花を愛でるための空間が設けられていて、白いテーブルセットが置かれているそこではマジスター達がお茶を飲んでいた。四人全員の姿を認めた葵は一瞬尻込みしてしまったが、すでに彼らもこちらに気付いているので後には引けない。なるべく視線を泳がせないようにしながらテーブルに近付いた葵は、キリルの横で歩みを止めた。

「あの……話があるんだけど」

 否が応にも視線を集めてしまっているので、葵はやり辛いと感じながら口火を切った。すると気まずさが伝わったのか、ウィルがオリヴァーやハルを促して席を立つ。

「僕達は消えるから、ここでゆっくり話しなよ」

 葵にそう告げると、ウィルは先頭に立って魔法陣がある方角へと歩き出した。オリヴァーはすれ違いざまに心配そうななまざしを向けてくれたが、ハルは無関心に去って行く。ハルが意識的に自分を排除していることを知っていたので、葵は淡い痛みを覚えた胸に手を当てた。

(やっぱりまだ、ハルとは気まずいなぁ)

 すでにショックからは立ち直っているが、失恋から日が浅いため意識せずにはいられない。キリルのことだけではなく、色々な意味でマジスターとは距離を置いた方がいいと思った葵は、そこで改めてキリルに向き直った。

「あの、この間のことなんだけど……」

 本題を切り出したはいいものの、その後にどんな言葉を続ければいいのか分からなくなってしまった葵は閉口した。ここはまず、キリルが本当はどう思っているのかを確かめてから話を先へ進めるべきだろう。しかし「あんた私に惚れてんの?」とストレートに尋ねるのは色々な意味で痛い。他に言い様がないかと葵が考えこんでいると、それまで椅子に座っていたキリルがスッと席を立った。

「もうヘタクソなんて言わせねぇ」

「は?」

 キリルから意味の分からない反応が返ってきたため、呆気に取られた葵はポカンと口を開けた。だが、キリルが真顔のまま距離を縮めてくると、本能的に危険を察知した葵は後ずさる。

「な、何……?」

「いいから、こっち来い!」

 じりじりと後退する葵に痺れを切らした様子で、キリルは腕を伸ばしてきた。手首を捕まえられたことで現実的な危機に直面した葵は、逃れようともがく。だが抵抗も虚しく、キリルに抱き寄せられてしまった。その抱き方というのがまた腰に手を回すようないやらしい感じのもので、戦慄した葵は硬直する。葵の動きが止まったのを機に、素早く彼女の後頭部に手を回したキリルは口唇を重ねてきた。

 キリルとキスをする羽目になったのは、これが初めてのことではない。しかし三度目のキスは、衝撃しかもたらさなかった初めてのキスとも、痛いだけだった二度目のキスとも、まったく違っていた。強引に腰を抱くような荒っぽさとは対照的に、なんだかひどく優しかったのだ。

(うっ……わあ……)

 激しく困惑しながらも、葵の瞼は次第に落ちていった。角度を変えて何度も触れてくる口唇は優しく、そして巧みで、意識が混濁の海へ呑まれていく。やがて、それが息苦しさからくる眩暈だと気付いた葵は酸素を求めて、キリルの腕の中で暴れ出した。それは切実な訴えだったのだが、すっかり盛り上がってしまっているキリルは逆に腕の力を強めてくる。

(こ、殺される……)

 拘束から抜け出すことも出来ず、キスの雨も止まない中、酸欠に苦しむ葵の意識は本能から発された呟きを最後に途絶えていった。静かなシエル・ガーデンにキリルの叫びが響き渡ったのは、葵が気絶した後の話である。






 東の大陸を治めるスレイバル王国のとある場所に、とある貴人の邸宅があった。雪を被ってひっそりと静まっているその邸宅の一室に、身なりのいい少年の姿がある。鮮やかな金髪に紫色の瞳といった容貌をしている彼の名は、ユアン=S=フロックハート。三十畳はありそうなだだっ広い部屋の中で、彼は何故か殊更隅の方に身を寄せていた。そこにはもう一人、別の人物の姿がある。メイド服を身につけた、だいぶ年上だと思われる少女を、ユアンは壁際に追いつめているのだった。

「ね、いいでしょ?」

「いけません」

 メイド服の少女はにべもなく『お願い』を拒絶したが、ユアンはそれしきのことでは諦めない。そうして迫っているうちに、彼らは部屋の隅まで来てしまったのである。ここまで追いつめられれば少女の方にも多少は動揺が見えていて、頑なな口調とは裏腹に無表情が崩れかけている。その兆候をユアンが見逃すはずはなく、彼はここぞとばかりに畳み掛けた。

「そんなこと言わないで。お願い」

「うっ……い、いけません」

「少しでいいからさ」

「勤務中、ですので」

「どうしても、ダメ?」

「…………」

「それじゃあ、しょうがないね。メイド服、脱がせちゃうよ?」

「ああ、もう! 分かったわ!」

 ユアンに追いつめられていたメイド服姿の少女――クレア=ブルームフィールドは、半ばヤケクソ気味に叫ぶとその場から逃げ出した。クレアの素顔を引き出したことで、ユアンは「勝った」と笑っている。そんな雇い主の姿に重いため息をついたクレアは仕方なく、素の口調で言葉を次いだ。

「まったく、敵わんわぁ。レイチェル様に怒られてしまうさかい、ほんまにちょっとだけやで?」

「うん。それで、アオイとエクランド公爵のご子息の関係は最近どうなの?」

 この話を素顔のクレアから聞くために、ユアンは彼女に迫っていたのだった。その理由は『素の口調で語ってもらった方が臨場感がある』という、ただそれだけのことである。ちなみに彼が「メイド服を脱がす」という発言をしたのは、使用人契約第三十六条一項に『使用人の正装を着用していない時は、例えそれが雇用主であったとしても平素の態度で接すること』という約束があるからだ。使用人の正装をしている時に素の口調で話をすることにはためらいがあるため、クレアはユアンの傍でしゃがみこんで声のトーンを落とした。

「それがなぁ、マジやねん」

「やっぱり、アオイに本気で恋しちゃったの?」

 ユアンもまたクレアと同じようにしゃがみこんでいて、完全に話を聞く体勢に入っている。部屋の隅で小さくなっている二人はそのままの姿勢で密談を続けた。

「なんでも、アオイにヘタクソ言われてキスの練習までしたらしいで」

「ええっ!? それはショーゲキ的」

「せやろ? うちもまさか、あのお坊ちゃんがそこまでするとは思わんかったわ。よっぽどヘタクソ言われたんが悔しかったんやろうなぁ」

「エクランド公爵のご子息って、確かアオイと同い年だったよね? その歳で経験なかったんだぁ」

「あれはダメや。アオイとそーゆーことになるまで、女になんか興味あらへんって顔しとったからな」

「ふぅん。硬派なんだ?」

「そないカッコエエもんやないって。単にガキやっただけや」

 クレアのあんまりな言い様に、ユアンはプッと吹き出した。しかし彼は、すぐに表情を改める。

「アオイは? 彼のこと、どう思ってるの?」

「どうもこうもあらへんなぁ、あれは」

「恋愛対象としては見てない、ってこと?」

「それ以前の問題や。うちが見とる限り、まともに話したこともあんまりないような気ぃするわ」

「それでそういうことになってるのって、なんだか不思議だね」

「始まりからして妙やから、仕方ない部分はあると思うけどなぁ」

「そうだね。とにかく、アオイが傷ついたりしないように見ててあげてね」

「分かっとる。マジスターの一人とも同盟結んださかい、うまくやるわ」

「えっ、誰?」

「オリヴァー=バベッジや」

「バベッジ公爵のご子息かぁ……」

 言葉を途切れさせたユアンが思案するように空を仰いだので、不思議に思ったクレアは首を傾げた。

「何や? オリヴァーが気になるんか?」

「実は僕、彼がアオイに親切にしてる場面を見ちゃったんだよね」

 それはクレアが葵のメイドとしての仕事を終えて、彼女がまた一人暮らしに戻った時の出来事だった。様子を見に行ってみるとそこにはオリヴァーの姿があって、彼はあれこれと葵の世話を焼いていたのだ。

「クレアの目から見て、どう? バベッジ公爵のご子息もアオイのこと好きなのかな?」

「アヤシイとは思うで。せやけど今は、まだ何とも言えんなぁ」

「もしそうだったら、アオイってばモテモテだね」

「せやなぁ……」

 眉根を寄せて複雑な心境で呟きを零したクレアは、そこではたと我に返った。ユアンもすでに同じ異変を感じ取っているようで、二人は同時に立ち上がる。クレアとユアンが何事もなかったかのように主人とメイドの関係に戻ると、そのすぐ後に扉が開いて、レイチェル=アロースミスが姿を現したのだった。






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