悪事のにおい

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 外から戻って来たばかりのオリヴァーとマシェルは、アステルダム公国内にあるバベッジ公爵家の別邸で、お互いに疲れた顔をしてソファーなり椅子なりに腰を落ち着けた。彼らは一日中ウィルを探し回っていたのだが発見には至らず、夜になって捜索を切り上げることを提案したオリヴァーがマシェルを自宅へと誘ったのだった。

「この屋敷には初めて来たな」

 ここはバベッジ公爵家が所有している数ある別邸の一つで、今はオリヴァーがアステルダム分校に通うための拠点としている。アステルダム分校のマジスター達は頻繁に出入りしているのだが、オリヴァーがこの屋敷に移ったのはマシェルがトリニスタン魔法学園の本校に入学した後のことなので、彼は初めて訪れたのだ。オリヴァーが寝室として使用している部屋をキョロキョロと見回したマシェルは、続けて部屋の印象を口にする。

「相変わらず、青い・・な」

 バベッジの血に連なる者は水に関する魔法を得意とするせいか、青い色彩を好む者が多い。本邸にあるオリヴァーの部屋も青系で統一されていて、それを知っているマシェルはそんな感想を抱いたのだろう。オリヴァーが笑みで応えると、それまで室内を見回していたマシェルがふと動きを止めた。その直後、静止した彼の首筋から勢い良く血が噴き出す。

「うわあああああ!!」

 突然の惨事に驚いたオリヴァーは叫び声を上げ、反射的にマシェルから遠ざかった。右手で首筋を押さえたマシェルは左手を口元へと運び、歯を使って器用に包帯を外す。そしてそれを自身の首に巻きつけると、突然の大量出血は治まった。

「くそっ、またかよ」

 忌々しげに舌打ちをしているマシェルは血にまみれてしまっている。オリヴァーはまだドキドキしている心臓を押さえながら恐る恐る口火を切った。

「もしかして、今のが……?」

「禁忌に触れたんだ」

 確かに彼は『禁忌に触れると出血する』と言っていたが、オリヴァーはこれほど大量の血が噴き出すとは思っていなかった。これではマシェルが生命の危機を感じてもおかしくない。

「すさまじいな」

「ったく、迷惑な話だぜ」

「でも今の会話……別に、なんてことなかったよな?」

「だから、言っただろ。血の誓約サン・セルマンなんて結んだ覚えがねぇから、何が禁忌か分からねぇんだって」

 マシェルはまた、とんでもない爆弾を体内に抱え込んでしまったものだ。惨状を目の当たりにしてそう実感したオリヴァーが絶句していると、騒ぎを聞きつけて誰かが来たらしく、扉が開いた。姿を現したのは栗色の髪をした少年で、彼は名をハル=ヒューイットという。

「何事?」

 まるで殺人現場のような室内を目にしたにもかかわらず、ハルは表情を変えることなく淡白に疑問を口にした。こんな時でもマイペースな友人にオリヴァーが苦笑いを向けると、自分で輸血を始めたマシェルがハルを見て目を瞬かせた。

「ハルじゃねーか」

「マシェル。久しぶり?」

 血だらけの異様な姿には一切触れず、ハルはよく分からないアイサツを返すとオリヴァーのベッドに腰を落ち着けた。二人が親しげであることに首をひねっていたオリヴァーは、すぐに「ああ……」と呟きを零す。

「そういえば、本校で会ってたんだったか」

 マシェルは十二歳でトリニスタン魔法学園の本校に入学したのだが、それまではウィルも含めて五人で、よく一緒に時間を過ごしていた。それきり会っていないとすれば五年ぶりの再会となるわけだが、ハルは先日まで本校に通っていたため、そこですでに再会を果たしていたのだろう。それで二人の間にはブランクが感じられないのかと、オリヴァーは一人で納得した。

「じゃあ、マシェルはステラのことも知ってるのか?」

「ああ、カーティスな。知ってるぜ」

 オリヴァーが話題に上らせたステラ=カーティスという少女は、本校に編入するまでアステルダム分校のマジスターをしていた。ハルは彼女に想いを寄せていて、ステラを追って本校に編入したのだ。しかし彼らの関係はもう終わってしまったらしく、ステラの話を嫌がったハルは無言で席を立つ。

「ハル、どこ行くんだ?」

「遊んでくる」

「約束、守れよ? 俺が学園に行くまでに帰って来なかったら家に追い返すからな」

 すでに扉の所まで行っていたハルは釘を刺したオリヴァーを振り返るとシニカルな笑みを浮かべてから去って行った。相変わらずの反応に、オリヴァーはハルの姿が見えなくなるとため息を零す。その様子を見ていたマシェルが不思議そうにしながら口を出してきた。

「あいつ、ここに住んでるのか?」

「本校を退学したことで、お姉さんに色々言われたらしい」

「フレデリカさんか……」

 ハルの姉であるフレデリカは厳格な人物で、ヒューイット家は両親よりも姉の方が躾に厳しい。そのことはマシェルも知っていたので、彼は苦笑いを浮かべたのだった。しかしフレデリカのことを思い浮かべていたのも束の間のことで、真顔に戻ったマシェルは問いを重ねてくる。

「さっき言ってた約束って何だ?」

「ああ……」

 どう答えたものかとオリヴァーは言葉を濁し、空を仰いだ。

 オリヴァーの家に居候するようになってから、ハルは完全に昼夜が逆転した生活を送っている。夜遊びも派手で、オリヴァーはそういったハルらしからぬ行動を心配しているのだ。それでも朝方には帰って来ていたのだが、つい先日、彼が数日戻って来ないということがあった。その間は学園にも姿を現さなかったので、さすがに止めなければならないと思ったオリヴァーはハルと約束を結んだのである。それが先程の『朝までに帰って来なかったら送還する』というやつだ。

「夜遊び? あいつが?」

 オリヴァーから話を聞いたマシェルは信じられないといった様子で瞬きを繰り返した。幼い頃からハルを知っている人物ならば例外なく、彼と同じ反応をするだろう。ハルは本来、そういった遊びを好むような派手な性格ではないのだ。

「それって、あれか? やっぱり、カーティスのことが原因か」

「たぶん、な」

 本人の口からは何も聞けていないため、オリヴァーは曖昧な答え方をした。しかし本校での二人を知っているマシェルには確信があるらしく、彼は納得した様子で頷いている。

「やっぱりそうか。そうじゃなきゃ、あのハルがそんなことになるわけがないもんな」

「あの二人、本校では付き合ってたんだろ? どんな感じだったんだ?」

「そうだな……静かなカップルだったぜ? 学内でイチャついたりするわけでもねーし、黙ってりゃ二人が恋人同士だって分からなかっただろうな」

 実際、ハルとステラが恋人同士であることを知らず、ステラが別の学生から告白されたなどということもあったらしい。マシェルからそうした話を聞いたオリヴァーは複雑な気分になった。オリヴァーが黙り込んでいると、マシェルは話を続ける。

「なにしろカーティスは『レイチェル=アロースミスの再来か』なんて言われるほど注目されてるからなぁ。でもハルの奴は、自分から積極的に何かをするタイプじゃないだろ? すれ違っちまったのかね」

 マシェルの見解にはある程度の説得力があり、当たらずとも遠からずなのだろうと思ったオリヴァーはそこでハルの話題を終わらせることにした。

「それで、マシェルはこれからどうするつもりなんだ?」

「とりあえず、くそウィルを見つけねぇことには何も始まらねーな」

「明日も探すのか?」

「もちろんだ。あいつにはお前らしか友達いねーからな。張らせてもらうぜ」

 その上で、久しぶりに外へ出たのだから息抜きも必要だとマシェルは言う。彼に「遊ぼうぜ」と誘われたオリヴァーは苦笑を浮かべつつも、悪くないという気持ちで頷いた。






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