ただいま特訓中

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 屋敷の外に出ると大粒の雪が舞っていた。見上げた空は厚い雲に覆われていて、今日も太陽の姿は見られそうにない。新雪に足跡をつけながら前庭の噴水まで来た宮島葵は、厚い氷が張っている噴水の縁に疲れた顔をして腰を下ろした。

(はあ……)

 深々と吐き出したため息が、白く空へと上っていく。外気も肌に触れる雪も凍てつくように冷たかったが、それでも屋敷の外にいると気が休まった。それというのも葵の住んでいる屋敷が、昨日から修行場へと姿を変えているからだ。

 ユアン=S=フロックハートとレイチェル=アロースミスの手によって改装を施された屋敷は、その内部にいる限り、常に魔法を使い続けなければならない空間となった。それは料理や洗濯といった家事だけに留まらず、屋敷内での移動や扉の開閉にも魔法が必要なのだ。そのルールを破ると手痛いペナルティを与えられるため、屋敷内にいる時は一瞬たりとも気が抜けない。同居人であるクレア=ブルームフィールドはまだ屋敷内で奮闘しているのだが、ペナルティを食らいすぎた葵は少し体を休めるために外へと逃げて来たのだった。


『アオイ、聞いて』


 目を閉じて空を仰いでいると、やがてユアンの言葉が蘇ってきた。記憶に残るその声に、葵は耳を澄ます。


『今のアオイには特別な力が宿ってる。その力をうまく使えれば、アオイは誰にも負けないよ』


 異世界からの来訪者である葵には、本来であれば魔法を使うことは出来ない。だが今の彼女には、この世界にとって特別な存在である調和を護る者ハルモニエの力が宿っているのである。それも人間界モンド・ゥマンだけでなく、自然界モンド・ナチュルルの前ハルモニエの力も、だ。そのため今の葵には、この世界に生まれ育った者でも滅多に目にすることの出来ない精霊達の姿が、日常的にはっきりと見えていた。


『精霊の姿が見えるのなら、彼らの声に耳を傾けて。そうすれば、そのうち呪文なしでも魔法が使えるようになるかもしれないよ』


 魔法の多くは精霊の力を借りることによって成り立っている。そして呪文は、人間と精霊を結びつけるものだ。大抵の人間は精霊とコミュニケーションが取れないため、魔法を使用する際には呪文を必要とする。しかしモンド・ゥマンのハルモニエであるユアンにとっては、この大前提が必ずしも当てはまるわけではない。それは人王と元精霊王の力を得ている葵にも言えることで、うまくやれば、呪文の詠唱を必要とせずに魔法が使えるようになるのかもしれないのだ。

(自然を感じて、耳を傾ける)

 葵の場合は自然と融合するイメージトレーニングをすることも大切だと言い置いて、ユアンは帰って行った。その感覚を掴もうと雪の中で瞑想していたら顔に何かが当たったので、葵は目を開ける。周囲を見回すと、いつの間にか雪だるまの群れが葵の足元にいた。

 雪だるまの姿で現れた雪の精霊は、「遊ぼう」とでも言うかのように雪玉を投げつけてきた。一つ一つの雪玉は小さかったものの、首から上に集中砲火を浴びた葵は頭を振って雪を払う。もともと雪合戦などの遊びが大好きな葵は闘争心に火を点けられて、「やったなぁ」と笑いながら足元の雪をすくい上げた。

「えいっ!」

 雪玉を投げつけると、それが雪だるま達にクリーンヒットした。ぶつかった衝撃が意外に大きかったらしく、雪だるま達は見るも無残な姿になってしまう。まさか壊れると思っていなかった葵が慌てて立ち上がると、精霊がいた辺りに雪が集い始めた。それは瞬く間に成長し、葵の目前に巨大な雪だるまが出現する。見下ろしてくる雪だるまの口が真一文字から笑みの形に変わったので、嫌な予感を覚えた葵は後ずさった。

「ま、まさか……」

 雪玉をぶつけられた仕返しに、巨大な雪だるまが倒れてくるのではないか。その予想は外れたが、雪だるまは葵の推測よりもさらにとんでもない行動に出た。軽やかにジャンプした雪だるまが頭上から迫ってきたため、葵は悲鳴を上げて逃げ出す。だが退避は間に合わず、葵は雪だるまが弾け飛んだ雪に下敷きにされてしまった。

(やられた……)

 幸いなことに倒れこんだ先も新雪だったため、生き埋めにされただけで済んだ葵は自身の未熟さを反省しながら呪文を唱えた。火の魔法を使って周囲の雪を融かすと、濡れ鼠のような姿になってしまう。体感温度を自動で調節する魔法がかかっている衣服を着ているため寒さはあまり感じなかったが、濡れた衣服が肌に張り付いて気持ちが悪い。髪の毛も洗髪した後のようになってしまったため、葵は額に張り付いた前髪を手で払い除けた。

 座り込んだ恰好のまま、とりあえずの体裁を整えていると、視線を感じた。顔を上げてみると異質な者達の姿が瞳に映る。来訪者は私服姿の三人の少年。見覚えのある顔ぶれに、葵は眉根を寄せた。

「大丈夫か?」

 ずぶ濡れで座り込んでいる葵を見て、手を差し伸べてくれたのはオリヴァーだった。助け起こしてもらった後、何があったのだと問われたため、葵は苦笑いを浮かべる。

「ちょっと転んだだけ。それより、何でオリヴァー達がいるの?」

 さっさと話題を変えた葵はオリヴァーだけでなく、他の来訪者達にも視線を移した。オリヴァーと共にやって来たのはウィルの兄弟だと思われる赤髪の少年と、キリルだ。キリルの視線がこちらに釘付けになっていたため、何かと思った葵は自分を見下ろしてみる。そして、今の自分の姿に思い至った。

 この日、葵はチェックのミニスカートに白いワイシャツという、高等学校の制服を身につけていた。先程ずぶ濡れになってしまったせいでワイシャツが肌に張り付き、体のラインがくっきりと見えてしまっている。下着が透けている恥ずかしさと、キリルの視線のせいで風呂を覗かれた時の羞恥心まで蘇ってきて、胸元を手で隠した葵は顔を真っ赤にしながら逃亡した。

(サイアク! サイアク!!)

 脱兎の如く屋敷に逃げ帰った葵は後ろ手に扉を閉ざし、侵入者が入って来られないよう押さえつけた。その直後、どこからともなくパチパチッという不穏な音が聞こえてくる。ハッとした葵は慌てて扉から手を離したのだが、もう遅い。屋敷内でルールを侵してしまった葵はきついペナルティを全身に浴びて絶叫した。






 葵が屋敷に逃げ去って行くとキリルが突然その場にしゃがみ込んだので、二つの出来事に同時に驚いたオリヴァーはおろおろと双方に視線を傾けた。その結果、キリルの方が先だと判断し、オリヴァーは彼の傍で腰を落とす。

「キル? 大丈夫か?」

「……やべェ」

「ん?」

「あいつ、すげぇカワイイ」

 キリルの言う『あいつ』は、もちろん葵のことだろう。先程の葵の姿を思い返したオリヴァーは、「ああ……」と複雑な呟きを零す。水も滴るなんとやらにノックアウトされたキリルは、自分で髪の毛を掻き乱している。それまで静観していたマシェルまでもが笑い出したため、オリヴァーは密やかな同情を葵に寄せた。

「は、腹いてぇ〜」

「あんまり笑ってやるなよ」

 キリルはともかく、真っ赤になって逃げて行った葵が可哀想だ。そう思ったオリヴァーが渋い顔でたしなめると、大笑いしていたマシェルはまだ笑みを残しながら言葉を続けた。

「オリヴァーさぁ、お前も気ぃ利かせろよな。お嬢さんをエスコートする役はキリルに譲ってやらなきゃダメだろ」

 何を言われたのか分からなかったオリヴァーが首を傾げると、マシェルは葵を助け起こした時のことだと言う。引っ張り上げたついでに抱きしめてしまえば良かったのだという補足に、オリヴァーは苦笑いを浮かべた。

「ごめんな、キル」

「うるせー! あやまんな!!」

 怒っているわけではないのだろうが色々と爆発寸前らしく、キリルは顔を上げないままがなった。その初々しい反応にもう一度大笑いした後、キリルの傍らにしゃがみこんだマシェルはがっちりと彼の肩を抱く。

「そういう時はガマンすんな。男なら押していけ」

「いやいや、キルは我慢も覚えなきゃダメだって!」

「何でだよ? キリルはあの女のことが好きなんだろ?」

 だったら我慢などする必要がないと、マシェルは異を唱えたオリヴァーにも力説する。ある意味男らしいマシェルの主張は面白がってキリルを焚き付けているウィルよりも厄介で、頭が痛くなってきたオリヴァーは深々と嘆息した。

「とにかく、アオイに謝るんだろ? 行こうぜ」

 マシェルとキリルが妙な気を起こさないうちに退散するのが得策だと思ったオリヴァーは、さっさと用事を済ませてしまうべく二人を促した。刹那、屋敷の方から凄まじい叫び声が聞こえてくる。誰が発した叫びだったのかは分からなかったものの、確実な異変を察したオリヴァー・キリル・マシェルの三人は、急いで屋敷へと向かった。






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