悪事のにおい

BACK NEXT 目次へ



 冬月とうげつ期初めの月である白銀の月の二十二日。湿気を含んだ大粒の雪が舞う中、他の生徒達に混じってトリニスタン魔法学園アステルダム分校の校舎へと向かっている宮島葵は雪に負けないくらい重いため息を吐いた。すると隣を歩いているクレア=ブルームフィールドが、眉根を寄せた顔を傾けてくる。

「まーだ気にしとるんか?」

「当たり前だよ!」

 葵が過剰な反応を示すとクレアは無言で、小さく肩を竦めた。

 葵は昨日、キリル=エクランドという少年のせいで散々な目に遭った。長々とキスをされたせいで酸欠になって気絶し、挙句の果てには風呂まで覗かれてしまったのである。キスだけならまだしも裸を見られたことがショックで、一夜明けてもまだ彼女の憤りは治まっていなかった。

(あんな時間にお風呂なんか入らなきゃ良かった)

 まだ夜になっていないうちから入浴したのは、屋敷に帰ってからもキリルからキスをされたことが頭を離れなかったので、風呂でそれを洗い流してしまいたかったからだ。しかし、あのとき風呂に入らなければ少なくとも裸を見られるようなことはなかった。浴槽の中で反射的に逃げようとしてしまったことも、かなり悔やまれる。立ち上がったりしなければまだ、被害はもう少し軽かっただろう。

「侵入者防止のきっつい魔法をバスルームにかけてくれるよう主に頼んどくさかい、過ぎたことは早く忘れた方がええで」

「あるじ?」

 その言葉が何を表しているのか分からなかった葵は首をひねったが、すぐに自己解決した。クレアが『主』と呼ぶような人物は、彼女の雇い主であるユアン=S=フロックハートしかいないだろう。公の場で不用意に彼の名前を出すことは出来ないため、どうやら人目がある所では、そう呼ぶことにしたようだ。

「ところで、侵入者防止の魔法って何?」

「ああ、アオイは知らなかったんやな」

 無知が明らかになるような発言は普通ならば不可解に思われるところだが、クレアは葵の事情を知っているため、眉をひそめることもなく答えを教えてくれた。彼女の話によると、葵達が住んでいる屋敷にはあちこちに侵入者を拒む魔法がかけられているのだという。今までまったく意識せずに生活してきた葵は意外に思い、目を瞬かせた。

「そうだったんだ?」

「バスルームは特に、寝室なんかよりもよっぽどプライベートな空間や。せやからうちが、使用中には人が入れんように魔法をかけといたんやけど、マジスター相手じゃ効果なかったみたいやな」

 相手は王立の名門校であるトリニスタン魔法学園のエリートだ。貴族の出身でもないクレアには、彼らを阻むほどの強大な魔法力はない。だから『使用人』として葵と暮らしていた時は自らが見張りに立っていたのだと、クレアは過去を明かした。当時は不可解に思った彼女の言動にようやく納得がいった葵は「なるほど」と呟きを零す。

「それで私が出て来るまで、バスルームの所にいてくれたんだ?」

「なんでも貴族の間では、バスルームに侵入者防止の魔法をかけとらんと『来訪歓迎』っちゅー意味になるらしいで」

 言葉の意味を掴み損ねた葵は返事も出来ずに閉口し、やがてその意味が分かると今度は絶句した。

「そ、それって……つまり、そういうことなの?」

「そういうことや。今後の安全なバスタイムのために、やっぱり主にお願いした方がええみたいやな」

「よ、よろしくお願いします」

 クレアの主人であるユアンはまだ十二歳の少年だが、彼は特別な子供である。そのユアンが何とかしてくれるなら、今後の安心安全なバスタイムは保証されるだろう。昨日の出来事を思い返した葵は二度と風呂を覗かれるのは御免だと思い、クレアに更なる念を押しておいた。そんな会話をしているうちに校舎へと辿り着き、エントランスホールでクラスメートの一団が声をかけてきたので、葵とクレアはそちらに顔を向ける。

「今日もアオイさんとブルームフィールドさんの他には女子、いないね」

 朝の挨拶もそこそこに、クラスメートの一人がそんな話題を振ってきたので、改めて周囲を見てみた葵はそこで初めて彼の言っていることに気がついた。エントランスホールが登校してきた生徒で賑わう時間帯、平素であれば若干女子生徒の姿の方が多いはずなのだが、今は葵達の他には一人も見受けられない。だがこれは珍しい出来事ではなく、マジスターが絡んだ騒動があると、こんなことになるのだ。あまりマジスターの話をしたくなかったため、葵はクレアに目で合図を送った。

「もう教室に行ってるのかもしれへんで。もうすぐ始業やし、うちらも行こうや」

 葵からの合図を正しく受け取ったクレアがうまい具合にクラスメート達を誘導しようとすると、不意に誰かの怒声が響き渡った。周囲がざわめく中、葵達の視線も自然とそちらに向けられる。人混みの間隙からチラリと見えたのは、真っ赤な髪を逆立てた私服の少年の姿だった。

「くそウィルはどこにいやがんだ! 誰か知らねぇのかよ!?」

 この学園において、不特定多数の人間に喚き散らすのはマジスターの専売特許だと認識していた葵は、見かけない少年の横柄な態度に驚きを隠せなかった。それはエントランスホールに集っていた生徒達も同じなようで、波が引くように少年の周囲から人が消えて行く。そのうちに視界を塞いでいた人垣が消えたため、改めて少年を目の当たりにした葵は妙な感じを覚えて眉をひそめた。

(何だろう、この感じ)

 抽象的な気持ちをあえて言葉にするのなら、『どこかで会ったことがある』という感じになるだろうか。しかし胸の底から湧きあがってきた思いとは裏腹に、頭は『知らない人』だと訴えている。葵が人知れず板挟みに遭っていると、クレアが少年の傍へ寄った。

「おたくが言うてる『くそウィル』って、ウィル=ヴィンスのことか?」

「そいつだ! 今どこにいる!?」

「学園に来とるかは知らんけど、来てるんやったらシエル・ガーデンにおると思うで。校舎出て、東や」

「ナイスだ!」

 おそらくは、情報を提供したクレアに礼を言ったつもりなのだろう。ビシッと親指を立てて見せると、赤毛の少年は外へと疾走して行った。周囲があ然としている中でクレアが戻って来たので、葵は眉をひそめたまま話しかける。

「あの人、ウィルの知り合いなのかな?」

「たぶん、血縁者や。兄弟かもしれんな」

 クレアの憶測にあった『兄弟』という単語が、パズルのピースが嵌まるようにストンと胸に落ちた。あれが噂の、双子の兄弟。面立ちも体格も雰囲気も、ウィルとはまるで違っていたが、体に纏う魔力がよく似ていた。だから初対面なのに、会ったことがあるとまで感じたのだ。

(あれ? でも……)

 ウィルの双子の兄弟はトリニスタン魔法学園の本校に通っているはずである。本校は貴族の私財である分校とは違い、王家が管轄しているだけに様々な面で厳格だ。基本的に休みなどなく、そう簡単に外出できない環境のはずなのに、何故彼はアステルダム分校に来ることが出来たのだろう。

(……ま、いっか)

 考えてみたところで答えが分かるわけでもないので、早々と思考を放棄した葵は次に、アステルダム分校の校医であるアルヴァ=アロースミスの顔を思い浮かべた。そこで彼が出てきたのは、先程の少年の様子から事件性を感じ取ったからである。ウィルの双子の兄弟が来たことをアルヴァに教えてあげた方がいいと判断した葵はエントランスホールでクレアやクラスメートと別れると、一人で一階の北辺にある保健室へと向かった。

 保健室の扉を魔法の鍵マジック・キーで開くと、その先はアステルダム分校の保健室ではなく、それに酷似した窓のない部屋となる。壁際に設置されているデスクの前にいた金髪の青年が椅子ごと回転して振り返ったので、葵はしっかりと扉を閉ざしてから彼の元へと歩み寄った。

「ウィルの双子の兄弟っぽい人に会った」

「マシェル=ヴィンスに? 一体どこで?」

 葵がいきなり本題を口にすると、アルヴァは怪訝そうに眉根を寄せた。葵は自分が感じたことを交えながら、先程の出来事をアルヴァに説明する。するとアルヴァの眉間のシワが、さらに深いものになった。

「ミヤジマは魔力を見て、その少年がウィル=ヴィンスの双子の兄弟だと思ったんだね?」

「うん。外見も雰囲気もぜんぜん似てなかったけど、魔力から受ける感じがそっくりだった」

「まあ双子なら、そういったことも有り得るかもね。でも、妙だな。その少年がマシェル=ヴィンスのはずはないと思うんだけど」

 やはりアルヴァも、葵と同じ部分に引っかかりを覚えたらしい。その辺りの詳しい話を聞きたかったのだが校内に始業の鐘が鳴り響いたらしく、アルヴァに急かされた葵は話が中途半端なまま『アルヴァの部屋』を後にした。






BACK NEXT 目次へ


Copyright(c) 2012 sadaka all rights reserved. inserted by FC2 system