エスカレーション

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 目を開けると天井が映った。それで自分が横になっていることを知った葵は硬いベッドの上で上体を起こし、ぼんやりと周囲に視線を走らせる。どこからともなく聞こえてくるカンカンという音が頭に響いて、途端に頭痛を覚えた葵は背中を離したはずのベッドにすぐ逆戻りしてしまった。

(何、この音)

 断続的に響く甲高い音は、トンカチを金属にぶつけているような感じのものだ。非常に耳障りな音色で、頭痛と不快感を増大させていく。

「目が覚めたのか?」

 雑音から逃れるために頭まで布団を被っていた葵は、誰かの声を耳にして上掛けを引き下げた。そこにアルヴァの姿を認めた葵は再び上体を起こし、その動作のせいで痛んだ頭に手を当てる。

「アルがいるってことはここ、保健室?」

「正確には僕の部屋の方だけどね」

 どちらでも大した違いはないので、葵はベッドの背もたれに体を預けながら話を進めた。

「私、何でここにいるの?」

「覚えていないのか?」

「覚えてたら訊かないよ。それに、何でこんなに頭が痛いんだろう。気持ちも悪いし」

「それはね、酸欠ってやつだよ」

「酸欠?」

 アルヴァの話から察すると、どうやら葵は酸素が足りなかったせいで倒れたらしい。それで倒れる前の出来事を思い出した葵は苦い記憶と頭の痛みに顔を歪める。そこへ保健室のウサギが現れて、アルヴァに何かを手渡した。その後すぐにウサギは姿を消したのだが、アルヴァはウサギから受け取った物を葵に差し出してくる。

「何、これ?」

「僕が調合した水溶液。飲めば頭痛と悪心が軽減されるはずだよ」

 要は薬だと認識した葵はありがたく、小さなボトルの中身を飲み干した。すると瞬く間に痛みが引いていき、胸の辺りがムカムカしていた不快感も消えていく。葵は一瞬で回復したことを「すごい」と喜んだが、アルヴァは微妙な表情を浮かべて見せた。

「普通は回復まで時間がかかるはずなんだけどね。やっぱりミヤジマは魔法薬が効きすぎるみたいだ」

「こういう場合は効き過ぎてもいいじゃん」

 体調不良は早く回復するに越したことはない。葵がそう言っても、アルヴァはまだ微妙な表情を浮かべたままだった。

「ところで、さっきの話なんだけど」

「どれ?」

「何故ミヤジマがここにいるか、その理由」

「ああ……何となく思い出したから、別に説明してくれなくてもいいよ」

「キリル=エクランドとのキスは気絶するほど良かったの?」

 ちょうどベッドから下りようとしていた葵は動揺した際に足を滑らせ、派手に転んでしまった。せっかくうやむやにしようとしていたのに、何故アルヴァにはこうも色々な事情が筒抜けなのか。

「もしかして私のこと、まだ監視してたりするの?」

 ちょうどいい位置にあったベッドに突っ伏し、葵はくぐもった声で疑惑を口にした。するとすぐ、アルヴァから「まさか」という答えが返ってくる。

「今はミヤジマだって自力で魔法が使えるわけだし、クレア=ブルームフィールドという協力者も傍にいる。そこまでキツく締め付ける必要はないと思ってるよ」

「じゃあ、何で知ってるのよ」

「ミヤジマを『保健室』に運んで来たの、誰だと思う?」

 アルヴァから返ってきたのは答えになっていない答えで、逆質問された葵は眉根を寄せた。

「誰って……キリル?」

 葵が倒れたのはシエル・ガーデンで、その場には葵とキリルの二人だけしかいなかった。自力で来たのではなければ当然、葵を保健室まで運んで来たのは彼だろう。「正解」と言うと、アルヴァは淡々と話を続ける。

「気絶しているミヤジマを両腕に抱えたキリル=エクランドが保健室の扉を蹴破った姿は、なかなかに勇ましかったよ」

 どうやらアルヴァは保健室の扉が蹴破られたことに怒っているらしく、口元では笑っていても目が怖い。機械的な笑い声と棒読みな科白に、葵は苦笑を返すより他なかった。

「そんな感じだったんだ」

「キリル=エクランドはかなり動揺していたみたいでね、訊かれてもないのにミヤジマが倒れた時の状況を勝手に喋り出したんだ。それで、僕は詳細を知ったというわけ」

「……なるほど、ね」

 その状況ではアルヴァを責めるわけにもいかず、一人で気まずさを抱え込むことになった葵は小さく首を振った。そこへまた、あのカンカンという音が聞こえてきたので、葵の意識はそちらへと向かう。

「この音……もしかして?」

「修理中」

 やっぱりそうかと、葵は乾いた笑みを浮かべた。それでは耳障りなこの音も、うるさいと責めるわけにはいかない。

「ミヤジマ、ちょっと訊きたいんだけど」

「ん?」

「キスをする時、ミヤジマはずっと息を止めてるの?」

 あまり触れられたくない部分に話が戻ってしまったため、恥ずかしさに赤くなった葵は口ごもってしまった。そんな葵の反応を見て、アルヴァは大袈裟な仕種で肩を竦める。さらにはわざとらしいため息まで聞こえてきたので、カッとなった葵は反撃に打って出た。

「プライベートの詮索だッ!」

「ああ……そういえば、そうだね」

「そうだね、じゃないよ!」

「僕が悪かったから、とりあえず落ち着いてくれ」

 アルヴァがあまりにも取り合ってくれないので、一人で興奮しているのがバカらしくなってきた葵も自然と落ち着きを取り戻した。

「アルさぁ……その、煽っておいて肩透かしってのやめてよ。疲れるから」

「それなら、言及された方が良かったのか?」

「それは……イヤ」

「僕との話はまとまったね。でもその調子だと、キリル=エクランドとの話し合いはうまくいかなかった?」

 そもそもキリルとは、話し合いの段階にすら辿り着けていない。話をしに行っても何故か、いつもこうなってしまうのだ。それはきっと、キリルの方に話を聞く気がないからだろう。

「あいつ、ちっとも話聞いてくれないんだもん。アル、どうしたらいい?」

「そうだな……そういう時は第三者を間に立てるといいんじゃないか?」

「第三者?」

「例えば、ミヤジマとクレア=ブルームフィールド。マジスター側はキリル=エクランドとオリヴァー=バベッジあたりで話し合いをする」

「ああ、それならオリヴァーがいいなぁ」

 オリヴァーはマジスターの中で唯一、葵のことを真剣に心配してくれている。彼が間に入ってくれれば、きっとキリルが暴走した際には止めてくれるだろう。その状況でなら自分の意見を言えそうだと思った葵はクレアとオリヴァーに頼んでみるとアルヴァに告げ、保健室に酷似した『部屋』を後にした。

(でも、オリヴァーに頼むのは明日にしよう)

 マジスターは仲間内で行動していることが多いので、オリヴァーを探すとなるとキリルとも顔を合わせることになる可能性が高い。だが今は、さすがにキリルとは顔を合わせ辛かった。

(キスされて気絶するなんて、情けない……)

 まあ、普通のキスではなかったので仕方がないのかもしれないが。自分を擁護したその考えが不意にキスの瞬間をフラッシュバックさせ、感触がリアルに蘇ってしまった葵は一人で赤面した。非常に不本意ながらも、酸欠になる前はちょっと気持ち良かったのだ。

(ううっ……やめよう)

 自分がとてつもなく破廉恥に思えてきた葵は自己嫌悪に陥りながら歩き出し、徒歩でトリニスタン魔法学園を後にした。






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