悪事のにおい

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 大粒の雪が舞う中で一般の生徒が登校してきている時間帯、アステルダム分校の東の一画にある『大空の庭シエル・ガーデン』では二人の少年が優雅にティータイムを愉しんでいた。学園の制服である白いローブではなく私服姿の彼らは、この学園のエリート集団であるマジスターの一員だ。

「それにしても、キルには笑っちゃうよね」

 真っ赤な髪と、おそろしいまでの女顔が印象的な少年は、名をウィル=ヴィンスという。彼は手にしていたティーカップをソーサーに戻すと、向かいの席に座っている少年に話しかけた。対するのは長い茶髪を無造作に束ねている少年で、彼は名をオリヴァー=バベッジという。ウィルが友人のキリル=エクランドのことを話題に上らせたので、オリヴァーは苦笑いで会話に応じた。

「もうそのことは言ってやるなって。キルだってわざとやったわけじゃないんだから」

「確信的だったらただの『ノゾキ』だよね」

 キリルは昨日、故意にではないのだが、葵の入浴シーンを目撃してしまった。そのため湯をひっかけられて追い出され、見るも無残な姿で家に戻って来たのだ。オリヴァーとウィルはちょうどエクランド邸にいたため、キリルの間抜けな姿を目の当たりにしてしまった。事情を知ったオリヴァーはもうキリルの愚行を笑えなくなってしまったのだが、この調子ではウィルは、当分『ノゾキ』の一件を引っ張りそうだ。

「今日はキル、どんな顔して来るかな?」

「昨日は魂抜けてたからなぁ。来ないんじゃないか?」

 オリヴァーがそう応えたところでふと、それまで楽しそうに笑っていたウィルが真顔に戻った。てっきり『キリルの家まで顔を見に行こう』という提案が後に続くとばかり思っていたオリヴァーは、ウィルの急な変化に首を傾げる。

「何だ?」

「嫌な予感がする」

「予感?」

 それが何なのか分からなかったオリヴァーはさらなる説明を求めたのだが、ウィルは答えずに立ち上がった。そして唐突に別れを告げると、彼は魔法陣がある方角へと歩き去ってしまう。シエル・ガーデンに取り残されたオリヴァーはしばらくウィルが去った方へ顔を向けていたが、やがてテーブルに向き直るとティーカップに手を伸ばした。

 話し相手がいなくなってしまったので、オリヴァーは一人で紅茶を飲みながら今後のことについて考えを巡らせていた。すると不意に、シエル・ガーデンが揺れた。それはウィルが残して行ったティーカップを落下させるほどの衝撃で、否が応でも異変を察したオリヴァーは慌てて席を立つ。揺れの原因を突き止めるために風の魔法を使って体を浮かせると、全面ガラス張りの建物の外に不審人物がいるのが見て取れた。

 シエル・ガーデンの魔法陣に着地したオリヴァーは外に出るために、転移の呪文を唱えてアステルダム分校の裏門へと移動した。そこから再びシエル・ガーデンに戻り、先程の不審人物の元へ向かう。そこで真っ赤な髪色をした少年が拳をガラスに叩きつけている姿を目撃したオリヴァーは、声をかけるのも忘れて呆気に取られてしまった。

 不審者は、ただ殴っているのではない。拳に風を纏わせて、風圧でガラスを攻撃しているのだ。彼の拳がガラスに触れるたび、ドォンという音がしてシエル・ガーデンが揺れている。しかしその程度の攻撃ではガラスを破るには至らず、苛立ったらしい少年は魔法を使うのをやめてガラスを足蹴にし始めた。

「ちょっと待った!」

 ただの蹴りが繰り出される頃になって、ようやく我に返ったオリヴァーは、とにかく攻撃をやめさせようと少年の傍へ寄った。少年の方もそれでオリヴァーに気がついたらしく、ガラスを蹴るのをやめる。お互いに相手の顔を確認すると、二人はその場で動きを止めた。

「……マシェル?」

「もしかして、オリヴァーか?」

 驚いた表情でオリヴァーの名を呼んだ少年は、ウィルの双子の兄であるマシェル=ヴィンスだ。数年ぶりの再会だったがすぐにオリヴァーが分かったようで、マシェルは白い歯を見せて笑む。

「久しぶりだな! 元気だったか?」

「何でマシェルがこんな所にいるんだよ!?」

 トリニスタン魔法学園の本校の生徒であるマシェルが、アステルダム分校にいる。これは呑気に再会の挨拶を交わしていられる事態ではない。オリヴァーの驚愕がマシェルにも本題を思い出させたようで、笑みを消し去った彼は代わりに憤りを見せながらオリヴァーに詰め寄った。

「そうだった! くそウィルは中にいやがるのか!?」

「ウィル?」

「あのやろう、今度という今度はぜってー許さねぇ!」

「マシェル!! 落ち着けって!!」

 すっかり興奮してしまったマシェルを慌てて宥めると、オリヴァーはとにかく場所を移すことを提案した。マシェルも提案を呑んだため、オリヴァーは彼を伴ってシエル・ガーデン内へと移動する。魔法陣に出現すると、落ち着きを取り戻したマシェルは物珍しげに花園を見渡した。

「転移魔法じゃないと入って来られないのか」

「ああ。他に入口はない」

 そう答えたところで、オリヴァーは葵とクレアが魔法を使わずに出入りしていることを思い出した。しかし話がややこしくなるので、その説明は省いたままにしておく。テーブルの所へ戻ると茶器が散乱していたので、オリヴァーはそれを片付けてからマシェルに席を勧めた。

「それで、何でマシェルがこんな所にいるんだ?」

 分かるように説明してくれとオリヴァーが言うと、マシェルは左手を掲げて見せた。そこには白い包帯が巻かれていて、何かと思ったオリヴァーは首を傾げる。

「怪我でもしたのか?」

「いや、これは拘束具だ」

 忌々しそうに顔を歪めると、マシェルは包帯を解いて見せた。露わになった彼の左手を目にするなり、オリヴァーは眉間にシワを寄せる。マシェルの左手には青々とした茨が絡みついていて、それが異様な雰囲気を醸し出していた。

「これは?」

「教授が言うには、血の誓約サン・セルマンに抵触したことに対する戒めだろうってさ。そんなもん、したこともねぇのによ」

血の誓約サン・セルマン……」

 血の誓約とは儀式を伴う重い『約束事』のことで、日常ではまず滅多に行われない。不穏な響きに加えて思い当たる節もあったので、オリヴァーは「まさか」と思いながらも顔を歪めてしまった。しかし包帯を巻きなおしているマシェルはオリヴァーの変化には気がつかなかったようで、彼はそのまま話を進める。

「こいつのせいで魔力がうまく使えねぇんだ。しかも『禁忌』に触れると体から血が噴き出しやがる。けどオレ自身は誓約なんか結んだ覚えがねぇから、何が禁忌なのかすら分からねぇ。このままじゃ魔力がなくなるだけの話じゃ済まねぇから、特例って形で外出許可をもらったんだ。てめぇで原因を調べて解決したら戻って来いとさ」

「話は、大体分かった。だけどそれ、ウィルに関係あることなのか?」

「決まってんだろ!? こういう時は大抵あいつの仕業なんだよ!」

 マシェルはどうやら、根拠はないがウィルの仕業だと経験から確信しているらしい。その直感があながち的外れとも思えなかったので、オリヴァーは苦笑いを浮かべることも出来なかった。


血の誓約サン・セルマンに縛られてるから』


 終夏しゅうかの儀式の時、ウィルは確かにそう言っていた。彼自身が認めていたのだから、ウィルが誰かと血の誓約を交わしたのは間違いないだろう。しかし血の誓約は、儀式を伴う重い約束事であるからこそ、不正が入り込む隙はない。儀式を交わしてもいないマシェルが、ウィルが交わした誓約に関係するなど有り得ないはずなのだ。何か引っかかるものはあるが別件だろうと思ったオリヴァーは、ウィルの誓約については言わないでおいた。

「それで、ウィルを探してるのか」

「ああ。今、どこにいる?」

「さっきまでここにいたけど、その後は知らない」

「なんだよ、ついてねーなぁ」

 マシェルは単に不運だったと思ったようだが、オリヴァーにはウィルが姿を消したことが偶然だとは思えなかった。彼が言っていた「嫌な予感」とは、きっとこのことだったのだろう。外見から性格まで少しも似ていないのに、双子だからこそ何か通じるものがあるのかもしれない。それはすごい皮肉だと、胸中で呟いたオリヴァーは苦笑いを浮かべてしまった。

 その後、マシェルがウィルの行きそうな場所を教えてくれと言い出したので、断れなかったオリヴァーは諍いにならないことを祈りつつ、マシェルと共にウィルの行方を追うことになったのだった。






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